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目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

蝋梅の花が満開です。

2018-01-11 17:07:43 | 初期の記事
こないだふらふらと散歩に出かけたら、近所のお宅の庭先に蝋梅が満開の花を咲かせていました。

個人のお屋敷の庭なので、写真のアップは勘弁してくださいね。

自然にはまったく無駄はないそうですから、この蝋梅の蜜は何かの生き物のご飯になるのでしょうね。



新成人たちに捧ぐ。

2018-01-08 09:04:45 | 初期の記事
マキャベリズム、マキャベリストで有名なマキャベリ。
彼の本にこんなことが書いてあります。もちろん、意訳ですが。

何でも彼の主張によれば、
人生=運命+人為。
なんだそうです。

無為自然も結構ですが、たとえば中国の黄河。
氾濫して手がつけられなかったそうですが、古代中国の治水家が仲間を指揮して治水工事を行い、滅多に氾濫しなくなった功績から民衆が彼を王として推戴したそうです。

中国の黄河。
毎年台風が来る季節になるたびに氾濫していた黄河が、治水という人為的行為によって、氾濫しなくなる。

たとえていうなら、
黄河=自然の流れ+治水。これからの類推で、人生=運命+人為。
こう言えるのではないでしょうか。

マキャベリによれば、運命は人生に大きな影響を与えますが、残りの部分は人間の努力に任せているそうです。

さて、話は変わりますが今日は成人式。
人生最後の日まで、いろいろなことがありますが、一つ私にブログの記事を思い出して、様々な運命に対して、人為=(自分や周りの人たち)の力で、乗り切っていただきたいと思います。


三つ子の魂百まで。

2018-01-02 00:36:14 | 初期の記事
今日は身内ネタです。

妹が年末年始と風邪を引き、母と私とで妹の看病です。
さて、その妹なのですが、妹の舌は幼いころ食べた味を、しっかりと覚えていたみたいです。

うちはいつも、本だしかつおだしと仙台味噌なのですが、それだと具だけ食べて、肝心の味噌汁は飲まないのですが、妹が赤ん坊のころ、田舎で食べさせた、本だしかつおだしと米麴の味噌の味は舌が覚えていて、具を平らげた挙句、味噌汁も飲むのです。

それだけではなく、田舎で妹が熱を出すたびに、母がおかゆを作って、卵の黄身を入れたおかゆを食べさせていたら、もう、四十過ぎになるのに、卵の黄身入りのおかゆだけは平らげるのです。

もう、立派な大人になった妹なのに、私はそれを見ていて、小さいころ私の手を握れず、私の右手の小指を握り締めててこてこついてきた、幼いころの妹を思い出すのです。

私はそれを思い出して、もう四十過ぎの妹が、私の頭の中では、まだ、二つか三つのかわいい盛りの妹なのです。

三つ子の魂百まで。
三歳の頃に食べたあじをもう四十過ぎになる妹の舌が覚えている。
と同時に、本人にもいえますが、親兄弟にとっても、いつまでたっても子や兄弟は、三つ子のかわいい盛りなのだと思いました。

今年も来たヒヨドリ。

2017-12-31 16:30:13 | 初期の記事
今日は大晦日。
大掃除も終わり、ぼーっとして過ごして夕方を迎えました。

さて、今日はブログに何を書こうとネタに困っていたところ、窓のベランダに以前ブログに書いたヒヨドリが、今年もまた「ご飯ちょうだい」とやってきて、サッシの戸をくちばしでとんとんとたたきました。

大晦日の晩にやってくるなんて・・・。

さて、話は変わりますが、私の母方の曾祖父は、大晦日の晩に漁師に追われて逃げてきたキジをかくまい、お正月に神社の山から逃がしたところ、毎年毎年代を次いで、そのキジやキジの子孫が来たそうです。

最近は、母方の実家は、防犯対策から後ろの森を伐採したようなので、最近、まだキジが来ているのかどうかわかりませんが・・・。

案外、私は曾祖父の生まれ変わりで、今年も来たヒヨドリは案外そのときのキジの生まれ変わりかも・・・。

なんか不思議こともあるものだなあと思った、2017年の大晦日でした。

鳥や植物にも心がある。

2017-12-19 22:15:31 | 初期の記事
鳥にも心がある。
僕はそう思っています。

僕がまだ、ペットを飼える身分だった頃、僕に駆け寄ってきたセキセイインコの雛を買い求めようとして、まだ、売買できる歳ではないので、もう少ししてから買い求めてくださいと店員さんに言われました。

そして、売買できる歳になったところで買い求めて、家に連れて帰り、母がお湯に浸した餌をあげようとしても、拒否して飛んで逃げてしまうのです。

僕はこの子は大人だから、大人の餌をあげようといって大人の餌をあげたら、そのインコは大人の餌を食べたのです。

気持ちがわかってもらえてうれしかったのか、それからそのインコは、僕だけになつくようになりました。

僕はその頃、病気の症状を抑えるために強い薬を飲んでいて、そのインコとはあまり遊んであげられませんでした。

でも、僕が布団に寝ていると、母のところから飛んできて、僕が寝ている様子を見て、安心して母のところに戻ったり、調子のいいときは、私の足の上に乗って毛繕いして、寝てしまうのです。

それ以来、僕は鳥にも心がある。
そう思うようになりました。

それと、僕がミカンを食べて、残った種をベランダのプランターに植えたら、なんと実生で芽生えて成長し、なんと一年目に花を咲かせたのです。

もしかしたら、ミカンの種にも心があって、ゴミに出されて焼かれて殺されてしまうのに、生かしてくれてありがとうと、お礼の気持ちから花を咲かせたのかと僕は思いました。

こんなことを書けば、鳥や植物に心があるだなんて、馬鹿なことをいう人だと思われるかもしれませんが、実話です。

話を戻しましょう。
僕がそのインコに、おまえは僕の息子だといったら、僕がいるところで母に向かって、
「おばあちゃん」
そういったのです。

ですが、そのインコは、七年前の今頃、寒い夜の晩に虹の橋の袂にいってしまいました。