主人が女中の名前を変えるワケ 『台所太平記』

谷崎潤一郎の傑作女中さん列伝『台所太平記』
小手鞠萌さんが「日本文学の使用人」としてコメント欄でご紹介してくださった小説です。
読みました。ありがとうございます。ほんとに面白かった。あー。
次々と個性的な女中さんたちが登場して、彼女らの突飛なふるまいに「ふふ…」と笑い声を漏らすこと、たびたびでした。

が、今回はその面白さを伝えたいワケじゃない。

小説の中でカルチャーショックを受けた箇所があるんです。
今回は、そこのところをお伝えしようと思います。

 女中に付けられる「仮の名」

小説の舞台となるは、とある作家(モデルはおそらく谷崎自身)が主人の「千倉家」
戦前(昭和11年)から20余年にかけて、多くの女中がこの家を手伝ったきた。

(以下、「女中さん」ではなく「女中」と記します。谷崎潤一郎に倣い、「女中」という呼称に情をよせて――)

女中の数は、少ない時で2、3人、多い時で5、6人。

千倉家の家族4人のうち、主人の磊吉(らいきち)以外は女ばかり。
本来ならば「女の手が足りない」なんてことはないはずですが、
磊吉の妻・讃子(さんこ)をはじめ、みなお嬢さま育ちで、どうしてもそのくらいの奉公人がいないと困ってしまう。さらに讃子がお人よしなので、頼られると何人でも引き取ってしまう。磊吉はもとより家の中が派手で賑やかな方が好きなので、女中が多い分には大賛成。

千倉家の女中たちはみな― 何人かの例外はあるが ―本名で呼ばれない。
主人たちが決めた「仮の名」で呼ばれる。


たとえば、「初」という女中。
尤も「初」と申しますのは彼女の本名ではありません。本名は咲花若江と云うのでした。

(『台所太平記』 谷崎潤一郎 中公文庫 昭和49年 より引用)
この一文を読んだとき、真っ先に思い浮かべたのは、19世紀イギリスのメイドたちの呼び名です。
彼女たちも本名ではなく、主人に与えられた名前で呼ばれていました。

参考過去ブログ メイドの名前の定番

たいていは「エミリー」や「ジェーン」
これらはほぼ役職名みたいなもので、メイド頭といえばエミリー、その下のセカンド・メイドといえばジェーン、というように、そのメイドが属する部署やその中での地位によって「仮の名」がほぼ定着していました。

なぜ「仮の名」がつけられたのか?
社会通念としてエミリーやジェーンが「メイドらしい名前」とされていたのがその最たる理由です。

あと、これはわたしの考えですが―
過酷な労働ゆえに女中のほぼ3分の1が1年以内に転職していた時代ですから、メイドの顔ぶれがコロコロ変わる。そのたびに、
「ええっと、あの子はマーガレットで、先月入った子がマリーで、今日来たのがマリアで…」
と奥様の頭を悩ませるわけにはいかないのでしょう。

奥さまはいつだって、ディナーの献立や招待客の席順を決めたり、趣味が良いと人々からほめられるような刺繍の図案を考えたりと、「重大な」用件をいくつも抱えている。出入りのはげしい下々の女中の名前を覚えるのに割く時間など、無い。そこで名前をメアリー、ジェーンと定めておけば、頭を煩わさずに済む――とまあ、合理的な考えですね。

また、「千と千尋の神隠し」の湯ばあばのように、上位の者が下位の者の名前を掌握するシステムは、権威を見せつけ、下々の者を意のままに動かすのにうってつけの方法です。


人権無視…という四文字が、ひらひらと、頭の中に浮かびます。


で、「初」が、本名でなく仮の名で「初」と呼ばれているのを読んだとき、
「お、人権無視か? これも」
文庫本を前に思わず下唇をむぅーんとつきだしてしまったんですね。わたくし。

ところが。すぐ次の文章。
それが、千倉家では、大阪の旧家(※)である讃子の里方の習慣で、使用人の本名を呼びつけにしましてはその人の親御さんたちに失礼であると云う考から女中には仮の名を附けることになっていましたので、彼女が来ました時、「何と附けよう」と皆で相談いたしまして、「初」がよかろう」と云うことになったのでした。

(同上引用。 ※「旧家」は旧字体でしたが、新字体に置き換えました)

「人権無視」の四文字が、ちりぢりに、風に吹かれて、霧散しました。

やられた。
そういうことか。
主人側の、そういう配慮で、仮の名を呼ぶこともあるのか。
すばらしいぞ、日本。いや、大阪のどっか。

ちなみにこの習慣も「戦後は次第にすたれかかっていた」と、小説に書いてありました。
現在の大阪では、もうすっかり失われてしまった風習なのでしょうか。「奉公人」がもういない時代だから、無理か。大阪のどなたか、教えてください。

別のかたちで残ってないですかね。
「大阪では、新人のバイトには必ず店長があだ名を付けて呼ぶ」…とか。
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コメント
 
 
 
こんばんは! (山橘)
2008-03-06 23:50:28
いまちょうど大阪出身の母親が横を通ったので「こんな習慣があってんて~知ってる?」と言ってみたところ。

「普通は松竹梅、または鶴亀。お初はかなり別嬪さんのほう」

との返答がありました。母の実家の近所の女中さんは「お鶴さん」が一番多かったそうです。「お初さん」は初々しい雰囲気の娘さんにつけられ、近所では「お松さん」も多いほうだったそうで。
当の母の実家では「ねえや」がトータルで三名いましたが彼女達は女中さんではないので、みんな「ねえや」か本名で呼ばれていたとか。



話は飛びますが、平安時代の女房たちは仕える家のランクと自分の身分によって呼び名が決まっていました。例を挙げれば”禁中に小路名なし”などありまして、内裏に仕える女房には「一条」や「近衛」はおらず、摂関家などに仕える女房につけられたそうです。女房本人の出自によって、一条>京極>高倉など名前が変わります。(小路名は京都の路や町名による呼び名です)

……とまあこんなことが昔からあるので、もしかしたら奉公に出るときは別の名前で呼ばれるものだと、女中さんたちも思っていたかも知れないな~と思いました。はい。
 
 
 
仮の名前ですか・・・ (伊織)
2008-03-07 01:48:00
そのような制度があるとは知りませんでした。
けれど、確かにそっちの方が覚えやすいのでしょうね。
ってことは、自分が昇格した場合、名前も変わるということでしょうか??
それはそれでまたややこしい気がするのですが、いかがでしょう?

大阪の考えの方が実に好ましいですが、めでたい『鶴亀』はともかく『松竹梅』・・・
明らかに『上・中・下』みたいなんですが・・・

女中らしい名前があるなら、執事らしい名前もつけられるのかと今、ふと思いました。
やっぱり執事には『セバスチャン』という名前がピッタリかと☆
 
 
 
おおっ! 梅! (countsheep99)
2008-03-09 15:59:35
>山橘さま

小説の中に「梅」いましたよ!
ほかには駒、定、鈴などがいましたな。

松竹梅、鶴亀の話、面白いですね~。
お母さまが「普通は―」と仰ってるところが、いかにも当然な感じがして、可笑しいです(笑)

『台所太平記』の冒頭で、谷崎は「女中」の名前の呼び方について用心深く述べています。
『近頃は世の中がむずかしくなって参りまして―』と前置きして、曰く「女中さん」でも嫌がられ、「お手伝いさん」「メイドさん」などと呼び方に苦心する風潮にある、と。(作品が書かれたのは晩年の昭和37年)

その中に、
『女中を呼びますのに名を呼ばないで「姐や」と呼んでいる家庭、これは今でもあるようでございますな』

山橘さんの母上の御実家は、でも、女中さんでない方を「ねえや」とお呼びになってらしたんですよね?
行儀見習い、お預かりの娘さんとかなのかしら…?

平安時代の女房たちの話、さすがは山橘さんですね!興味深いです。 
わたしはボンヤリと「忌み名」を考えていました。
もともと昔の日本人には(あ、いや、中国から輸入した風習かもしれないけど)本名を公にしない風習があって、時代が変わっても、それが心のどこかに残っているのかもなぁ…と。女中さんに限らず。


>伊織さん

>自分が昇格した場合、名前も変わるということでしょうか??

うーん、どうなんでしょう? 手持ちの本にはそこまで書いてなかった(笑)
いま伊織さんに言われて、確かに、なるほどと思いました。

ただ、いま思ったのは、「昇格するまで過酷な労働に耐えられただろうか」ということです。

ブログでも述べたように、メイドの3分の1が半年以内に職場を変えています。

シルヴィア・マーロウ著『イギリスのある女中の生涯』には、こうあります。

『出世しようと思えば、道はただ一つ、注意深く辛抱強く勤めて、いい紹介状をもらうことです。』

働きを認められるほどになれば、もっと良い労働条件の勤め先を探して、転職するのが当然だったのでしょうね。
それに、もしひとつ同じ屋敷に勤め続けるとしても、
どれほどの娘さんたちが奴隷同然の労働に「昇格するまで」耐えられたか…。

セバスチャンが執事らしい名前、というのは「聖セバスチャン」から来ている説がありますね。
キリスト教の職位butlerに就く信徒のクリスチャン・ネームに、「セバスチャン」が相応しかったのかなぁ。
 
 
 
忌み名、そうですね。 (山橘)
2008-03-11 00:40:54
昔の女性にとって本名は非常に大切なものだったようですから、もしかしたら雇用されている間の自分は違う自分だという意識があったのかも知れないですね。

平安期の摂関家の姫君が、入内の前に”后に相応しい名前”に改名させられている例が幾つかあります。それは吉凶を占ってみたりとか、古典を引いてみたりとかして候補がいくつか出されて決定になるのですが、その地位に相応しい名前を名乗るというのは、仕事に出る現代女性の化粧のような、仮面的な何かなのかあるいは臨む覚悟なのかしらとも考えます。(うーん。巧い例えが見つかりませんでした)

うちの母のねえやは、三人目は遠縁の娘さんだったので、行儀見習いかも知れません。二人目は、店の職人さんと祖母の毛皮のコートと駆け落ちして消息不明だそうです(笑)一番初めの方は実はねえやではなく、ばあやだったそうで、三人とも職分は家事全般というよりは兄弟で一番病弱だった母の子守だったとか。
まあ、職人さんが見習いも入れてたくさんいたので、手が空いている人が家事を手伝い、上の子が下の子の面倒をみる。そんな大きな家族みたいな具合だったので明確に女中と言い切れないみたいです。


家族いえば母方の祖母の曽祖父は武士だったのですが、鎖国中にロシア系の女性をどこからか見つけてきて、家来の某さんに養女にさせて、そこから自分のお嫁さんにしたという逸話がありまして、某さんの名前はわからないのですが、写真が家族(某さん夫妻と養女)で残っています。

ちょっと思い出しただけなのですが、countsheep99さまはなんとなく、この某さんみたいなタイプ、お好きかなあなんて…。。枯れ木みたいなちょん髷のおじいちゃんなんですが。
 
 
 
よくお分かりで(笑) (countsheep99)
2008-03-11 14:57:00
>山橘さん

お好きです(笑)

というより、たまらんです。
よくぞ思い出してくださいました。
ちなみに、毛皮コートの逸話も好きです(笑)

”后に相応しい名前”も、興味深い話です。
改名した姫君は、ひょっとしたら、地位にふさわしい名前を名乗れる自分(身分、立場)を誇らしく感じてたかもしれませんね。


わたしが病院の事務のお勤めをしていた頃、ある日「臺 福」というお名前のおばあちゃんが入院してきました。

明治生まれの方でしたから、お見合い結婚が多かったはず。

仲人「ふくちゃん、お見合いの相手ね、とても良い方なんだけど…」
ふくちゃん「いやよ!“だいふく”になるなんて、イヤ!」

などと勝手に(そして失礼)場面を想像しながら、入院手続きの書類を持ってふくちゃんのベッドに伺いました。

ご本人にサインをしてもらい、記入漏れをチェックすると、名前が「ふく子」になっている。

「あの…申し訳ございません。保険証に記載されているお名前と同じように記入していただきたいのですが…」と言うと、ふくちゃん、顔を真っ赤に染めて、
「亡くなった主人が『“ふく”だと恥ずかしいから“子”を付けろ』って…ずっとそれできたものですから…すみません、書き直します」

「あ、いやぁ~、うん、だいじょうぶですよ、このままでも、はい」とわたしも顔が熱くなってシドロモドロ。

名前つながりで、そんなことを思い出しました。

それにしても、山橘さん、祖母の曽祖父の時代の写真を大切に残されているなんて、すばらしいお家ですね。
 
 
 
かわいいですね (山橘)
2008-03-11 21:23:17
おふくさん。私、おじいちゃんおばあちゃんに弱いので、ちょっとときめきました。

素敵おばあちゃんを教えていただいたので、件の毛皮のコートが祖父の芸者遊びの産物である事実を添えておきます。遊びがばれると祖母は特に欲しくもないけれど高いものを強請っていたそうです。(なので毛皮のコートがなくなっても「…あら、コートがいなくなったわ…」ぐらいですみました。(まるでコートが自力で出奔したみたいです…)

名前の話から脱線して、ある夫婦のバランスの取り方でした(笑)
 
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