ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

長崎原爆の日

2009年08月09日 | メッセージ
今日は、長崎原爆の日。

小さい頃、私は、母に手を引かれて
毎年、平和祈念公園にお参りに行っていた。

蝉しぐれ。
麦わら帽子越しに見上げる灼熱の陽。

母は、長崎の家で爆風を受け、ガラスが身体に刺さった。

その後、原爆中心地に近い城山小学校で
軍事奉仕していた姉を探しに、
焼けの原を歩いた。

髪は抜け落ち、赤く焼けただれた人、
「水、水」とうめく人。
足に纏わり付く人。
怖くて、怖くて、たまらなかった。

「姉さん、姉さん」
母の声にかすかに反応した、
眼鏡をかけた真っ黒焦げの人。

後から思えば、あの人が、
姉さんだったかもしれない。

「せめて、水をあげればよかった。怖くて、近づけなかった」

と、ずっと自分を責め、悔やんでいた。

夏になると、母はあの惨劇の夢を見て、

夜中にうなされていた。

私もそれを見て、正直、怖かった。
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3 コメント

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祈り (こりす)
2009-08-09 23:41:38
長崎の原爆~もしかしたら、北九州小倉に落ちていたかも~結婚前の20歳の父と家族がそこに居ました。私は今、生まれてないかも...夫も...と、二人でそんな話をしました。怖いです。二度と繰り返さないよう、世界平和を祈ります。
「無関心無関係をやめて、知ることから始めよう」と~
石井竜也さんが平和を願って始められた
『GROUND ANGEL』公式サイトもご覧くださいませ
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Unknown (まなみです(^-^)/)
2009-08-10 11:20:17
主人が『原爆が小倉に落ちてたら、僕は居なかったかもしれない』と言いました。
その瞬間、原爆がもの凄く近いものに感じました。
毎年やって来る、広島と長崎の“原爆の日”。
世界中が平和で幸せになる日が、早く訪れるように…と祈りながら、知らず知らず、遠い記憶の中に置き去りにしてしまってるような気がしました。
テレビで被爆者の方が、モロに爆撃を受けた、わずか15歳の友人が『僕は、なんもしとらん』と繰り返しながら死んで行ったと…。

私も辛くなりました。
返信する
被爆者の思い (ひまわり先生)
2009-08-12 04:25:58
夏になると、厚さから思い出すのか
夜うなされていた母。
被爆者は迫害も受けたし、
あの惨劇を思い出すのが辛い。
だから、人に話したくない。
それでも、時が経つに連れ、苦しみを乗り越え、
ようやく母も晩年70代になってから
NHKのインタビューに答え
被爆体験を話したり
60年前の目に焼き付いた惨劇の油絵を描いたりしました。

苦しみは、過去のものとしてしか伝わりませんが
現在進行形のまま
なくなることは
ありませんでした。
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