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『1月20日』

2019-01-19 17:58:58 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆ フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini (1920.1.20~1993.10.31)



ネオ・リアリズムの影響を受けネオ・ロマンティシズムという映画作法で新時代を築いたイタリアを代表する映画監督です。
1939年にローマに出て脚本を書き始め、1945年にはロベルト・ロセリーニ監督の『無防備都市』の脚本を共同執筆し、
翌46年に同監督の『戦火のかなた』で脚本と助監督を担当しロセリーニから強い影響を受けました。
1950年にアルベルト・ラトアーダと共同監督した『寄席の脚光』(日本未公開)で監督デビューを果たしました。
フェリーニがその存在価値を世界に知らしめたのは1954年の『道』で、人間の神性と獣性を描きながら純粋無垢な魂を讃え、
イタリアン・リアリズムの原点である現実直視を鋭く凝視しながらも未来に希望を…というロマンティシズムを付け加える
手法を試み、これによってネオ・ロマンティシズムの確立を成し遂げました。
1960年には『甘い生活』で、経済高度成長の一方で退廃化してしまった現在社会の病根を鋭い視線で描いた衝撃作を発表、
1963年には『8 1/2』で現代人の不毛を象徴主義的に映像化して人生の意義を問う自叙伝的作品において、映画の本質は
物語ではなく映像表現であり、いかにして訴えたいこと(魂の叫び)を、映像で表現するかという映像芸術の原点に挑戦、
この成功によってベルイマン監督の『野いちご』に並ぶトーキー芸術映画の頂点を極めることになります。
その後は『8 1/2』の女性版ともいわれる『魂のジュリエッタ』、人間の根源的な欲望を突き止めた問題作『サテリコン』
など話題作を発表し続けましたが、『サテリコン』以降に見られる色彩作品に映像美学を見出すことができませんでした。
モノクロの光と影の対比による映像美学を捨てた段階でフェリーニの映画芸術は終焉を迎えてしまったのかもしれません。

【主要監督作品】
1950年『寄席の脚光』  Luci del varieta (ラトアーダと共同監督)
1952年『白い酋長』  Lo Sceicco bianco
1953年『青春群像』 I Vitelloni 
1953年『巷の恋(第3話)』 L'Amore In Citta
1954年『道』 La Strada 

1955年『崖』  Il Bidone
1957年『カビリアの夜』 Le Notti di Cabiria

1960年『甘い生活』  La Dolce Vita

1961年『ボッカチオ'70(第2話)』  La Dolce Vita
1963年『8 1/2』Otto e mezzo

1965年『魂のジュリエッタ』 Giulietta degli spiriti 
1967年『世にも怪奇な物語(第3話)』Histoires Extraordinaires
1970年『サテリコン』Fellini - Satyricon

(幼少期の頃はサーカスに夢中になり何度も家出して一段に潜り込みその都度連れ戻されたという逸話があります。彼の
映画の断片にサーカスへの憧れが強いノスタルジーとして刻み込まれているのはそういった過去に由来するものでしょう)


☆ ジヨルジュ・プージュリー Georges Poujouly (1940.1.20~ )



1951年の『禁じられた遊び』でミシェル役で子役としてデビューしたフランスの俳優です。
子役として数本の映画に出たのち正式に演技を学ぶために演劇学校に通いましたが、傍役や端役に甘んじ、
1962年の『悪徳の栄え』以降彼の姿を見ることはありませんでした。

【主要出演作品】
1951年『禁じられた遊び』Jeux Interdits

1954年『悪魔のような女』Les Diaboliques
1956年『素直な悪女』et Dieu...Crea la femme
1957年『死刑台のエレベーター』Ascenseur pour L'echafaud
1959年『ひと夏の情事』Une Fille pour L'ete
1962年『悪徳の栄え』Le Vice et la Vertu


☆ レイ・アンソニー Ray Anthony (1922.1.20~ )



1950~60年代にムード音楽の小編成バンド、レイ・アンソニー楽団のリーダーです。
1940年から41年にかけてグレン・ミラー楽団にトランペッターとして参加、41年から米国海軍に入隊し大戦終の1946年に
自身のバンドを結成して独立、ジャズというより軽音楽、特にムード音楽の分野で名を上げました。
1950年にはロニー・ダーヴェルをヴォーカルとした『ハーバー・ライト』が全米15位のヒット、1958年には
ヘンリー・マンシーニのカヴァー曲『ピーター・ガン』が全米8位のヒットを記録していますが、日本では
あまり知られていないようです。また、1961年にサム・テイラーの『シャンゼリゼのブルース』と競合した
邦題『夜に咲く花』も日本でもミニ・ヒットに終わっています。
また、映画『女はそれを我慢できない』『五つの銅貨』などにも楽団としての出演を果たしていました。

↓はレイ・アンソニー楽団とロニー・ダーヴェルの『ハーバー・ライト』【YOUTUBEより】 


↓はレイ・アンソニー楽団の『夜に咲く花』【YOUTUBEより】 




【ご命日】

★オードリー・ヘプバーン Audrey Hepburn (1929.5.04~1993.1.20)



妖精のようなの女優として世界中で人気を博したベルギー生まれのアイリッシュ系英国人。
主要出演作品として『ローマの休日』『昼下がりの情事』『ティファニーで朝食を』『噂の二人』などがある。