素晴らしい言葉たちを残したヘレン・ケラーの映画を見ました。
三重苦のヘレンケラーは、幼い頃、
両親の哀れみから、
わがまま放題に甘やかされ、
まるで猿のように躾もされていない状態でした。
とうとう、手のつけられないくらいになって、住み込みの教師を依頼します。
自らも弱視のサリバン教師が派遣され、
野生児のような目も見えない、耳も聞こえないヘレンケラーに
食事のマナーと物に名前があることを
粘り強く体当たりで教えます。
その姿は、圧巻!
反抗期の子どもに、いけないことはいけないと
教える覚悟を教示しています。
ヘレンケラーが人生に光明を見い出す姿と
サリバン先生の揺るがない気迫に感動しました。
また、ヘレンケラーの頑固なお父さんに
抑えつけられていたお兄ちゃんが
反抗し、ぶつかって行く姿も気持ち良いです。
ブロードウェイの演出者アーサー・ペンが監督。
アカデミー主演女優賞、助演女優賞を受賞した1962年「奇跡の人」
モノクロですが、
全ての親、先生、教育関係者に見て欲しい作品です。
最近の日本に欠けている父性の大切さを教えてくれます。
一人っ子政策の中国でも、
躾のなってない若者が増えているそうだけど、
日本でも、親も先生も近所のオヤジさんも優しくなり、
怒られてない子どもが増えて、
叱らないことによる弊害が、増える気がします。
怒られないようにオドオドするとか、
注意されただけで、会社にいけなくなるとか、
逆に、自己愛的で、傲慢で、思いやりがなかったり…。
こんな時だからこそ、私たちは、サリバン先生から学びたい。
奇跡の人は、サリバン先生なのかも?
すごいと思ったのは、サリバン先生が、
目も見えない、耳も聞こえない子どもに
良くない行動、悪い行動を教える時、
表情を触らせて感情を教える場面。
そして、考えさせられたのは、
物に名前があることが分かってから、
ヘレンケラーとサリバン先生の心が通じた所。
確かに、赤ちゃんには、母親参照機能があり、
母親の表情で、良いことか、悪いことかを判断する。
また、お母さんがイスを指さして「イス」と言えば、
赤ちゃんは、その物が「イス」と分かる。
そして、私たちは、アメリカで、
イスを指して「chair」と言えば、「chair」と分かる。
言葉を理解することは、人の心を理解することに
必須条件だということを
改めて知った。
サリバン先生は、なかなか物と名前の繋がりを理解できないヘレンケラーに
share the wordsという表現で
「言葉を分かち合いたい」
と、言っていた。
三重苦のヘレンケラーは、幼い頃、
両親の哀れみから、
わがまま放題に甘やかされ、
まるで猿のように躾もされていない状態でした。
とうとう、手のつけられないくらいになって、住み込みの教師を依頼します。
自らも弱視のサリバン教師が派遣され、
野生児のような目も見えない、耳も聞こえないヘレンケラーに
食事のマナーと物に名前があることを
粘り強く体当たりで教えます。
その姿は、圧巻!
反抗期の子どもに、いけないことはいけないと
教える覚悟を教示しています。
ヘレンケラーが人生に光明を見い出す姿と
サリバン先生の揺るがない気迫に感動しました。
また、ヘレンケラーの頑固なお父さんに
抑えつけられていたお兄ちゃんが
反抗し、ぶつかって行く姿も気持ち良いです。
ブロードウェイの演出者アーサー・ペンが監督。
アカデミー主演女優賞、助演女優賞を受賞した1962年「奇跡の人」
モノクロですが、
全ての親、先生、教育関係者に見て欲しい作品です。
最近の日本に欠けている父性の大切さを教えてくれます。
一人っ子政策の中国でも、
躾のなってない若者が増えているそうだけど、
日本でも、親も先生も近所のオヤジさんも優しくなり、
怒られてない子どもが増えて、
叱らないことによる弊害が、増える気がします。
怒られないようにオドオドするとか、
注意されただけで、会社にいけなくなるとか、
逆に、自己愛的で、傲慢で、思いやりがなかったり…。
こんな時だからこそ、私たちは、サリバン先生から学びたい。
奇跡の人は、サリバン先生なのかも?
すごいと思ったのは、サリバン先生が、
目も見えない、耳も聞こえない子どもに
良くない行動、悪い行動を教える時、
表情を触らせて感情を教える場面。
そして、考えさせられたのは、
物に名前があることが分かってから、
ヘレンケラーとサリバン先生の心が通じた所。
確かに、赤ちゃんには、母親参照機能があり、
母親の表情で、良いことか、悪いことかを判断する。
また、お母さんがイスを指さして「イス」と言えば、
赤ちゃんは、その物が「イス」と分かる。
そして、私たちは、アメリカで、
イスを指して「chair」と言えば、「chair」と分かる。
言葉を理解することは、人の心を理解することに
必須条件だということを
改めて知った。
サリバン先生は、なかなか物と名前の繋がりを理解できないヘレンケラーに
share the wordsという表現で
「言葉を分かち合いたい」
と、言っていた。