ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

無力ではない、微力なだけだ

2018年04月02日 | メッセージ
大学院に入学したばかりの頃の話。

臨床心理学の講義の後に、皆んなで食事にでかけた。

思い切って、大学院の先生もお誘いした。

講義が終わっているプライベートな時間にもかかわらず、先生は、私たちの相談を聴いてくれた。

私は、先生にこんな話をした。

東北の震災の後、被災地に赴き、

多くの方と接し、お話を聴いたり、子どもたちと遊んだりしたけれども

話を聴いたり、遊んだだけで、何もできなかったと打ち明けた。

その時、先生が、ただ目を閉じてじっと私の話に耳を傾けてくれた。

先生は、目を閉じて、じっと、じっと聴いてくださった。

そのご様子を今でも忘れない。

それから、じっくり、じっくり言葉を選んで、
以下の様なことをおっしゃった。

「無力でない。微力なだけだ。

あなたが、はるばるそこに赴いたというだけで価値がある」

過去も他人も変えられない。

しかし、ある人が、不完全でありながらも、ありのままで居る時、

関係性の中で、相手が変化することもある。

変化しないこともある。


覚えておきたいのは、私たちは、何もできないのではない。

無力ではない、微力なだけだ。

あなたが、その人のそばに居るというだけで価値があるということ。




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1 コメント

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Unknown (山ちゃん)
2018-04-02 17:56:13
 無力さ、能力の低さ、自尊心の低さ、影響力の低さなどを感じて自分を責めて、そうあってはいけないと地位や業績や名誉や知名度、他者評価などの目に見えるものを「求める生き方」をやめようと修正中です。
 これが中々大変で、子供のころから家族、友だち、先生、地域の人達に認められようと生きてきたので。
 「求められる生き方」の方が、自由で心も平静で体の力が抜けて、流れに身を任せている感覚です。修正したいときに全力出せそう。その為に学び、脚本まで変わりそうな気がします。
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