港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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1965年 『サン・トワ・マミー』 サルヴァトーレ・アダモ

2015-07-31 10:20:35 | 続・60年代ポップス変遷史

”Sans toi, ma mie” Salvatore Adamo



1965年はカンツォーネ・ブームとともに、フレンチ・ポップスが一大旋風を巻き起こしました。
前年のシルヴィー・ヴァルタンの日本上陸で注目を浴びたフレンチ・ポップスですが、この年にはシルヴィーに続いて
サルヴァトーレ・アダモ、エンリコ・マシアス、フランス・ギャル、更には既に中堅であったシャルル・アズナヴールなどが
相次いで登場してカンツォーネ・ブームを凌ぐ一大フレンチ・ポップス時代に突入しました。

その筆頭格となったのがサルヴァトーレ・アダモでした。
アダモは1943年にイタリアのシチリアに生まれのベルギー育ち、貧しい一家を支えるために音楽で生計を立てようと
アマチュア・コンテストで名を上げていきます。1962年には自作のラヴ・ソング『サン・トワ・マミー』が国内やヨーロッパ
でヒットし始め、シャンソンとポップスの融合から生まれたニュー・スターとして認められるようになりました。
日本においてはアダモの認知度は殆どありませんでしたが、1964年の夏に越路吹雪がこれをカヴァーしてロング
セラーになったことから火が付き、1965年に遂にサルヴァトーレ・アダモの日本登場となりました。

Je sais tout est fini
J'ai perdu ta confiance
Néanmoins je te prie
De m'accorder ma chance
Si devant mon remords
Tu restes indifférente
On ne peut te donner tort
Mais soit donc indulgente


↓はサルヴァトーレ・アダモの『サン・トワ・マミー』 YOUTUBEより


ちなみに、Salvatore の発音ですが、フランス語だとサルヴァトール、イタリア語ならサルヴァトーレ。
アダモ自身がイタリア出身ということで日本ではサルヴァトーレ・アダモが主流となっているようです。





1965年 『ワン・レニー・ナイト・イン・トーキョー』 ブレンダ・リー

2015-07-30 07:58:40 | 続・60年代ポップス変遷史

”One Rainy Night in Tokyo” Brenda Lee



この曲は鈴木道明の作詞・作曲による和製歌謡曲で、ブレンダ・リーが歌手活動10周年を記念して来日した時に
レコーディングされた逆カヴァーで、A面に日本語、B面に英語のレコードがリリースされています。


↓はブレンダ・リーの『ワン・レニー・ナイト・イン・トーキョー』 YOUTUBEより



またこの曲は盗作疑惑事件として有名で、この曲が、1933年にアメリカで発売されたハリー・ウォーレン作の
『夢破れし並木道』(Boulevard of Broken Dreams)にそっくりだとして訴えられて、最高裁まで争われましたが、
作曲者の鈴木道明氏がその原曲を知らず偶然似てしまったとの理由により訴えが退けられました。

この『夢破れし並木道』は1934年のアメリカ映画『ムーラン・ルージュ』で主演のコンスタンス・ベネットが唄った
主題歌でした。

↓はアメリカ映画『ムーラン・ルージュ』の"Boulevard of Broken Dreams" YOUTUBEより


1965年 『砂にきえた涙』 ミーナ・マッツィーニ

2015-07-29 09:56:09 | 続・60年代ポップス変遷史

”Un Buco Nella Sabbia” Mina Mazzini


前年に『ラ・ノビア』『ほほにかかる涙』『夢見る想い』などによって巻き起こったカンツォーネ・ブームに乗って
1965年初頭にはカンツォーネの無冠の女王ミーナの登場です。
厳しいカトリックのイタリアにおいて、未婚の母というスキャンダルを起こして、一時母国のマスコミから追放
されていたミーナの復帰がこの『砂にきえた涙』でした。
日本ではA面に日本語で、B両面イタリア語でレコーディングされてミーナ最大のヒットとなりました。

Ho fatto un buco nella sabbia per nascondere
tutto quello che ho nel cuore per te
ci ho messo dentro tutte quante le mie lacrime
e le bugie che inventavi per me

↓はミーナ・マッツィーニの『砂にきえた涙』 YOUTUBEより



彼女の日本語盤もYOUTUBEにUPされていますのでこちらも…


ちょっとたどたどしい日本語ですが これもご愛嬌ということで




ソニーのテープレコーダー TC-135

2015-07-29 09:46:42 | 独り言

そういえば1964年にソニーのテープレコーダーを買ったのを思い出しました。
もちろん当時はカセットテープではなく、オープンリールです。
ロングタイプ用の大型テープをロングプレイにして録音すれば両面で3時間(約60曲)の録音が可能でした。
さらにもう一台新機種を買い求めて自分で編集するようになり、好きな音楽だけを聴きたい時に聞けるように
なりました。
当時のテープレコーダーは大卒初任給よりも高価なものでした。


1964年の映画音楽

2015-07-28 08:09:40 | 続・60年代ポップス変遷史



映画音楽につきましては、このブログの映画音楽史で大部分を取り上げていますので
1964年を語る上でどうしても外せない名曲を少しだけ取り上げてみます。

『ブーベの恋人』 La Ragazza di Bube サウンドトラック YOUTUBEより



『シェルブールの雨傘』 Les parapluies de Cherbourg サウンドトラック YOUTUBEより



『スエーデンの城』 Chateau en Suede サウンドトラック YOUTUBEより



『ロシアより愛をこめて』 From Russia With Love マット・モンロー YOUTUBEより



他にも1964年にヒットした映画音楽としては
アイドルを探せ、アカプルコの海、ラスベガス万才、いとこにキッス、誘惑されて棄てられて、、ハロー・ドーリー
踊りあかそう、サミーのマーチ、アバジュール、ハートでキッスなどがありました。


以上、1964年を回顧してまいりました。

ちなみに、文化放送『ユア・ヒット・パレード』における1964年の年間順位 は以下の通りです。

①ロシアより愛をこめて マット・モンロー
②シャレード ヘンリー・マンシーニ楽団
③花はどこへ行った キングストン・トリオ
④ブーベの恋人 サウンド・トラック
⑤太陽の彼方に アストロノウツ
⑥ラスヴェガス万歳 エルヴィス・プレスリー
⑦ワシントン広場の夜はふけて ヴィレッジ・ストンパーズ
⑧恋はすばやく ガス・バッカス
⑨ネイビー・ブルー ダイアン・リネイ
⑩アイドルを探せ シルヴィー・ヴァルタン

幸いなことに『ユア・ヒット・パレード』の年間ベストテンにはビートルズが一曲も入っておりません。