港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『シェルブールの雨傘』 旅の友・シネマ編 (31) 

2020-01-26 04:20:46 | 旅の友・シネマ編



『シェルブールの雨傘』 Les parapluies de Cherbourg (仏)
1964年制作、1964年公開 配給:東和 カラー
監督 ジャック・ドミ
脚本 ジャック・ドミ
撮影 ジャン・ラビエ
音楽 ミシェル・ルグラン
主題歌 『シェルブールの雨傘』 Les parapluies de Cherbourg
主演 ジュヌヴィエーヴ … カトリーヌ・ドヌーヴ
    ギイ … ニーノ・カステルヌオーヴォ
    エムリー … アンヌ・ヴェルノン
    マドレーヌ … エレン・ファルナー
    カサール … マルク・ミシェル
    エリーズ … ミレーユ・ペレー



港町シェルブールに住む20歳の自動車整備工のギイと雨傘店の娘で17歳のジュヌヴィエーヴは結婚を誓い合う仲であったが
ギイに軍隊からの召集令状が届き、2年間アルジェリア戦争での兵役をつとめることになった。ギイは幼馴染みのマドレーヌに
伯母エリーズの病床の世話を頼み、見送りに来たジュヌヴィエーヴとシェルブール駅舎で別れる。
ギイは戦線に出征したが やがて音信が途絶えてしまった。ギイの子供を宿していたジュヌヴィエーヴはギイが戦死したものと
思込み、宝石商のカサールから身重を承知で結婚を申し込まれ受諾、雨傘店を閉じた母親と共にパリへと移った。
出征してから一年半が経ち、足を負傷し除隊となって帰郷したギイはジュヌヴィエーヴの結婚を聞かされてショックを受け荒んだ
生活を送る日々が続いたが伯母が亡くなり心を改めて、マドレーヌと結婚し伯母の遺産でガソリンスタンドを購入した。
それから数年が経った雪のクリスマス・イヴ、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった直後に、偶然
給油に立ち寄ったジュヌヴィエーヴと五年ぶりに再会する。



ヌーヴェルヴァーグ左岸派のジャック・ドミの草案により、オペラ形式によるすべての台詞を出演者に唄わせるという手法による
画期的なオペレッタ作品で、切ない愛の姿をテーマにした傑作です。
美しい港町シェルブールを舞台にして、今でも心の奥で愛し合っている二人の切なくて残酷な愛の姿を溢れんばかりの情感を
もって浮き彫りにさせ、ラストシーンの二人の会話を虚しくもさりげない言葉を並べるだけに留めることによって残酷さを強調し、
どちらかといえば現実的なドキュメンタリータッチが主流で小難しい部類の左岸派の中にあって「雨に始まり雪で終わる」という
映画文法の基本を守るなどヌーヴェルヴァーグとは思ぬ堅実なイメージ処理によって観る者の心を激しく揺り動かすことに成功、
左岸派としては異色な存在感を示しました。



映画作家ジャック・ドミとしてはこの作品があまりにも出来すぎたとの印象が強く、次作となる『ロシュフォールの恋人たち』では
メランコリックなミュージカルに終始しすぎて失敗、しかしながらミュージカルとファンタジーをこよなく愛し、少年のような心で夢を
追い続けた特異な存在でした。
私自身もジャック・ドミの魔法にかかった一人としてこの作品を高く評価してしまいました。




主題歌の『シェルブールの雨傘』はミシェル・ルグランの作曲によるもので、映画のシナリオがすべて歌曲になっていますので
作詞は脚本を書いたジャック・ドミィということになります。主たるメロディーラインはほぼ全編を通じており、タイトルバックの
インストゥルメンタル、駅舎での別れ、そしてラストシーンは必見です。
また、ジュヌヴィエーヴはダニエル・リカーリ、ギイはジョゼ・パルテル、他の俳優も全て吹替えとなっています。

↓は『シェルブールの雨傘』のオープニング 【YOUTUBEより】


↓は『シェルブールの雨傘』の駅舎の別れ 【YOUTUBEより】


↓は『シェルブールの雨傘』のエンディング 【YOUTUBEより】


寒中お見舞い申し上げます

2020-01-20 14:00:40 | 独り言



今日、1月20日は二十四節気の大寒にあたるそうです。
大寒はこれまで 1月19日や21日の年もありましたが
2017~2052年までの間は 1月20日 だそうです。

  *****

年賀状を廃止してもうン十年
それでも年賀状をくださっていた方々には
寒中見舞い を差し上げていたのですが
これにて最後にしようと思っているところです

『太陽はひとりぼっち』 旅の友・シネマ編 (30) 

2020-01-18 17:16:56 | 旅の友・シネマ編



『太陽はひとりぼっち』 L'Eclipse (伊)
1962年制作、1962年公開 配給:ヘラルド モノクロ
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本 ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ、エリオ・バルトリーニ、オティエリ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽 ジョヴァンニ・フスコ
主題歌 『太陽はひとりぼっち』 L'Eclipse Twist  
主演 ヴィットリア … モニカ・ヴィッティ
    ピエロ … アラン・ドロン
    リカルド … フランシスコ・ラバル
    ヴィットリアの母 … リッラ・ブリグノン
    アニタ … ロッサナ・ローリ



ヴィットリアは三年間交際していたブルジョアの婚約者リカルドに別れ話を持ち出し、未練がましいリカルドを振り切って婚約を
解消した。ヴィットリアは証券取引所で相場を張っている素人投資家の母を訪ねるが株価の乱高下に夢中な母は彼女の話を
聞こうとはしない。その母は株の大暴落で大きな損失を抱えてしまった。ヴィットリアは虚無感を背負ったまま女友達のアニタ
たちと深夜のアパートでふざけたり、その夫の操縦するセスナに乗ったりと気分転換を図ったが気だるい気分は解消できない。
ヴィットリアは再び訪れた取引所で証券会社のピエロと出会い親密な仲になる。ピエロは「明日会おう、明後日も、次の日も」と
言うものの、お互いに真剣に愛し合っても二人の間にはお互いに埋められない深い谷間があることを思い知らされる。ピエロの
言葉はヴィットリアには虚しく響く。都会の中の廃墟のような町の風景が二人の愛を暗示しているかのよう見え、ヴィットリアの
精神は無情にも蝕まれてていく。



この作品は独自の知的リアリズムで愛の不毛を描き、世界映画史に燦然と名を残したイタリアの鬼才と呼ばれたアントニオーニ
監督によるものです。アントニオーニは第二次大戦後にネオ・リアリズムの影響を受け、映画は単に物語を見せるものではなく、
登場人物の心理を映像表現するという作風で、1957年の『さすらい』で孤独に苛まれ絶望しながらも脱出を求めて苦悩する
主人公の姿をモノクロの映像美の中に心の渇きを荒涼として広がる冷淡な風景と重ね合わせるというイメージ処理によって
独特の映像芸術を確立し、他に追随を許さない知的リアリズムを完成させました。



アントニオーニは次いで「愛の不毛三部作」と称された作品群を発表します。『情事』『夜』そしてこの『太陽はひとりぼっち』です。
『情事』では物語性を排除して登場人物の心理を映像表現する映画へとさらに進化させて不要な説明を一切せず、心の繋がりを
失って孤立し漂流する現代人の不安と孤独や癒しきれぬ真実の愛の渇きを、背後に広がる無人の冷淡な風景を多用しながら、
表向きでは繋がっている男女も実際は互いに隔絶し冷たい浮遊の個にすぎないという愛の不毛を映像で表現、『夜』においても
離婚の危機に瀕した中年夫婦を主体として都会に生きる男女の埋めることのできない断絶感を完成された知的リアリズムで
描き切り、この『太陽はひとりぼっち』においても人間同士の断絶感を廃墟のような都会の情景を積み重ねるショットによりその
心情をさらに深化した映像で綴りあげています。



これらの「三部作」に共通していえることはいずれの作品もストーリーがありません。アントニオーニ作品は物語の起承転結を
見せるものではなく、登場人物の心理を映像で表現するのを目的としている映画なので下手なストーリーは不要なのです。
『太陽はひとりぼっち』 においても、黒人女性に扮してボディ・ダンス、セスナでローマの上空を旋回、証券所の喧騒、水没した
オープンカーの引揚げ、など説明を一切せずに何の脈絡もない日常の一コマとして利用しながら心の渇きを抽象的に表現し、
映像芸術を確立したラストシーンがそれを見事に象徴しています。





巷ではアントニオーニの作品は難解だといわれています。重ねて申しておきますが、アントニオーニ作品は物語の起承転結を
見せるものではなく、登場人物の心理を映像で表現する知的リアリズム映画なので、筋書きのあるドラマだと決めつけて観ると
意味不明な凡作にしか見えないでしょう。
当時、映画に先行して爆発的にヒットした主題歌や、アラン・ドロンの恋愛映画という期待で映画館に通った人々の見終わった
あとの失望感は半端なものではありませんでした。この意味不明の作品がキネマ旬報、映画の友、スクリーンなどの映画誌の
1962年度ベストテンで堂々の4~5位の高評価となればきっと納得がいかなかったことでしょうね。



  *****

ツイストとブルースを融合させたような主題歌はアントニオーニの明友ジョヴァンニ・フスコの作曲によるものです。
これを和製のコレット・テンピア楽団が演奏したレコードがリリースされて各種のラジオ番組で爆発的な大ヒットになりました。
映画ではタイトルバックでミーナ・マッツィーニが唄っている一節以外はほとんど流れず、それも小さな音量でしか聞くことが
できませんでした。映画音楽に期待していた人も肩すかしを食らったかもしれませんね。

↓はミーナ・マッツィーニの『太陽はひとりぼっち』 YOUTUBEより


↓はジョヴァンニ・フスコ楽団の『太陽はひとりぼっち』 YOUTUBEより


↓はコレット・テンピア楽団の『太陽はひとりぼっち』 オリジナル盤 YOUTUBEより



あっ、いっ、うぅ

2020-01-17 23:56:16 | 独り言

今週になって歯痛が激しくなり
大嫌いな歯科に行ってきました。
抜歯以外に治療方法がないとのことで
(わたし的には)死闘の末に
初めて永久歯を一本失いました。
とりあえずは歯痛はおさまりましたが
いずれ、また失うことになるかもしれません。

*****

本日は阪神淡路大震災から節目の25年でした。
毎年、ボランティアが行う追悼には顔を出していたのですが
そんなこんなで今年は参加できませんでした。
震災の傷跡も失せ、震災を知らない世代が多くなり
風化し始めてきているようです。
さらに南海トラフ地震もいずれ発生すると思われます。
震災を風化させずに
被災の教訓をいかして、次に起こる災害を
いかに小さくおさえこめるように出来るかを
行政と共に真剣に考えなければなりませんね

『道』 旅の友・シネマ編 (29) 

2020-01-13 11:55:37 | 旅の友・シネマ編



『道』 La Strada (伊)
1954年制作、1957年公開 配給:イタリフィルム モノクロ
監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネリ
撮影 オテロ・マルテリ
音楽 ニーノ・ロータ
主題歌 『ジェルソミーナ』 Gelsomina
主演 ザンパーノ … アンソニー・クイン
    ジェルソミーナ … ジュリエッタ・マシーナ
    「キ印」(イル・マット) … リチャード・ベースハート
    コロンバイオ―二 … アルド・シルヴァーニ



野獣のようで力自慢がとりえの大道芸人ザンパーノは相棒の助手を亡くしたため、貧しくて頭の悪いジェルソミーナの買取りを
彼女の母親に求め、母親も口減らしのためにジェルソミーナは一万リラで売られてしまう。二人はオート三輪で大道芸の旅に
出発した。ある時二人は小さな曲馬団に参加したが、ザンパーノはその一団の「キ印」と呼ばれている綱渡り芸人からさんざん
からかわれて険悪な関係となるがジェルソミーナは「キ印」が弾くヴァイオリンの哀しいメロディに引きつけられ、彼と親しく口を
きくようになる。しかしザンパーノは「キ印」とのトラブルがもとで曲馬団を追われ再び大道芸の旅に出かける。旅の途中、二人は
修道院で一宿一飯の世話になるがザンパーノはジェルソミーナに手伝わせて盗みを働こうとする。盗みは未遂に終わったが
ジェルソミーナはそんなザンパーノと別れてこのまま修道院に残りたい気持であったが結局はザンパーノと共に歩む道を選ぶ。
そんな旅の途中二人は「キ印」と出会ってしまった。当然のごとく争いが始まり怒ったザンパノーはジェルソミーナの見ている
前で「キ印」を殴殺してしまった。「キ印」を放置したまま二人はオート三輪で旅に出るがジェルソミーナは事件のショックで立ち
直れなくなってしまい、もてあましたザンパノーは雪の山道にジェルソミーナを棄てて去ってしまった。
それから数年、この町に戻ったザンパーノはジェルソミーナがいつも口ずさんでいたメロディーを耳にした。唄っていた少女に
聞くと四、五年前この町で病死した女が、いつもこのメロディを唄っていたという。ザンパーノは夜の海浜でひとり泣き崩れた。



この作品はフェリーニと脚本家のトゥリオ・ピネリが書き下ろしたオリジナルで、人間の神性と獣性を描きながら純粋無垢な魂を
讃えたフェリーニの初期の傑作です。後の『甘い生活』や『8 1/2』にみられるような難解性もなくどちらかというとわかりやすい
ストーリーを軸にしてリアリズムで残酷さと優しさを克明に対比してみせ、人々の感性に激しい揺さぶりをかけています。また、
フェリーニ作品の神髄でもある「魂の救済を求めながらも挫折する人間の弱さ」を痛烈に表現しながらも、ラストシーンでは明日
への希望を捨てさせないロマンティシズムで締めくくっています。



監督のフェリーニは現実直視型のネオ・リアリズムのロベルト・ロセリーニ監督の脚本を担当したことで多大の影響を受けました。
この作品を監督するに至ってもネオ・リアリズム的描写の真実味を軸として、さらに現代社会の虚しさの中に人間の内面を厳しく
追求しました。その上で現実直視型のネオ・リアリズムを踏襲しながら、荒廃した冷たい現実から未来に希望を託すという独自の
ロマンチシズムの要素を加えた映像世界を築き上げたことでした。
その手法はネオ・ロマンティシズムとも称され、フェリーニはこの『道』によってイタリア映画界の新しい道を切り開きました。




この映画の主題歌の哀愁をおびた『ジェルソミーナ』はフェリーニの盟友でもあるニーノ・ロータの作曲によるもので、映画では、
山村の修道院でジェルソミーナがトランペットを奏でるシーンが印象的でした。またロータは他にもマーチ調の『ラ・ストラーダ』も
作曲しており、この二曲を組み合わせたものがサントラ盤としてレコード化されています。
しかし、日本では、サントラ盤よりもスリー・サンズのRCAレコードが大ヒットしました。

↓はスリー・サンズの『ジェルソミーナ』 【YOUTUBEより】


↓はニーノ・ロータ楽団による『ジェルソミーナ』 【YOUTUBEより】