港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『1月1日』

2018-12-31 17:50:13 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆ ザビア・クガー Xavier Cugart (1900.1.01~1990.10.27)



『マイアミ・ビーチ・ルンバ』『マイショール』などにより【ルンバの王様】と称されたラテン・ミュージックの重鎮です。
バルセロナで生まれた後に一家でキューバに渡り、12歳の時には国立劇場交響楽団の第一ヴァイオリン奏者になりました。
やがてドイツに渡ってベルリン交響楽団に加入してクラシック畑を歩み、1925年にアメリカに渡るとポピュラーへ転身、
ヴィンセント・ロペス楽団でヴァイオリニストとして活動、1931年にはウォルドーフ・アストリア・ホテルの楽団リーダー
として一本立ち、1940年代のラテン・ミュージック・ブームの波に乗って『パーフィディア』が大ヒット、1946年には
『マイアミ・ビーチ・ルンバ』の世界的ヒットによりその地位を確立しました。

↓はザビア・クガー楽団による ”Miami Beach Rhumba” 【YOUTUBEより】 



【ご命日】

★パティ・ペイジ Patti Page  (1927.11.08~2013.1.01)



『テネシー・ワルツ』のヒットによりワルツの女王と称された1950年代を代表する女性歌手。
他に『チェンジングパートナー』『嘘は罪』『ふるえて眠れ』などの大ヒットがある。

↓はパティ・ペイジによる『嘘は罪』 ”It's a sin to tel a lie” 【YOUTUBEより】 


★モーリス・シュヴァリエ Maurice Chevalier  (1888.9.12~1972.1.01)



戦前・戦後にかけてフランス、アメリカで俳優・歌手として活躍したエンターティナー。
映画の代表作として『ラヴ・パレード 』『陽気な中尉さん』『シュヴァリエの流行児』などがある。

★ソフィー・ドーミェ Sophie Daumier  (1934.11.24~2004.1.01)



1960年代にフランス映画界に現れたダンサー出身の新星。
映画の代表作として『ミス・アメリカ、パリを駆ける』『ある晴れた朝突然に』などがある。

『明日は誰の日』

2018-12-31 17:33:52 | 明日は誰の日

この度から、新カテゴリーとして『明日は誰の日』を設けることにいたしました。
このカテゴリーは、映画や音楽に関して私が特に影響を受けた方々に対しまして、
生まれてきてくれてありがとう、そして素晴らしい文化を残してくれてありがとう
という感謝の念をその記念の日に捧げるものであります。
(ただし、誕生日にその功績などを記載し、特例を除きご命日には記載を省略いたします)

本来ならば『今日は誰の日』とする予定でしたが、私自身の更新の時間帯が不定期で
日付が変わる直前になったりいたしますので敢えて一日早く掲載することにいたしました。
いつものように独断と偏見で選定しておりますのでご容赦願います。

『ふたりの女』 旅の友・シネマ編 (27) 

2018-12-30 18:49:38 | 旅の友・シネマ編



『ふたりの女』 La Ciociara (伊)
1960年制作、1961年公開 配給:MGM モノクロ
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本 チェザーレ・ザヴァッティーニ
撮影 ガボール・ポガニー
音楽 アルマンド・トロヴァヨーリ
原作 アルベルト・モラヴィア
主演 チェジ―ラ … ソフィア・ローレン
    ロゼッタ … エレオノーラ・ブラウン
    ジョヴァンニ … ラフ・ヴァローネ
    ミケーレ … ジャン・ポール・ベルモンド
    若者 … レナート・サルヴァトーリ



第二次大戦末期1943年のイタリア。連日のローマ空襲から逃れるため、夫に先立たれたチェジーラは15才の娘ロゼッタを連れ、
生まれ故郷の村へ帰ることを決意し、母娘はやっとの思いで故郷の村に着いた。母娘はそこで内気な青年ミケーレと出会う。
ミケーレは何かとこの母娘に気を配ってくれた。やがてミケーレはチェジーラに恋するようになるがロゼッタが彼に想いを寄せ
母娘の間に不穏な空気が流れる。そんな時、ムッソリーニが身柄を拘束され、独軍占領下であったこの村に連合軍兵が潜入、
やがてドイツ兵の撤退が始まり、ミケーレは道案内役としてドイツ軍に同行させられる。間もなく米軍が進軍してきてドイツ兵も
撤退し戦争は終りに近づいた。チェジーラは娘と二人で廃墟の中をローマに向かう。しかしその道中で連合軍としてイタリアを
解放しに来たはずのモロッコ兵部隊に襲われ親娘は集団レイプされてしまった。その夜、通りかかったトラックに乗せてもらって
運転手の若者の家に宿泊、その時にミケーレが死んだと知らされた。感情をなくしてしまった娘もミケーレの死を聞くと母の胸に
すがって泣き出し、母娘はいつまでも抱き合っていた。



アルベルト・モラヴィアの原作をイタリアン・リアリズムの先駆者ヴィットリオ・デ・シーカが映画化した戦時下の文芸ドラマで
一人の青年をめぐって三角関係を繰り広げる母と娘の絆を軸にやがて訪れるショッキングな悲劇を直視した作品です。
デ・シーカは敗戦国イタリアの一般庶民の痛みと哀しみを、現地ロケなどにより彼の初期を思い起こさせるリアリズムで
描き、自身にとって初めて「戦争」というテーマに真正面から挑み、戦争の最大の被害者は常に一般市民であることを
強く訴えると同時に第二次世界大戦へ至ったイタリアの国家責任に対しても痛烈な批判の目を向けています。



映画の終盤では、グミエと呼ばれるモロッコ兵部隊によって、罪のない母親と娘が集団レイプされるというショッキングな
シーンが強烈なインパクトを残していて、勝利者(連合軍)によってもたらせられた敗戦国への悲惨な現実を暴いて見せました。
この作品はフィクションなのですが、フランス軍の支援部隊として連合軍のイタリア上陸作戦に加わったグミエが卑劣な
戦争犯罪を繰り返していたのは事実で、ベトナム戦争でもみられたように、兵士によって数えきれない殺人・強盗・レイプ
事件が起きており、この映画でも戦争下では日常茶飯事のように弱者に起きたこれらの問題を激しく非難しています。



デ・シーカ作品は、現実直視の中にも厳しすぎる現実ながらもそれを究極の悲劇とせず、少なくとも未来は明るくあってほしい
という願望がうかがえます。今回の『ふたりの女』は1956年の前作『屋根』で見られたあまりにも甘すぎたロマンチシズムから
かなり現実直視型に戻りはしましたが、この作品でソフィア・ローレンとの出会いにより残念ながら商業主義(スター主義)の
艶笑作家に成り下がってしまいました。



ロベルト・ロセリーニ、ヴットリオ・デ・シーカで始まったイタリアンリアリズムは1953年ころから初期の意気込みが軟化しましたが
その精神は新たな旗手のフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニに受け継がれてさらに開花していきました。
また、イタリアン・リアリズムと商業主義との折り合いを図ったピエトロ・ジェルミの登場、そしてリアリズムとロマンチシズムの
見事に融合させたヴァレリオ・ズルリーニなどによってイタリアの新たな時代が始まることになります。

本日の日替わりメニュー(117)

2018-12-29 13:30:04 | 本日の日替わりメニュー

『朝日のようにさわやかに』 ヘレン・メリル
”Softly, as in a morning sunrise” Helen Merrill  【YOUTUBEより】 



この曲は1928年にシグマンド・ロンバーグが作曲、オスカー・ハマースタイン2世が失恋を悔やむ作詞を付けました。
1930年にはジャック・コンウェイ監督のアメリカ映画『ニュウ・ムーン』においてタンゴ調のリズムで披露されています。
その後、ジャズのスタンダードとしてMJQ (モダン・ジャズ・クァルテット) などが好んで演奏していますが
今日は「ニューヨークのため息」といわれたヘレン・メリルのハスキーな歌声で聞くことにいたします。

Softly, as in a morning sunrise
The light of love comes stealing
Into a new born day, oh
Flaming with all the glow of sunrise
A burning kiss is sealing
The vow that all betray
For the passions that thrill love
And lift you high to heaven
Are the passions that kill love
And let you fall to hell
So ends the story
Softly, as in an evening sunset
The light that gave you glory
Will take it all away

『ガウチョの嘆き』  フランシスコ・カナロ楽団 (唄:ネリー・オマール)

2018-12-28 13:37:05 | アルゼンチンタンゴ

”Sentimiento Gaucho” Francisco Canaro ( Nelly Omar ) 【YOUTUBEより】 



1924年にフランシスコ・カナロが作曲、ファン・カルーソが作詞し同年のタンゴ・コンクールの優勝曲で、
フランシスコ・カナロ自身の代表傑作でもあります。
場末の酒場でボロを着た酔っ払いのガウチョ(牛追い男)の
「男が苦しむとはどんなものかわかってくれ、
私の愛した女は口説き上手な男に誘惑されて逃げていった
俺の愛情は裏切りの刃で断ち切られてしまった」
という悲しい打ち明け話になっています。

En un viejo almacén del Paseo Colón
donde van los que tienen perdida la fe,
todo sucio, harapiento, una tarde encontré
a un borracho sentado en oscuro rincón.
Al mirarle sentí una profunda emoción
porque en su alma un dolor secreto adiviné
y, sentándome cerca, a su lado, le hablé,
y él, entonces, me hizo esta cruel confesión.
Ponga, amigo, atención.

Sabe que es condición de varón el sufrir.
La mujer que yo quería con todo mi corazón
se me ha ido con un hombre que la supo seducir
y, aunque al irse mi alegría tras de ella se llevó,
no quisiera verla nunca... Que en la vida sea feliz
con el hombre que la tiene pa' su bien... o qué sé yo.
Porque todo aquel amor que por ella yo sentí
lo cortó de un solo tajo con el filo'e su traición...

Pero inútil... No puedo, aunque quiera, olvidar
el recuerdo de la que fue mi único amor.
Para ella ha de ser como el trébol de olor
que perfuma al que la vida le va a arrancar.
Y, si acaso algún día quisiera volver
a mi lado otra vez, yo la he de perdonar.
Si por celos a un hombre se puede matar
se perdona cuando habla muy fuerte el querer
a cualquiera mujer.

通常、この曲は男性が唄うのですが、女性の唄もしんみりとして良いものですね。