港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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旅の友・ポップス編 (174) 『人形のモニカ』

2017-07-31 14:49:33 | 旅の友・ポップス編

『人形のモニカ』 ミルヴァ
”Monica Delle Bambole” Milva 【YOUTUBEより】


ミーナ・マッツィーニと並ぶイタリア屈指の歌姫ミルヴァの1974年のカンツォーネです。
イタリアではオペラやカンタータなどが日常生活に密着しているため、聞く側の耳が異常に肥えています。
そのような土壌で、職業歌手が生きていく上においては声楽の基礎と歌唱力は必須のようです。
ミルヴァの素晴らしい歌唱力もなるほどと頷けますね。

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日本でも明治・大正の頃、謡(うたい)や長唄などに励んでいた人は、夜中に海に向かって大声を出し、
声帯を切って血を流しながら自分の声を磨いたと云います。
マイクのない時代に広い会場の隅々まで地声を届かせるための基礎的な練習法でした。
今どきの… (やめておいた方が良さそうですね)

旅の友・ポップス編 (173) 『真珠貝の唄』

2017-07-30 14:29:37 | 旅の友・ポップス編

『真珠貝の唄』 ビリー・ヴォーン楽団
”Pearly Shells” Billy Vaughn & His Orchestra 【YOUTUBEより】


元々はハワイの伝統的な民謡『ププ・ア・オ・エワ』で、ウェブリー・エドワードとレオン・ポーバーの作詞・編曲によって
『真珠貝の唄』に生まれ変わり、ハワイアン・ソングの定盤曲となりました。
タイトルにあるPupuとは貝殻のことで、「エワの貝殻」という曲名になります。

また、この曲は1963年制作のジョン・フォード監督によるアメリカ映画『ドノバン珊瑚礁』の主題歌として用いられ、
全編に『Pupu A O `Ewa』が現地語で唄われていました。

『ププ・ア・オ・エワ』 ドノバン珊瑚礁のサウンド・トラック
”Pupu A O `Ewa” Sound-track 【YOUTUBEより】


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旅の友・ポップス編 (172) 『ジェラシー』

2017-07-29 15:11:32 | 旅の友・ポップス編

『ジェラシー』 アルフレッド・ハウゼ楽団
”Jalousie” Alfred Hause Orchestra 【YOUTUBEより】


1926年にヤコブ・ガーデが作曲したコンチネンタル・タンゴの名曲です。
曲想は、自分が愛する人の愛情が他人に向けられるときに生じる嫉妬によって、昼夜に身を焦がすほどの
狂おしい心情を表したものだそうです。

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「嫉妬」といえば、カトリックの教えによる七つの大罪のひとつですね。
七つの大罪とは人間が罪に至る要因の欲望や感情のことで、これを戒めるために定められたといわれていて
「傲慢」、「強欲」、「嫉妬」、「憤怒」、「淫乱」、「大食」、「怠惰」の七つから成っているようです。


旅の友・ポップス編 (171) 『トゥ・ラヴ・アゲイン』

2017-07-28 17:30:00 | 旅の友・ポップス編

『トゥ・ラヴ・アゲイン』 カーメン・キャバレロのピアノ
”To Love Again” Carmen Cavallaro 【YOUTUBEより】


1955制作のジョージ・シドニー監督によるエディ・デューチンの音楽伝記映画『愛情物語』のメイン・テーマで、
原曲はショパンの夜想曲第二番変ホ長調・作品9の2をアレンジしたものです。
劇中で、キム・ノヴァックが「これは何という曲なの」という問いにタイロン・パワーが 「E♭」と答えていました。

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旅の友・ポップス編 (170) 『白い十字架』

2017-07-27 16:32:52 | 旅の友・ポップス編

『白い十字架』 ヘンリー・アーランド楽団
”Kleiner Prinz” Henry Arland 【YOUTUBEより】


ヘンリー・アーランドが作曲したムード音楽の名曲です。
ヘンリー・アーランドはドイツのクラリネット奏者ということなのですが、日本では『白い十字架』以外にヒットした
レコードが見当たりません。
本国での活躍はどうだったのかはわかりませんが、日本では残念ながら一発屋に終わっています。
また、日本語詞のヴィッキー盤もありましたが、歌詞があまりにもお粗末でした。

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