港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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映画に目覚める

2013-05-31 07:16:52 | シネマ

私が真剣に観るようになったのは1962年だったかもしれません。
それまでは、映画の価値観も考えずに手当たり次第に観たものでした。
観たい映画の選定は、どんな俳優が出演しているか、その映画の宣伝文句、雑誌などによる前評判、友人の感想などでした。
また、アカデミー賞や各種映画祭の受賞、優秀映画鑑賞会推薦なども参考にしていました。
それに、ポピュラー音楽が好きだったこともあり、映画主題歌がヒットすればそれに釣られることも多々ありました。
早い話、単なる映画好きの一人で、映画は娯楽のひとつでした。

そんな折、出会ったのがキネマ旬報の過去のベストテン一覧表、そして飯島正先生著の『フランス映画史』による映画理論でした。
時も同じく、ATGが発足し非商業的な芸術作品の配給が開始されました。
映画に対するそれまでの価値観が一変することになりました。
私にとって、映画への目覚めです。
『野いちご』『尼僧ヨアンナ』『ウンベルトD』など映画史に名を残す名画と接することができたのです。


(イングマール・ベルイマン監督 『野いちご』より)

これまで見てきたアメリカ映画に代表される、ストーリー中心で起承転結が明確 なおかつ勧善懲悪、スターをヒーローに仕立て上げるハッピーエンドというパターンに虚しさを感じることになります。
とは言うものの、娯楽映画を否定するわけではありません。
ただ、芸術味の深いリアリズム映画に対して、より興味を持っているということなのです。

また、映画の本質を知りたくて、その歴史についても興味をいだくようにもなっていきました。

「ラ・クンパルシータ」(2)

2013-05-28 03:03:49 | アルゼンチンタンゴ

「ラ・クンパルシータ」(2)
また、この曲が作られたときには歌詞がありませんでした。
1924年にパスカル・コントゥルシとエンリケ・マローニが、音楽劇『キャバレーのとあるプログラム』でこの曲を使った際に、「シ・スピエラス…」という歌詞をつけたといわれています。
さらにガルデルがこれをレコーディングすると遠くヨーロッパでも大人気となり、またたく間に全世界に広がりました。
この曲が世界的な名曲になるとは思ってもいなかった作曲家のロドリゲスは既に二束三文で著作権を売り渡していたのです。
何も知らずにパリで新聞記者として赴任していたロドリゲスは著作権の取戻し裁判を起こし勝訴、さらには無断で作詞されたことに憤慨して自ら作詞した上、コントゥルシとマローニとも裁判沙汰になりました。
しかし、ロドリゲスが「ラ・クンパルサ…」と作詞して対抗したものの、既に定着している前の歌詞には及ばす、現在でも「シ・スピエラス…」が広く浸透しています。

この二つの歌詞がどのようなものなのか記してみます。

パスカル・コントゥルシとエンリケ・マローニの歌詞の訳
  あなたに解かってもらえるだろうか
  まだ私の心の中にはあなたに抱いた愛情を持ち続けていることを
  あなたは知っているだろうか
  私が決して忘れたことはないと
  あなたが過去を振り返れば私を思い出すだろう
    (以下省略)

ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスの歌詞の訳
  際限なく続く苦悩  あの病人には未来もない
  まもなくあまりの苦痛で死んでしまうだろう
  だから、ベッドの中で悲嘆にくれてすすり泣く  
  つらい過去を思い出しながら
    (以下省略)

前者は失恋の痛手を切々と訴え
後者はタンゴ歌手が死期に際して幼少期のことが走馬灯のように駆け巡る
という内容です。

↓はカルロル・ガルデルの 『 La Cumparsita 』 YOUTUBEより
いわゆる【Si supieras】です


でもって、ロドリゲスの起こした作詞に関する裁判の結論ですが、裁判は長期におよび、ロドリゲスは死去。
フランシスコ・カナロの仲介調停の結果、1948年に双方の権利を認める形で結審したといわれています。

「ラ・クンパルシータ」(1)

2013-05-27 05:42:07 | アルゼンチンタンゴ

アルゼンチンタンゴといえば真っ先に思い浮かべるのが「ラ・クンパルシータ」でしょう。
「ラ・クンパルシータ」はタンゴの代名詞といっても過言ではありません。
一日二十四時間、途切れることなく全世界で演奏され続ける曲といわれ、その浸透度はどんな楽曲も及ばないとまでいわれた名曲です。
ただ、この曲に関してはさまざまな逸話が残っていて何が真実なのかは今となっては検証すら不可能です。
この曲はアルゼンチンではなく、隣国ウルグアイの青年ヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲスによって作曲されました。
ロドリゲスが作曲した時は17歳で音楽的にもまだ未成熟であり、最初の2パートしか作っておらず、ロベルト・フィルポが第三パートを加え、さらには第一パートの裏旋律を加えることによって音楽的に完成したともいわれています。
ちなみに、ロベルト・フィルポがこの曲を最初に演奏したのが1914年だというのが一般的です。
レコードの最初の吹き込みは、ロベルト・フィルポ楽団、ファン・マグリオ・パチョ楽団、アロンソ=ミノット楽団が最古であるといわれています。
私の手元に当時のSPレコードをCD化したアロンソ=ミノット楽団の「ラ・クンパルシータ」があります。
かなりノイズが激しいですが、ファンとしては宝物のような貴重な存在です。

↓はロベルト・フィルポ楽団の 『La Cumparsita』 YOUTUBEより

バンドネオン

2013-05-25 09:19:54 | アルゼンチンタンゴ

通常タンゴの演奏はティピカ楽器によって演奏されています。
ティピカ楽器とは、バンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバスの四種で、中でもバンドネオンはタンゴに不可欠な楽器です。
バンドネオンには多種の様式がありますが、アルゼンチンタンゴではその演奏技術面からディアトニック式のバンドネオンによって演奏されています。
ディアトニック式バンドネオンは同じボタンであっても押しと引きで音が異なり、またボタンの位置も音階の順序になっていないため、悪魔の発明した楽器と称され、素人が触れると まるで神経衰弱ゲームのように感じてしまうことでしょう。
参考までに鍵盤の配列図を掲載しておきます。


名手たちが好んで使ったのはアルフレッド=アーノルド社製、いわゆる【AA(Doble A)】と言わるブランドです。
タンゴの命といわれるバンドネオンですが、AAは1940年代半ばに生産は中止されていて現役の数は減っていく一方です。
奏者は手入れに余念なく細心の注意を払いながら維持管理するのがやっとの状況だそうです。
やがては名器による演奏も聞かれなくなってしまう時代が来るのではないかという危惧に面しています。

↓はアニバル・トロイロ楽団の『Quejas de bandoneon (バンドネオンの嘆き)』 YOUTUBEより


タンゴ楽団の編成

2013-05-24 03:58:49 | アルゼンチンタンゴ

今日はアルゼンチンタンゴのバンド編成について記述してみようと思います。
タンゴ演奏には、ソロ、デュオ、トリオなどの編成もありますが、楽団編成となると四重奏以上になります。

クァルテート(四重奏団)
バイオリン=2、バンドネオン=1、ピアノ=1 という編成が基本です。
この編成の代表的なのがロベルト・フィルポ四重奏団です。
他にもティピカ楽器(バイオリン、バンドネオン、ピアノ、コントラバス)がそれぞれ一つという編成もあるようです。

キンテート(五重奏団)
バイオリン=2、バンドネオン=1、ピアノ=1、コントラバス=1 という編成が基本です。
フランシスコ・カナロのキンテート・ピリンチョが著名です。
違った編成としてはコントラバスを無くしてバンドネオン=2 という編成もあるようです。
また、名バイオリニストのフランチーニを中心としたキンテート・レアルはバイオリンを一つ外してギターを取り入れた斬新な編成になっています。

クアルテートやキンテートの小編成の楽団(いわゆるコンフント)は、即興的な演奏スタイルで古典風に演奏されるのが特徴です。

セステート(六重奏団)
バイオリン=2、バンドネオン=2、ピアノ=1、コントラバス=1 という編成です。
六重奏になると各楽器のセクションも確立されていてほぼオルケスタに近い編成となっています。
タンゴ初期には六人編成でオルケスタといわれていたようです。

オルケスタ
七重奏団(セプテート)八重奏団(オクテート)などと呼ばれる場合がありますが、通常七人以上の構成はオルケスタと称します。
また、基本であるティピカ楽器のみで構成された楽団を オルケスタティピカ (直訳すれば標準的楽団) と呼んでいます。
構成は、バイオリン=2~6、バンドネオン=2~6、ピアノ=1、コントラバス=1 が一般的です。
最大は二十人もの編成になることもあるようですが、代表的なカルロス・ディサルリのオルケスタティピカの編成は
バイオリン=6、バンドネオン=6、ピアノ=1、コントラバス=1 の十四人編成となっています。
モダンな演奏のマリアノ・モレスはフルートなども取り入れており、純粋なオルケスタティピカではなく、楽団名もリリカポプラールと称していました。

↓はオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルの『Adiòs Argentina』 YOUTUBEより