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東大寺創建時の東塔院跡の発掘調査に関する話題 

2016年05月03日 05時13分51秒 | 奈良情報
奈良市の華厳宗大本山東大寺で東塔院七重塔跡発掘を進めている調査団は4月22日、
平家の平重衡が治承4年(1180)12月に焼き討ち後の復興で大勧進職を務めた
栄西禅師の同塔再建への関与を示す文字瓦20点以上が出土したと発表した。
瓦には「七重塔」を示す「七」の字があり、団長の鈴木嘉吉・元奈良国立文化財
研究所所長は「東塔に栄西(ようさい)は大して関わっていないと思っていたが、
再建に果たした役割を見直さないといけない」と述べた。


上記のような新聞報道やテレビでの報道がありました。

注)後白河法皇は東大寺焼打ち後、直ちに復興の意思を表し、勧進聖らに
東大寺再建のための勧進活動への協力を求め、養和元年(1181)、その責任者
として俊乗房重源(1121~1206)を大勧進職に任命。
文治元年(1185)には大仏の開眼供養、建久6年(1195)には大仏殿落慶供養、
さらに南大門などの復興後、元久元年(1204)東塔院の復興に着手したが
2年後の建永元年(1206)、重源は86歳で入滅した。東塔院再建は栄西
(ようさい)、行勇(ぎょうゆう)という大勧進職に引き継がれ、重源の死から
20年以上たって嘉禄3年(1227)頃にようやく完成したとみられる。



2015年7月から実施されている東大寺東塔跡の発掘調査は実施されその成果は
2015年11月21日に現地説明会でその一部が披露された。
現地説明会配布資料:http://www.todaiji.or.jp/images/pdf/toutouinnato.pdf

東大寺創建時(天平勝宝4年(752)及び鎌倉期の復興された当時の
東大寺伽藍配置は下の写真(東大寺縁起より)上述の現地説明会資料にも掲載
されています。





東大寺大仏殿の裏手に大正期工学博士 天沼俊一氏によって制作された50分の1
の模型があり東塔院の様子が実感できます。

2014年11月12日に撮った上述の東大寺境内模型の動画を添付しておきます。















上の写真は2016-4-23NHKテレビの報道による東大寺東塔院の発掘の様子です



西塔跡は2017年から発掘調査を開始し、5年かけて詳しい規模や礎石の配置
などを調べる。2021年から東塔の基壇の整備に入りたいという計画だそうです

瓦などは4月29日~5月13日、東大寺ミュージアム(奈良市)で公開中


出土の瓦を写した動画へリンク
  http://www.sankei.com/west/news/160422/wst1604220091-n1.html




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