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目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

ただこいつら、明治の人たちとは違って、志の卑しいこと卑しいこと。

2021-06-26 14:12:12 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
キーサン(メンタルを病んだ人たち)は、
エスタブリッシュメントが確立してくると増えてきて、終戦直後のような、みんなが貧しい時代になると減ってくる。

人には変なうぬぼれがあって、自分はどこそこに所属しているから偉いんだ!
などと妄想して、うぬぼれたことをやり始め、それをそのコバンザメ一味が外護する。

そうそう、昔の「平家にあらずんば人にあらず。」みたいな意識ね。

そんなのが通り始めると、キーサンは増えてくる。
平家にも無能者はいるし、役人にも無能者がいるから。

俺はどこどこ省の官僚なのに、なぜ、審議官になれないんだ?
とか、
なんであの人は、キャリア組っていうだけで、無能なのに本省課長になれるんだ?

みたいな感じになって、メンタルの弱い人たちが、メンタル疾患になって、社会をドロップアウトしていくんです。

さて、小泉流の格差社会マンセーで、エスタブリッシュメント確立し始め、新型コロナでオーラスに入り、上級国民たちが思い上がった言動をするようになりました。

さて、キーサン(メンタルを病んだ人たち)が、増えるや否や?

これは余談ですが、これって一種の動乱期なわけです。
これで太ったパソナ、電通、博報堂。おまけに薬屋さんたちが新興財閥になりました。

それと、ひろゆき、ホリエモンたちのネット長者ね。
ただこいつら、明治の人たちとは違って、志の卑しいこと卑しいこと。

しょうがねえなあ。



バイブルを読んでみるに。

2021-06-26 13:04:33 | しんぶんクロハタ並びに小黒金剛石
新約聖書を読んでごらんなさい。
嫌われ者たちの神じゃございませんか。

旧約聖書を読んでみると、この神自身まともじゃない。
ほかの神々は直系の子孫がいるのに、こいつだけはホムンクルスよろしく、氏子を作ったというんだから、まったくわけのわからない神でございます。

そして作った連中のうち、天使と呼ばれる連中の三分の一は「自由意志」でこいつを裏切り、人を作れば罠にはめて楽園から追い出してみたり(失楽園)、えこひいきして世界最初の殺人の原因になってみたり(アベルとカイン)、さらには洪水を起こして生き物を皆殺しにしてみたり(ノアの洪水)、挙句の果てには魔に迫害の許可を与えて不幸のどん底に陥れ、「なぜそんな目に遭わせるんだ!」と理由を聞くと、逆ギレして黙らせる(義人ヨブ)。

まあ、とんでもないやつもいたもんだ。

まともな理性の持ち主ならこんな奴は相手にしたくありませんよね。
それでバアルだのアシュラだのに乗り換えると、逆ギレして、人民を虐殺してみたりほかの民族の奴隷にさせてみたりして、まあやることなすこと普通じゃない。

ある教団の神学院院長が「バイブルはYHVHの自己紹介だ。」と教えてくれた。

まあ、すさまじい神もいたもんで、ИКМТはこんなとんでもない神の氏子になる気なんざさらさらない。

こんな奴と契約して、その奴隷になろうって言い出すんだから、「お前正気か!」と日本の神々がお怒りになるのも当然だ。

そもそもこいつの計画とやらで、ビルゲイツは金満家になり、ホームレスはホームレスのままなんだから、それをひっくり返すための試みや祈りなんてのは、こいつに対する反逆でしかないだろう!

祈れ!というやつら。
それがわかんなきゃ、よっぽどのバカよね。

そんなわけでございます。
以上、管内関口二丁目でИКМТ。


新フロイト派、あれこれ。

2021-06-26 02:47:56 | いけてつオタク話
目覚めた意識はアリストテレス論理学で考えている。
アリストテレス論理学。
簡単に言えば、排中律。
主語は述語か述語の否定であるかのいずれかである。
これを出発点に置く論理学である。

排中律とは記号化すると以下のとおりである。
S=A⋁notA

ぶっちゃけ、明治以降の学校制度で頭のいい人と呼ばれている人たちは、いかにアリストテレス論理学のセンスがあるかどうか(長屋のご隠居のような因果を含めて熊さん八さん与太郎さんなどを説得するなどという能力は全く要求されない)なのである。

閑話休題。

実はメンタルを病んだ人たちは、アリストテレス論理学の論理平面では生きていない。
彼らを理解する最高の人々は、四大聖人であろう。
が、別のその人たちがメンタルを病んでいるというわけではない。

彼らの比喩、または方便。は、実に精練されている。

ゆえにメンタルを病んだ人たちが比喩で語りかけても彼らは即座に理解し、彼らをいやすのに適した比喩でそれを返し、彼らを救う。

ぶっちゃけメンタルを病んだ人たちは、我利と思いやりの板挟みになって、身動きが取れないのである。

何やら夭折した人々は、「なぜ私はもっと我利我利君(さん)にならなかったんだろう?」と悔い、長寿を全うした人たちは、「ああ、私は隣人愛の実践が足りない我利我利君(さん)だった。」と懺悔して亡くなっていくそうである。
それがカッコつきの健常者の生き方である。

閑話休題。
ぶっちゃけメンタルを病んだ人たちの言葉を理解するカギは、万物相応論(言い換えれば、天台教学の三世間融通。)である。

そのロジックにおいては、個人とそれとホログラムの関係になっている世界であり、個人病むがゆえに宇宙が病み、宇宙病むがゆえに世界が病む。という理屈が成り立つ。

この論理でいけば、「自分=アダムカドモン(原始巨人)が高熱を出しているので、地球が熱くなっている。ゆえに私が氷枕で頭を冷やせばいいのだ。」という、常識では理解しがたい説が成立するのである。

ここで目的説をとれば、彼は地球になりたい意思を持っているので、こんなことを主張するのである。もしかしたら彼(彼女)イエスキリスト以上の救世意思を持っているのかもしれない。

話を元に戻そう。
アリストテレス論理学の世界でいえば、まさか個人と地球が同じであるとはだれも思わないであろう。
ただ、維摩居士流の「衆生病むがゆえにわれ病む。」
こんな境地にならないとわからないであろう。

とにかく彼らは彼らの情熱をもって、その情熱を芸術とは違うやり方で表現している芸術家なのである。

ある種ИКМТは、狂気を「正気」の人たちに理解できるように表現する翻訳者なのかもしれない。
(しょってるかもしれないが)

そんなわけである。
あらら、もう時計の針は、午前三時

池ちゃんはもうしばらく起きて、寝るわいな。

そんなわけでございます。
以上、管内VYFBなところで、ИКМТ。