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ましてや警告されたりすると、私は逆に「そこ」へ行ったり「それ」をやったりしたくなります

 東京は、8日振りの晴れでした

 きょう、2009年3月2日(月)の毎日新聞夕刊に、村上春樹のエルサレム賞受賞記念講演が載っていました。

 わかりやすい日本語翻訳だと思いました。

 

 新聞の文化面はスルーしてしまうが、このブログで取り上げるものなら読んでみてもいいという方もいるかもしれません。

 ぜひ読んでいただきたい内容です。

 骨太とはこういう人の、こういう姿勢だと思います。 



 

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村上春樹さん:

イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式

・記念講演全文/上

 作家の村上春樹さんが2月15日、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で行った記念講演が大きな反響を呼んでいる。体制を「壁」、個人を「卵」に例え、「私はいつも卵の側に立つ」と、作家としての姿勢を語った内容だ。イスラエル軍の攻撃によってパレスチナ自治区ガザ地区で1000人以上が死亡した直後だけに、受賞拒否を求める声も挙がったが、村上さんは「語らないよりは語ること」を選択した、と出席を決めた理由を明言した。そこで、村上さんが英語で行った講演の録音を文章にし、全文を2回に分けて掲載する。(翻訳は学芸部・佐藤由紀)

   ◇小説家は、隠れている真実をおびき出してしっぽをつかみます

  ◇壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます

 こんばんは。私は本日、小説家として、長々とうそを語る専門家としてエルサレムに来ました(聴衆から笑い)。

 もちろん、うそをつくのは小説家だけではありません。ご存じのようにうそをつく政治家もいます。失礼しました、大統領(聴衆から笑い)。外交官や将官も、中古車セールスマンや肉屋、建築業者と同じく、それぞれの都合に応じてうそをつくことがあります。小説家のうそが他と違うのは、誰も不道徳だと非難しないことです。実際、より大きく上手で独創的なうそをつけばつくほど、人々や批評家に称賛されます。なぜでしょうか。

 私の答えはこうです。巧妙なうそ、つまり真実のような作り話によって、小説家は真実を新しい場所に引き出し新しい光を当てることができるからです。大抵の場合、真実をありのままにとらえて正確に描写するのは実質的に不可能です。だから、私たち(小説家)は、隠れている真実をおびき出してフィクションという領域に引きずり出し、フィクション(小説)の形に転換することで(真実の)しっぽをつかもうとします。

 でもこの作業をやるには、まず最初に、私たち自身の中の、どこに真実があるかを明確にする必要があります。これが上手なうそを創造するための重要な能力なのです。 

 でも、きょう、うそをつくつもりはありません。できるだけ正直に話そうと思います。1年のうちで数日しかうそをつかない日はないのですが、きょうはたまたまその日に当たります(聴衆から笑い)。

 だから、真実をお話ししましょう。日本でかなり多くの人に、エルサレム賞授賞式に行くべきではないと助言されました。一部の人には、もし行くなら私の著作の不買運動を起こすとさえ警告されました。

 理由はもちろんガザ地区で起きている激しい戦闘でした。国連の発表によると、封鎖されたガザ地区で1000人以上が命を落とし、その多くは子どもや老人を含む非武装の市民でした。

 授賞通知をいただいたあと、このような時期にイスラエルに出向き、文学賞を受けるのは適切なのか、これが紛争当事者の一方を支持し、圧倒的に優位な軍事力を行使することを選択した国の政策を承認したとの印象を作ってしまわないか、と、たびたび自問しました。もちろん(そうした印象を与えることも)著作が不買運動の標的になることも、あってほしくないことです。

 しかし、考えに考えた末、最終的にはここに来ることを決めました。理由の一つは、あまりにも多くの人が「行くな」と言ったからでした。他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたのと正反対のことをする傾向があります。もし、「そこへ行くな」とか、「それをするな」と命令されたり、ましてや警告されたりすると、私は逆に「そこ」へ行ったり「それ」をやったりしたくなります。あまのじゃくは小説家である私の天性といえます。小説家は特別な種類の生き物です。自分の目で見たものや、自分の手で触れたものでなければ、心から信頼できません。

 だから私はこうしてここにいます。欠席するより出席することを選びました。見ないことより自分で見ることを選びました。何も語らないより、皆さんに語ることを選びました。

 だから、ここでごく個人的なメッセージを一つ紹介させてください。小説を書いている時、いつも心に留めていることです。紙に書いて壁に張ったりはしませんが、心の中の壁に刻まれているもので、こんなふうに表現できます。

 <高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう>

 ええ、どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく何が誤りかという判断は、誰か別の人にやってもらいましょう。時間や歴史が決めてくれるかもしれません。しかし、どんな理由があっても、もし壁の側に立って書く小説家がいるとすれば、作品にどれほどの価値があるでしょう。

 ここで申し上げた壁と卵のメタファー(隠喩(いんゆ))の意味とは何でしょう。ごく単純で明らかな例えもあります。爆撃機、戦車、ロケット弾、そして白リン弾は、高い壁です。卵は、押しつぶされ、熱に焼かれ、銃で撃たれた武器を持たない市民たちです。これがメタファーの一つの意味であり、真実です。(後半は3日夕方に掲載します)

 ■ことば

 エルサレム賞

 「社会における個人の自由」のために貢献した外国人作家に隔年で贈られるイスラエル最高の文学賞。過去の受賞者には英国の哲学者バートランド・ラッセル、メキシコの詩人オクタビオ・パス、米国の作家スーザン・ソンタグらがいる。

 ■人物略歴

 ◇むらかみ・はるき

 1949年生まれ。79年『風の歌を聴け』でデビュー。乾いた文体で現代人の喪失感を描き、人気を集めている。小説以外に、オウム事件の被害者に取材した『アンダーグラウンド』など、社会的関心を示したノンフィクションもある。    2009年3月2日毎日jp

 

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