小さい頃、屋根を踏み抜いて地面に落ちたことがあった。
それで肩をおかしくして近所の整形外科病院に入院したのだが、寂しいのと肩が痛いのとで夜眠れない時があった。
そんなときによく考え事をしていたのだが、その頃から物思いに耽る習慣がついたようだ。
さて、皆さんは物思いに耽る時にどんなことを考えるだろう?
私はたいてい、物事を悪い方に悪い方に考える。
そしてその悪い方に考えた結論に飛びついて、うかつにそれを信じてしまうのだからたちが悪い。
更に良くないのは、その信じた内容同士を頭の中で結びついて、更にでかい信念にして、その信念の世界のとりこになってしまうのだから、困ったものだ。
それで勝手に自分がそんな世界の住人になったのに、その事を忘れ、この世は悪人の巣窟だ! などと「世界」に怯え、「悪人」に激怒しているのだから困ったものだ。
書いているうちに、自分の愚かしさに呆れ、おかしさがこみ上げてくるのだが、やっている最中は実に大真面目に怯え、激怒してるのだから、困ったものである。
人が現象の世界にとどまれる時間は有限である。
その有限の時間の中で、つまらない考えにふけって、「世界」に怯え「悪人」に腹をたてるのはおろかなことだ。
むしろ現象の世界にとどまれる時間の中で、生かしてくださる世界に感謝し、支えてくださる人たちに感謝している方が、楽しい時間を過ごす秘訣のような気がする。
そんな事を考えたИКМТであった。
それで肩をおかしくして近所の整形外科病院に入院したのだが、寂しいのと肩が痛いのとで夜眠れない時があった。
そんなときによく考え事をしていたのだが、その頃から物思いに耽る習慣がついたようだ。
さて、皆さんは物思いに耽る時にどんなことを考えるだろう?
私はたいてい、物事を悪い方に悪い方に考える。
そしてその悪い方に考えた結論に飛びついて、うかつにそれを信じてしまうのだからたちが悪い。
更に良くないのは、その信じた内容同士を頭の中で結びついて、更にでかい信念にして、その信念の世界のとりこになってしまうのだから、困ったものだ。
それで勝手に自分がそんな世界の住人になったのに、その事を忘れ、この世は悪人の巣窟だ! などと「世界」に怯え、「悪人」に激怒しているのだから困ったものだ。
書いているうちに、自分の愚かしさに呆れ、おかしさがこみ上げてくるのだが、やっている最中は実に大真面目に怯え、激怒してるのだから、困ったものである。
人が現象の世界にとどまれる時間は有限である。
その有限の時間の中で、つまらない考えにふけって、「世界」に怯え「悪人」に腹をたてるのはおろかなことだ。
むしろ現象の世界にとどまれる時間の中で、生かしてくださる世界に感謝し、支えてくださる人たちに感謝している方が、楽しい時間を過ごす秘訣のような気がする。
そんな事を考えたИКМТであった。