<中国ブログ>中国サイコウ 元/上海駐在日本人が綴る日中経済の状況など

中国駐在時代の経験・知識をもとに、
最高(サイコウ)の日中関係の再構築を目指し、
日本と中国を再考(サイコウ)する

中国民主化への道のり(勝手な予想)

2012-06-04 | 中国社会学

前回記事に引き続き、今回は「中国民主化への道のり」をテーマに。
最初に断っておきますが、本記事が筆者の全くの勝手な予想なので、当たらない可能性が高いということを前提にお読み下さい。
あくまで持論に過ぎませんので。。。

まず、「民主化」というものが、最終的にどのように成し遂げられるのか?という点から考えたい。
そもそも民主化運動が起こる前には、市民の人権が著しく侵害される、貧富の差が激しくなって貧困層が増大する、激しいインフレに見舞われる等の現象が見受けられることが多い。
そして、その多くは独裁政権によってもたらされる弊害であることが多く、政権崩壊後に旧独裁者が裁きを受けるといった光景をしばしば目にしてきた。

最近の「アラブの春」などでも顕著になったように、民主化を求める庶民のエネルギーというものは凄まじいものがある。
民力というのは、抑圧されればされるほど、爆発力を増しますからね。
これ、歴史的に繰り返されてきたコトであります。

しかし、こうした民主化運動によって政権転覆がなされた後、順調に民主化が進むか・・・というと、そう簡単でもないことは周知のとおりだ。
いや、その後の混乱ぶりのほうが鮮明だと言っても過言ではないだろう。
イラクやアフガニスタンは未だに混乱状態が続いているし、民主化の第一歩を踏み出したアラブ諸国にしても正常化への道のりは遠い。


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ここで注目すべきなのは、民主化後の政治体制。
国によって差はあるものの、民衆が政治の主導権を握ったという例は極めて少ない。ほとんどの国において、政権交代は実現するが、政治家の顔ぶれは似たり寄ったりで、少数派が多数派になったり・・・といった小さな変化はあっても、結局は「大差ない政権」が誕生することが多いのが実情ではないだろうか。

日本のマスコミでは、中国で何か民族紛争があるたびに「民主化運動が激化」とか「共産党政権崩壊の兆しか?」といった報道がなされるが、冷静に考えて、そんな事態がすぐに起こるとは想定し難い。

なぜなら、前述のアラブ諸国などと中国を比較すると、置かれている状況も政権の仕組みも全く違うからだ。

この中国では「共産党一党支配」という状況が続いているが、これは厳密な意味での独裁政権ではない。一党による支配ではあるが、一応「集団合議」による統治はなされており、独裁国家に見られるような専横的な政治は改革開放以来、鳴りを潜めているからだ(文化大革命はひどかったようだが・・・)。

加えて、共産党による支配が続く限り、その周辺に群がっておけば、その恩恵に浴することができるという構図が生き続ける。
「富」の源泉は、常に現政権を中心に湧き出てくるものなのだから。。。

そして、この恩恵に浴している人々は、外国人が想像する以上に広範囲に渡っていると言える。現在の中国社会において、不動産を保有し、自家用車を複数所有しているような中流階級以上の人々は、多かれ少なかれ現在の統治システムの恩恵を享受していると考えてよさそうだ。


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こうした経済的な豊かさと密接に関係している統治体制が、内部から崩壊すると考えるのは相当ムリがあると言わざるを得ない。
改革や革命というのは、本当に窮してこそ起こるものであって、適度に満たされた状態であれば、強大な権力に立ち向かう勇気など生まれてくるはずがないからである。

一方で、一部の海外メディアからは「内部からの民主化が困難なら、外圧によって民主化をサポートすればいい」といった論調も見受けられるが、これまた的外れと言わざるを得ない。
ここまで論じてきたとおり、民主化というのは文字どおり「自国の民衆が行動するもの」であって、外国からのサポートなどさして大きな問題ではないからだ。

では、中国はこのままの政治体制が続くのだろうか・・・?
ここからは、筆者独自の推測となる(悪しからず)。

筆者はいつも「政治」と「経済」は切っても切れない関係にあると思っている。
いままでも不景気が続くと政権交代が実現したり、長引く不況が引き金となって民衆が蜂起し革命が成し遂げられたり・・・と、経済問題が歴史を動かしてきた例は枚挙に暇がない。

そう考えると、いまの中国の経済発展がいつまでも続くのか・・・という視点が重要になってくると筆者は考える。

すでに珠江デルタの一部ではGDPの伸び率が低調になっているように、規模の拡大のみを志向する成長モデルはこの数年で行き詰まるものと思われる。
この低成長という現象は、他都市に先駆けて発展した地域・都市ほど顕著なものとなるため、こうした先行発展地域の指導者層は新たな評価基準を求めることになる可能性が強い。
例えば、都市環境の充実や住民福祉の向上、汚職の撲滅といった数字に表れない政策が考えられるだろう。

加えて、人間の欲求というものは際限が無い。
これは富める者ほど顕著で、お金をたくさん持っている人間が物欲にひた走ることはよく知られた行動パターンだ。
しかし、この物欲というものは意外と満たされ易い(というか、飽き易い)。
ここでマズローの欲求五段階説ではないが、「社会的欲求」というのが芽生えてくるのが自然の流れというもの。
つまり、金もモノも欲しいままにした人間にとって、最終的にターゲットになるのは「社会的地位」に他ならない。
最近起こった薄煕来の事件などもこの一端ではないだろうか・・・。
このような動きに出るリーダー層、今後も増えることはあっても減ることはないだろう。

よって、筆者が考える中国民主化の行方は、こうした指導者層の動きが起点。
これだけ広大な国家にもかかわらず、国家最高指導者がひとりしかいないというのは、そもそも無理がある話なのだから。
勿論、米国のような大国もあるワケだが、こちらは民主的な選挙によって大統領が選出されている点が決定的に異なる。
少なくとも今後数年は経済成長を続けるであろう中国において、現在の国家指導者選出の仕組みを維持し続けることは、非常に困難だと思えてならない。

ただ、中国政府および中国人民は、「この大中国がパワーの源である」ということも同時に熟知している。しかも、全ての省において漢民族の支配が浸透している点も無視できない。
加えて、人民解放軍はひとつしかなく、これが割れるなどということは政権内部で紛争が起こることを想定する以上に想定し難いのも事実だ。

よって、筆者の現在の持論は「経済発展に伴って地域主権的な動きが拡がり、緩やかな地方分権(連邦制のような形態)に移行し、政権トップは地方の長による合議や投票によって選出される形になる」というもの。

ま、外れる可能性が高いですけどね。
当たったら・・・褒めてやってくださいまし。

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