ちばっこ★ライダー

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父との別れ

2010-05-13 21:39:08 | 大好き高知
2010年5月9日(日) 18:48 新緑まぶしい時季に高知の父が71歳で天に召されました。
ダンナっちの「親父」は最期、眠るように逝ったそうです。

13年前、脳出血によって倒れた父。
車椅子を覚悟するように言われた程だったのに、リハビリを頑張ったおかげで歩けるようになり、翌年ハワイで行なった私達の結婚式には花婿の父として元気に出席してくれました。

一度倒れた父はその後も何度か倒れたと聞いています。その度にどんどん歩くことがしんどくなっていったようで、ここ数年は毎年帰省する度に歩ける距離が少しずつ縮まっていったように見えました。普段はしんどそうにしている父も、お正月にダンナっちが帰ってくると思うと、遠足前の小学生のようにソワソワして、しょっちゅう母に何日に帰ってくるのか聞いていたそうです。ダンナっちが帰ってくるとやっぱり嬉しさは隠せないようで元気になり、いつもシャンとしていて、ニコニコしていました。

昨年12月、転倒して腰椎圧迫骨折とのことで入院をした父。年末年始に帰省した際にはお正月の1日だけ外出許可をもらい、自宅で一緒の時間を過ごしました。自宅に帰れて嬉しそうだったけどちょっとしんどそうで、大好きなお餅もあまり食べられず、珍しく外出もせず、横になっている時間がほとんどでした。

今年2月、かなり進行している胆嚢がんが見つかったと母から連絡がありました。いきなり黄疸が出て、色々検査をして初めて分かったとのこと。
今回は腰椎の圧迫骨折で外科病棟に入院していたため、内科的な検査はしていないので仕方ないといえば仕方ないのか・・・。
こんな重大なことを一人で聞かされた母はどれだけ心細かったでしょう。
取り急ぎ胆汁の流れを確保するために内視鏡でステント手術をすることになり、その後は黄疸も改善してきました。

3/19、事前に担当医のアポを取って3人で再度話を聞くことに。
進行している胆嚢がんは、周りの臓器にも広く浸潤しており、手術不可、抗がん剤も今の状態では不可とのこと。今後の進行状況については、今思うとその時担当医が話していたとおりになっていったみたいです。
そして余命は3ヶ月、よくて半年と告げられてしまいました。

この時の父は肝機能の数値がずっと高い状態。誤嚥性肺炎の危険が大きいので、食事は取れないのが普通だそうですが、父は食べることを希望し、絶飲食の状態から恐る恐る食事に切り替えたところ、父は医師も驚くほど元気になったそうです。結局この後も再び黄疸が出るまで食事をちゃんと食べ続けました。

GW、5/1のフェリーで高知に向かうことは前からの予定。父のお見舞いがてら、四国2度目のバイクツーリングも兼ねての帰省です。
その日の午前中、母より電話があり、再び黄疸が出て危険な状態になり、GW明けまでもつかどうか・・・と告げられました。愕然。

5/2の夜に高知入りをし、翌日朝イチで病院へ。酸素マスクを付け、小康状態の父に対面。呼びかけると目で追ってきて、ダンナっちが帰ってきたことに気がついたみたい。しばらく一緒にいた後少しバイクでお出かけ、夕方再び父に会ってから帰宅。
翌日も朝イチで病院に行き、日中バイクで出かけた後、父に会って帰宅。

5/5も同じように朝イチで病院に行った後出かけようとしたら、父の心拍数が下がって危険な状態と言われ、慌てて母を呼びました。
父の姉妹やダンナっちの姉も駆けつけ、みんなで父に話しかけ、見守っていましたが、少し持ち直したようで呼吸も安定してきたので、母を残して帰宅。
この後、フェリーに乗って帰る日までずっと同じような小康状態が続きました。たまに何かを言おうとしたり目で追っていたりと反応があったり・・・その都度一喜一憂する母とダンナっちと私。
5/8は朝早く父に会いに行き、後ろ髪を引かれる思いで病院を出ました。ダンナっちは覚悟を決めているとは言うものの、どれだけ辛かっただろう。ダンナっちにうまい言葉がかけられなくて嫌になる。

5/9早朝にフェリーは有明に到着。その後無事に帰宅。久々の自宅で少し大きくなったルナ子に会ってなんだかとてもホッとしました。こんな私でもやっぱり気が張っていたんだろうなぁ。
ホッとしたのもつかの間、その日の夜、涙声の母からの連絡があり、父が亡くなったとの知らせを聞きました。
父は最期の姿を愛息には見せたくない、いる間は頑張ってみせるという男の意地だったのか、私達が無事に家に帰るまでは逝かないと思ってくれていたのか、色々な思いがあったのかな・・・なんて考えてしまいました。

翌日高知にとんぼ返りし、5/12に無事に父を送り出しました。

お父さん今までありがとう。いつかまたあっちの世界で再会するまでしばしお別れです。
お正月と3月のお見舞いの時にお父さんに言われた言葉・・・まかせてください。こんな頼りない嫁ですが頑張ります。できていたら再会した時に褒めてくださいね。

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父はこれぞ高知県人と言わんばかりの酒豪。酒豪の中でも相当強い方だったとか。酒豪揃いの高知県の中で強い方って・・・どんだけ強いんじゃ(^_^;)ダンナっちもかなり強いはずなんだけど、全然敵わないんだって(ノ∀`;)

ダンナっちと結婚する前、一度実家にお邪魔した時に、高知の父と日本酒を酌み交わしたことがあり、高知のしきたりに従って「ご返杯」を数回繰り返したら、下戸の私はあっけなくダウン。ダンナっちの実家のトイレで初オエ~をしてしまったことだけ覚えてます (´・△・`) アァ-

お父さん・・・またいつかお会いしましょう!
今はただただ安らかにお休みください。