”Sans toi, ma mie” Salvatore Adamo
1965年はカンツォーネ・ブームとともに、フレンチ・ポップスが一大旋風を巻き起こしました。
前年のシルヴィー・ヴァルタンの日本上陸で注目を浴びたフレンチ・ポップスですが、この年にはシルヴィーに続いて
サルヴァトーレ・アダモ、エンリコ・マシアス、フランス・ギャル、更には既に中堅であったシャルル・アズナヴールなどが
相次いで登場してカンツォーネ・ブームを凌ぐ一大フレンチ・ポップス時代に突入しました。
その筆頭格となったのがサルヴァトーレ・アダモでした。
アダモは1943年にイタリアのシチリアに生まれのベルギー育ち、貧しい一家を支えるために音楽で生計を立てようと
アマチュア・コンテストで名を上げていきます。1962年には自作のラヴ・ソング『サン・トワ・マミー』が国内やヨーロッパ
でヒットし始め、シャンソンとポップスの融合から生まれたニュー・スターとして認められるようになりました。
日本においてはアダモの認知度は殆どありませんでしたが、1964年の夏に越路吹雪がこれをカヴァーしてロング
セラーになったことから火が付き、1965年に遂にサルヴァトーレ・アダモの日本登場となりました。
Je sais tout est fini
J'ai perdu ta confiance
Néanmoins je te prie
De m'accorder ma chance
Si devant mon remords
Tu restes indifférente
On ne peut te donner tort
Mais soit donc indulgente
↓はサルヴァトーレ・アダモの『サン・トワ・マミー』 YOUTUBEより
ちなみに、Salvatore の発音ですが、フランス語だとサルヴァトール、イタリア語ならサルヴァトーレ。
アダモ自身がイタリア出身ということで日本ではサルヴァトーレ・アダモが主流となっているようです。