港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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『1月17日』

2019-01-16 18:21:07 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆ ダリダ Dalida (1933.1.17~1987.5.03)



エジプト出身のイタリア系フランス人で歌唱力の豊かな歌手です。
1954年にミス・エジプトとなり直後にフランスに移住、同年にフランス映画"Joseph Et Ses Freres"(ヨセフとその兄弟)で
映画デビューしましたが彼女の作品はすべて日本では公開されておりませんのでその詳細を知ることができません。
その後の1956年からフランスで歌手活動を始め、バイリンガルを武器にして多国語のレコードをリリースしています。
ただ、『ラ・メール』『ラストダンスは私に』『ラスト・ワルツ』などカヴァーばかりでフランスでは1973年に
ベストワンに輝いたアラン・ドロンとのデュエット曲『あまい囁き』も、元歌はミーナ・マッツィーニの持ち歌の
『パローレ・パローレ』で、彼女を代表する彼女自身の一曲がないのがとても残念です。
多くの人を魅了し才能あふれ、恋多き美人でしたが、内面は繊細で孤独だったようで、睡眠薬の大量摂取による自殺
という最悪の結果でモンマルトルに眠ってしまいました。
↓はダリダとアラン・ドロンの『あまい囁き』【YOUTUBEより】 



☆ フランソワズ・アルディー Françoise Hardy (1944.1.17~ )



フランソワズ・アルディーは1960年代初期の元祖フレンチ・アイドル歌手です。
1963年に"L'amour S'en Va"(恋の終わり)でモナコ代表としてユーロビジョン・コンテストで5位入賞を果たしていますが、
シルヴィー・ヴァルタンやフランス・ギャルなどが日本で華々しくヒットしたのに比べると、殆ど無名に近かったようです。
デビューは1962年の『青春のブルース』(日本では1966年にリリース)で、その後の1964年『さよならを教えて』などが
リリースされていたのですが日本のヒット・チャートには無縁でした。
↓はフランソワズ・アルディーの『青春のブルース』【YOUTUBEより】 



☆ アーサー・キット Eartha KItt (1927.1.17~2008.12.25)



サウスカロライナ州コロンビアの農家生まれのアフリカ系のポピュラー・シンガーです。
誕生の秘話や幼育時に関してはあまり芳しくない諸説があるようですがここでは触れないでおきます。
二十歳を過ぎたころに所属していた舞踏団の欧州公演を機に、フランスやトルコなどのクラブに歌と踊りで出演するようになり
1953年にエキゾチックな『ウシュカ・ダラ』で歌手デビュー、続く『セ・シ・ボン』が全米8位の大ヒットになりました。
その後も多国語を使いながらヒット曲を量産し、死の前年まで世界を駆け巡るエンターティナーとして活躍し続けました。
その間、ベトナム戦争反対、社会批判活動などの政治的パフォーマンスが響き、一時アメリカで芸能活動を干される時期が
ありましたが、その行動は幼少期の辛い過去に原因があったのかもしれません。
【主要歌唱曲】
1953年『ウシュカ・ダラ』 Uska Dara (A Turkish Tale) 【YOUTUBEより】 

1953年『セ・シ・ボン』 C'est Si Bon
1954年『ウエディングベルが盗まれた』 Somebody Bad Stole De Wedding Bell 【YOUTUBEより】 

1954年『家へおいでよ』 C'mon a my house
1955年『ショー・ジョー・ジ』 Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon) 証城寺の狸囃子 【YOUTUBEより】 

1957年『ヤンミー・ヤンミー』 Yomme, Yomme 【YOUTUBEより】 

1960年『ショーレム』 Sholem


☆ クリス・モンティス Chris Montez (1943.1.17~ )



ロサンゼルス生まれのメキシコ系米国人で、ラテン系のソフト・ロック・シンガーです。
1962年にリリースした2枚目のシングル『レッツ・ダンス』が全米4位、またイギリスでも全英2位のヒットとなったため
以降は英国での人気が高く1960~70年代にかけて通算4曲がトップ10を記録したようです。
日本では『レッツ・ダンス』は全くヒットしていませんが、逆に米英でヒットしなかった1969年の自作曲『愛の聖書』は
大ヒット、皮肉なものですね。
↓はクリス・モンティスの『愛の聖書』【YOUTUBEより】