ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

死ぬ時に持っていけるもの

2011年07月14日 | メッセージ
「超訳 ブッタの言葉」
小池龍之介編訳
ディスカヴァー出版より

死ぬ時に持って行ける唯一のもの

食べ物もお金も貴金属も、いかなる所有物であっても、
きみが死ぬ時には、持って行けない。
(中略)
死ぬ時に唯一この手に残るのは、
君がこの人生で行動してきた身体の業(カルマ)と
話してきた言葉の業と
心の中で考えて来た思考の業、
たったそれだけ。

昨日の夜は、福岡市立住吉中学校のPTAの講演会でした。

お母さん方、先生方が熱心に聴いてくださいました。

子どもたちというのは、
毎日虐待するようなどんな酷い親に対しても
無償の愛をくれる
存在だと、話している時に
涙が溢れそうになりました。
ふと、気が付くと
涙ぐんで聴いてくれているお母さんもいらっしゃいました。

今からおよそ2550年前ごろ生まれたブッタは、
思考、言葉、行動が財産だと説いています。

私にとって講演会は、
自分の心を整える有り難い時間なのだと
再確認しました。
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ブッダの言葉だったんだ! (初めて知りました!)
2011-07-15 03:15:57
こんばんは!

私もずいぶんと昔、学生の頃、インド哲学科に在籍した年上の人から、

「死ぬ時は、何も持って行けないのですよ!」

「誰もが、全てを捨てて、死に赴かなければならないのですよ!」

と何回となく、強く言われたことがあります。

しかし、その言葉の意味は理解できるのですが、何故、そんなに強調されるのか、不可解で、少し不愉快に感じていました。

彼の話した言葉の出典はブッダの言葉だったのですね!

>君がこの人生で行動してきた身体の業(カルマ)と話してきた言葉の業と心の中で考えて来た思考の業、たったそれだけ。

そのブッダの言葉には、身、口、意、の清浄行のことが続いていたのですね!

大切な仏教経典を引用するなら、最後まで、しっかり伝えて欲しかったです。

もしかすると、今とは違う人生があったかもしれませんから 

訳文は時代とともに大きく変われども、ブッダの言葉は永遠でしょうから・・・

では
返信する
初めて知りました!さん (ひまわり先生)
2011-07-21 21:21:49
母の遺品を片付けていて
つくづく
あ~、虚しいって思いました。
どんなに物に執着しても
あの世には、持って行けないのだと。
残してくれたのは、笑顔や柔らかさ、温かさでした。
返信する

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