goo blog サービス終了のお知らせ 

目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

人が人を信じられないということ。それは悲劇である。

2022-08-07 23:56:51 | いけてつ独り言
統合失調症の症状で一番困るのは、その内容もさることながら、感覚体験が実際の感覚体験と変わりないからだ。

世の中には理不尽なことをいう人もいるし、うそをつく人もいる。

そうなのだ。
理不尽なことをいう人がいても、それが幻覚だと決めつけられたら、戦えない。
周りの人に、「今、あいつが俺の悪口を言っただろう?」と尋ねても、うそをつかれた日には、戦えない。

だからであろう。
仮に幻覚や妄想が消えても、社会復帰に時間がかかるのは。

患者は発病前から、社会というものに不信感を持っている。
それに幻覚や妄想によって、その不信感に拍車がかかる。

仮に幻覚や妄想が消えても、一度社会に対して持った不信感はぬぐえない。

それに病気ということで、健常者側から劣等市民扱いされた屈辱もそう簡単に拭えるわけではない。

本当に嫌な病気である。

症状の苦しみよりも深刻なのは、辻悟氏が言った脱落意識と、それ以上に深刻なのは病気の経過の中で獲得した、人間不信なのだ。

人が人を信じられないということ。
これは悲劇である。


付き合うのが楽な人は、攻撃と防御の構えで付き合う必要のない人。

2022-08-07 20:41:59 | いけてつ独り言
ふと気づいたことがある。
温かい気持ちのやり取り。
これができない人との人間関係ほど、しんどいものはない。

付き合うとしんどく感じる人。
その人の人間関係の構えは、攻撃と防御なのだ。

係争中の相手でもあるまいし、なんで付き合うのに、攻撃と防御の構えで付き合わなければならないのか?

そんな相手と付き合うのは、しんどいのが当たり前だ。

実は付き合うと、相手が心に寄り添ってくれ、なんか心に染み入るように感じる人がいる。
そんな人との付き合いは心地よい。

が、何が地雷かわからず、地雷を踏まないようにおっかなびっくり付き合う相手との人間関係はしんどい。

そんな記事が、メンタルに病を持っている人たちの文集に書いてあった。

幸いにしていけもとは、後者のような人と付き合うことはないので、しんどく感じることはないが、後者のような人との付き合いが多い人が感じるストレスは、察するに余りあるということだ。

昨日今日と体調が悪く、家でゆっくりしていてだいぶ日頃の疲れは取れた。

そんな中で思いついたことを書いておく。

以上、管内八幡山でいけもと。


警察は時の政権の意志を体現し、軍隊は国家の意志を体現する。

2022-08-07 19:45:32 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
こんなことを聞いたことがある。

右翼は民族の意志を体現し、軍隊は国家の意志を体現し、警察は政府の意志を体現する。と。

だとすれば警備公安警察が、「国家」に従属するのではなく、「政府」に従属するのは明らかだ。

政府というのは時の政権であるから、かつての政権のボスである安倍晋三氏より、今の政権のボスである岸田文雄氏に警察が従属するのは明らかだ。

それに官僚には人事派閥がある。
先の政権がある人事派閥を応援すれば、次の政権の幹部がそれに拮抗する人事派閥を優遇するのは明らかだ。

が、前政権のボスと先の官僚派閥の人事をぶち壊しにするためには、何らかの事件が必要だ。

そのために起きたのが、自民党安倍派のボスである安倍晋三氏を狙う悪漢の警備情報をことさらに秘匿し、安倍派の警察官僚派閥のホープが本部長を務める県で事件を起こすのがよかろうということになる。

それで自浄能力を失い、掟破りの施政ばかりする、拮抗勢力がなくなるほど巨大になった安倍派を空中分解に追い込み、官僚機構の面汚しどもを一掃するように仕向けることなど、不滅の頭脳集団日本官僚機構がわけなく行いそうなことだ。

前にも書いた通り、警察は政権に従属し軍隊は国家に従属する。
ここで政権と国家の意志が合致したからこそ、元自衛隊員の山上容疑者は安倍晋三氏を銃撃することができたのだ。

それに忘れてはいけないのだが、自衛隊の大本は、警察予備隊だから、生まれながらにして警察とは仲がいいのだ。

さて、個人の意思が周囲の状況に応じて変化するように、国家の意志も周囲の状況に応じて変化する。

つまりは、安倍氏抹殺の支持は、近隣諸国から得られていたということだ。

あまり書きたくないことなのだが、救急車やドクターヘリ、そして救急病院で何が起きたかは、当事者以外誰も知らない。

むしろ、車内や機内で何らかの行為が行われ、関係者にかん口令が敷かれていたということも考えられる。

とまあ、あまり妄想記事を書くと、本気にする人がいるのでこのぐらいにしておこう。

壁に耳あり障子に目あり。
誰が私の味方のふりをした、オブライエンとジュリアだかわからないからだ。

以上、管内霞が関二丁目でいけもと。


もうじき亡き父の誕生日だ。

2022-08-07 15:47:13 | いけてつ独り言
今月は亡くなった父親の生まれ月だ。
父は飲む打つ買うのうち、もっぱら飲むが専門だった。
それも酒を飲むのではなく、煙草を喫むのが専門だった。

父は馬が好きで、よくテレビで競馬を見ていた。
もちろん賭けるのが好きなのではない、単に馬が走る姿が好きなのだ。

父は単に馬が好き、走る馬の躍動感が好き。
つまりギャンブルマンではないということだ。

生きている存在の躍動感が好きだということは、つまりはバイオフィリアだったのではないかと思う。

バイオフィリア。
生きることを好むというセンスは実に大事なことで、生への貪欲な愛好があるからこそ、生きることが楽しめるのではないかと思う。

こんなことを言っては怒られるかもしれないが、生きている人間が、生きている存在の躍動感を好まないことこそ、これは何かの病ではないかと思うようになった。

仕事や病など、何らかの事情で動けない人を除けば。

私は棺桶に片足をつっこんむ年でもないのに、何故家に引きこもって、ネット三昧の毎日を送っていたのだろう?

もっとも病の症状で、外出困難だという理由はあるのだが。

さて、何の因縁かは知らないが、TBSラジオの競馬中継を聴いて、亡き父の馬好きを思い出し、それからバイオフィリアの方面に意識が向いた。

そしたら自分が、動より静を好む気持ち。すなわちネクロフィリアな考えを持っていることに気が付き、今からでも遅くないからバイオフィリアな方向に、意識を修正しようと思った次第である。

さて、文末になるが、父は太陽に愛されし、しし座O型の男であったことを記しておく。

以上、今日は体調が悪く、館で静養中のいけもと。