小児生愛
猟奇的殺人
8年半前の日光市立大沢小学校の吉田有希ちゃん(小学1年 当時7歳)殺害事件で
逮捕された勝又拓哉容疑者。
被害者の女の子とは、この事件の時まで、何の面識もなかったという。
当時23歳。
現在32歳でほとんど母親と行動し、
無職で、昼夜逆転、夜は、パソコン、
社会性は、ほとんどなかったと報じられている。
父性の欠如。
そして、いつまでも子ども扱いする親の存在。
だから、精神的に子どものままで、子どもに興味を持ってしまう、
というか、大人を相手に出来ない。
この容疑者は、欲しいものは、何でも与えられ、自制心がなかったと言う。
子育て講演会で、お母さん方から
「子どもを叱らないようにしています」とよく聞きます。
叱らない子育て…流行ってます。
本当は、してはいけないことについて、適切に叱ることが大切です。
無条件の愛情、受容的な母性と
ルールを決めて、話をじっくり聴いてやっていけないことを怒鳴るのではなく、
冷静に教える、叱る父性が
ほどよく与えられることが大切です。
母親が安全基地。
安全基地から出撃する時のガイド役となるのが父親。
社会で活躍する人は、父親と沢山遊んでもらった人が多いというデータもあるそうです。
つまり、社会性を身につけるのに大きな役割を果たすのが父親だということ。
母性と父性の両方がバランスよくあること。
それが、子どもに必要な真の愛情。
何でも与え、何でもやっていいという子育ての怖さを私たちは、思い知り
教訓にしなければならない。
この容疑者は、定職に就かず、引きこもりの生活を続けていたという。
義理の父親だった男性(63)は早々に勝又容疑者を疑い、事件1カ月後には栃木県警に「怪しい人物がいる」 と情報提供していた。
「土地勘があったりナイフを集めたり、犯人と符合することが多く、いつか逮捕されると思っていた」
この男性は平成18年1月、勝又容疑者の自宅を管轄する鹿沼署に情報提供。
その2、3年後、事件を担当する今市署の警察官が勝又容疑者について尋ねてきた。
男性が母親(55)に「拓哉じゃないだろうな」と聞くと、「黙ってろ」と怒鳴られたという。
20年ごろに交通事故を起こした際、勝又容疑者は修理業者に「警察沙汰にしたくない。内々にしてくれ」と頼んでいた。
知人らによると、勝又容疑者はかつて、吉田有希ちゃんと同じ大沢小に在籍していたが、有希ちゃんと面識はなかった。
だが、茨城県常陸大宮市の遺棄現場には土地勘があった。母親の仕事の手伝いで現場付近を行き来していたためだ。
勝又容疑者は台湾出身で21年5月に帰化。
中学時代を知る人は、日本語がうまく理解できず、周囲になじめなかったと振り返る。
2年の2学期から3年初めまで通った中学ではほとんど登校せず、同級生は「からかわれる
とすぐにキレて手を出した」と話した。
宇都宮市の中学を卒業後、ホテルで布団おろしのアルバイトに就いたが長く続かず、母親と骨董市で出店していた。
12年ごろからは茨城県内の寺で偽ブランド品などを売っていた。
「母親の偏愛を受けて育った。ほしいものは何でも与えられ、自制心のない子に育っていた。パソコンが好きでのめり込み、昼夜逆転の生活だった」
義父だった男性はこう話した。
社会にうまく適応出来ない人への支援の問題や
子どもに父性的に関わる大人の数が、少なくなった問題も
社会全体の問題として考えていかなくてはいけない。
猟奇的殺人
8年半前の日光市立大沢小学校の吉田有希ちゃん(小学1年 当時7歳)殺害事件で
逮捕された勝又拓哉容疑者。
被害者の女の子とは、この事件の時まで、何の面識もなかったという。
当時23歳。
現在32歳でほとんど母親と行動し、
無職で、昼夜逆転、夜は、パソコン、
社会性は、ほとんどなかったと報じられている。
父性の欠如。
そして、いつまでも子ども扱いする親の存在。
だから、精神的に子どものままで、子どもに興味を持ってしまう、
というか、大人を相手に出来ない。
この容疑者は、欲しいものは、何でも与えられ、自制心がなかったと言う。
子育て講演会で、お母さん方から
「子どもを叱らないようにしています」とよく聞きます。
叱らない子育て…流行ってます。
本当は、してはいけないことについて、適切に叱ることが大切です。
無条件の愛情、受容的な母性と
ルールを決めて、話をじっくり聴いてやっていけないことを怒鳴るのではなく、
冷静に教える、叱る父性が
ほどよく与えられることが大切です。
母親が安全基地。
安全基地から出撃する時のガイド役となるのが父親。
社会で活躍する人は、父親と沢山遊んでもらった人が多いというデータもあるそうです。
つまり、社会性を身につけるのに大きな役割を果たすのが父親だということ。
母性と父性の両方がバランスよくあること。
それが、子どもに必要な真の愛情。
何でも与え、何でもやっていいという子育ての怖さを私たちは、思い知り
教訓にしなければならない。
この容疑者は、定職に就かず、引きこもりの生活を続けていたという。
義理の父親だった男性(63)は早々に勝又容疑者を疑い、事件1カ月後には栃木県警に「怪しい人物がいる」 と情報提供していた。
「土地勘があったりナイフを集めたり、犯人と符合することが多く、いつか逮捕されると思っていた」
この男性は平成18年1月、勝又容疑者の自宅を管轄する鹿沼署に情報提供。
その2、3年後、事件を担当する今市署の警察官が勝又容疑者について尋ねてきた。
男性が母親(55)に「拓哉じゃないだろうな」と聞くと、「黙ってろ」と怒鳴られたという。
20年ごろに交通事故を起こした際、勝又容疑者は修理業者に「警察沙汰にしたくない。内々にしてくれ」と頼んでいた。
知人らによると、勝又容疑者はかつて、吉田有希ちゃんと同じ大沢小に在籍していたが、有希ちゃんと面識はなかった。
だが、茨城県常陸大宮市の遺棄現場には土地勘があった。母親の仕事の手伝いで現場付近を行き来していたためだ。
勝又容疑者は台湾出身で21年5月に帰化。
中学時代を知る人は、日本語がうまく理解できず、周囲になじめなかったと振り返る。
2年の2学期から3年初めまで通った中学ではほとんど登校せず、同級生は「からかわれる
とすぐにキレて手を出した」と話した。
宇都宮市の中学を卒業後、ホテルで布団おろしのアルバイトに就いたが長く続かず、母親と骨董市で出店していた。
12年ごろからは茨城県内の寺で偽ブランド品などを売っていた。
「母親の偏愛を受けて育った。ほしいものは何でも与えられ、自制心のない子に育っていた。パソコンが好きでのめり込み、昼夜逆転の生活だった」
義父だった男性はこう話した。
社会にうまく適応出来ない人への支援の問題や
子どもに父性的に関わる大人の数が、少なくなった問題も
社会全体の問題として考えていかなくてはいけない。