光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

房総の漁港②-富津市竹岡港

2020年04月19日 | 日記
 
 富津市のヒカリモ発生地「黄金井戸」を撮影した後、今度は国道127号線を上総湊方面に戻りました。これまではJR内房線を使ってこの周辺を撮っていましたが、今回は公共交通機関は使用せず、車で廻りました。やはり車の方が小回りが利き便利ですね。次に行ったのは4年ぶりの竹岡漁港です。



127号線の交差点「竹岡口入口」を左折すると突き当りが漁港。左に向かうと白狐川河口です。川には野鳥の姿が見えます。ここに橋が架かっていますが、十二天橋です。ただ入り口にロープが張られ入れません。台風でダメージを受けたようです。



 白狐川が海に注いでいますがその手前に赤い鳥居が見えてきます。山の上に在る十二天神社の鳥居です、ここも立ち入り禁止のようです。





  河口の堤防には以前は天羽漁協の荷捌所があったのですが、行って見ると更地です。通りかかった自転車に乗るおじさんに聞いてみました。「老朽化して危ないので、建て直すんだよ」との事でした。更地を見た時は驚きましたが、それで納得。4年前に来た時撮影した荷捌所の写真をUPしておきます。この時も古びた建物だと思ったのですが、新しくなったらまた訪問してみます。



 新しい荷捌所の出来る更地から海を見ると富士山が見えます。左側には富津火力発電所の煙突。次は下洲漁港に向かいました。


富津市竹岡の黄金井戸-国指定天然記念物ヒカリモ発生地

2020年04月18日 | 日記
 
 4/14燈籠坂大師の切通しトンネルを撮影した後、国道127号線を南下してJR竹岡駅近くの黄金井戸に向かいました。ここはヒカリモが日本で最初に発見された場所で、昭和3年(1928年)11月30日に国指定天然記念物に指定されています。





 石の鳥居をくぐり階段を上ると広さ3~4畳程、高さ約3mの海蝕洞窟があります。ここに約70㎝程の水が溜まり、ヒカリモが発生しているのです。池の奥には弁財天を祀る小さな祠が設置され、周りの水が黄色く輝いています。





 このヒカリモはゴールデンウィークの頃が最も藻が水面に広がるそうです。またこの池は上部から水滴が落下し枯渇がなく、菜の花の時期になると水面が黄金色に染まる事から黄金井戸と呼ばれています。下はその池のUPですが、まだ繫殖中でもう少したつともっと黄金色になるようです。



 この後竹岡駅に行きましたが、黄金井戸のある小山の横に富士山がクッキリ。とても綺麗でした。駅のベンチに座りコンビニで購入した飲み物とパンで昼食です。外食は新型コロナの感染もあるので、ひかえました。


燈籠坂大師の切通しトンネル-富津市竹岡

2020年04月17日 | 日記
 
 4/14富津市の大貫漁港を訪ねた後、国道127号内房なぎさラインを車で館山方向に向かいました。竹岡漁港近くに在る燈籠坂大師の風通しトンネルを撮影に行くためです。ここは昨年12月21日の御大師様の縁日に行って以来ですから、4か月ぶりの訪問になります。



 燈籠坂大師は弘法大師が行脚中、ここに腰を下ろして休んだという伝説に基づき建てられたお堂。切通しトンネルはその参道で、明治から昭和にかけ地元住民によって手掘りで掘られたトンネル。長さ約100m、高さは約10m、風が良く通り古代遺跡を思わせるトンネルです。



 国道127号線沿いにある、赤い鳥居のような参道入り口を入ると直ぐ右に駐車場。ここに車を停めて20~30m進むと1つ目のトンネル。入り口の石碑に燈籠坂大師参道と刻まれています。暗いトンネルの下は内房線が通っています。



  小さいトンネルを抜け、右手に進むと切通しトンネル。その威容に圧倒されます。ただトンネルの中央に「落石注意」と「通行禁止」と書かれた看板が置かれていました。地元の人が軽トラックできて、一方の看板をずらして通行して行ったので聞いてみると、気を付けて通れば大丈夫との由。注意してトンネルを歩き、一応天井部分も撮影しておきました。





 大師堂まで急な男坂という階段が続いています。仏教の寺院なのに鳥居がある珍しい場所。上る途中で振り返ると内房線の電車が通過して行くのが見えました。







 太子堂の境内からは、房総の海が見えます。ただ残念な事に富士山は木々に隠れ見えませんでした。帰りは傾斜の緩い女坂を下り、再び切通しトンネルを通って駐車場に戻りました。



南房総の漁港‐富津市大貫港

2020年04月16日 | 日記
 
前日の雨があがり、風が強く吹いていた4/14(火)。午前5時半頃ツレと散歩をしていたのですが、南西方向に真っ白い富士山が見えてきました。この時、今日は車で人のいない南房総の漁港と富士山を見に行こうと思い立ちました。



  出発したのは午前9時頃。国道16号線から465号線を、館山方面に1時間ほど走ると富津市・大貫漁港。内房の海は富津岬から、ちょっとワイルドな景観になってきます。

 風が強いので東京湾の対岸が良く見えます。木更津でも早朝見えていた富士山がここでもクッキリ。少し雲がかかっていましたがとても綺麗です。





  風が強いせいか漁船の周りに人影がありません。漁は休みのようです。





 漁港中央の突堤に穴子漁の漁船が停泊していました。昨年11月にもここに来たのですが、その時と同じ船がありました。しかし誰も乗っていません。

 11月に撮影した写真を、差し上げようと持ってきたのですが、残念です。(下の写真です。)面白い漁師のおじさんたちでした。お会いしたいので、また来てみようと思います。





  その後神明社の鳥居の前をとおり、岩瀬海岸に出ました。ここは例年馬だしまつりが行われる場所。そこに降りて、砂浜越しに富士山を撮影。
 今回の漁港巡りは、富士山が何処に行っても良く見えラッキーでした。しかし人が少ないですね。大貫漁港では誰とも話しませんでした。




木更津市郊外の野鳥たち-アオサギ、シラサギ、カルガモ等

2020年04月15日 | 日記

 人と接触しないという行動が、新型コロナを抑えるというので、毎日散歩にいそしんでいる今日この頃。野鳥の姿を見つけるのが楽しみになって来ました。

 4/7の午前7時20分頃ツレと散歩していた上空を、大型のアオサギが飛行していました。アッという間でしたが辛うじて1枚シャッターを切りました。

 後日rau現像してみるとアオサギが枝を咥えているのが写っていました。巣造りでもしているのでしょうか?こんな場面は見た事がありません。またこの時田んぼにはシラサギの姿もありました。





 田んぼにはもう水が張られて田植えの準備も進んでいます。その水面に横を通り過ぎる人達が写っていました。その横には3羽のカルガモが浮かんでいます。4/12午前7時頃の光景。





 4/10の朝、ツレと何時もと違う道をあるいていると、小山にナガミヒナゲシが咲いているのを見つけました。空に向かってオレンジの花がとても綺麗。



 4/10はカルガモだけしか目撃できませんでした。農業用水にいた2羽のカルガモ、私たちが接近すると並んで飛びたって行きました。





 上は4/4午前7時10分頃農業用水の土手にいたペアのカルガモ。下は同時刻に撮った野鳥です。



昭和のやきそばをテイクアウトで味わう-木更市・たいりょうや

2020年04月14日 | 日記
 
 緊急事態宣言を受け、木更津の潮干狩り場が休業するというので、市内の潮干狩り場に行って来ました。途中みたて海岸沿いの道路を車で走行中、やきそば、テイクアウトという幟に気が付きました。時間は午前11時半頃そろそろお腹も空いてきた時でした。。



 幟が出ているのですが、店舗が見当たりません。道路の反対側の「みたて海岸の駐車場」に車を停めて幟の辺りに行ってみました。道路から一段下がった倉庫のような建物の前にメニューが載った看板がありました。



 ここが「たいりょうや」というお店の様でした。裏が入り口になっています。客が1名いました。新型コロナの影響もあり、テイクアウトも出来るようです。私たちは看板メニューらしい、鉄板ソースやきそばの中(麺1.5玉税込み450円)と小(麺1玉430円)を持ち帰りでお願いしました。



 お店は女性2人。厨房に1人、接客で1人です。店名を聞いてみると、名刺をいただきました。
海の店・たいりょうやです。営業時間は11時~定休日は毎月曜日と第一火曜日。やきそばは注文して10分位で出てきました。



 家に帰ってやきそばをいただきました。美味しいですね。ちょっと薄味ですがソースにコクがあって絶品。名刺に昭和の味・鉄板やきそばとありましたが、懐かしい味です。キャベツと豚肉、天かすが入っていました。

 メニューも沢山あったので、他の物も食べて見ようと思います。もちろんテイクアウトでお願いするつもりです。(上の写真で、右側のお皿に盛りなおしてあるのが小、左のパックに入っているのが中です。)


木更津の潮干狩りが休業です。②‐金田みたて海岸&牛込海岸

2020年04月13日 | 日記

 4/11のTVで横浜の潮干狩り場が休止になり、網を張って浜に入場できないようになっていると報道されていました。木更津でも4/9頃から5か所の潮干狩り場が休業しています。新型コロナの緊急事態宣言を受けての処置ですが、だんだん追い詰められていくようで寂しいですね。

 昨日2か所の潮干狩り場の状態をリポートしました。今日は残りの潮干狩り場の現状をUPします。まず金田みたて海岸です。



  この海岸の入り口には恐竜の模型が置かれ、みたて海岸のシンボルになっています。その後ろに見えるのがアクアライン。潮干狩り場の出入り口は閉鎖され、潮干狩りは緊急事態宣言により、4/9~5/4まで臨時休業いたしますという看板が掛けられ、中に入れませんでした。



  久津間海岸から金田みたて海岸に行く途中、畔戸漁港が近いので、寄って来ました。ここも浜大根の花が満開、アクアラインをバックに写真を撮りました。





 みたて海岸の次は牛込海岸。ここの潮干狩りの入場口は東と西側の2か所あるのですが、両方とも閉鎖されています。案内が出ていないのでホームページで見てみると4/9から当分の間休業しますと書かれていました。



 潮干狩り場の海に2人の漁師が、防水作業着を着て何か作業をしていました。近くで刺し網を修理していた漁師さんがいたので聞いてみました。海苔の網に牡蠣などの貝が付くので掃除をしているとの事でした。





  岸壁には去年の台風で出たゴミを入れたバックが沢山並んでいます。中には木やプラスチック等がたくさんはいっていました。そしてその横にはお地蔵さんが置かれ、海には海中電柱が並んで立っています。

 今は使われていない密猟監視小屋に電気を送る電柱、近い将来には撤去されるようですが、木更津の海にはなくてはならない景観です。



木更津の潮干狩り場が休業です。①-江川&久津間海岸

2020年04月12日 | 日記
 
 4/10(金)の朝日新聞千葉版を見て驚きました。新型コロナの緊急事態宣言を受けて、木更津海岸を除く5か所の潮干狩り場が、4/9~5/4まで休業をするというのです。木更津の潮干狩りと言えば東京湾の初夏にかけての風物詩。それが1か月も休業するのですから大変ですね。

  早速4/10午前10時頃から木更津の潮干狩り場を巡ってみました。まず始めに行ったのは江川海岸潮干狩り場です。



 江川海岸に着くと入り口にワイヤーロープが張ってあり、潮干狩りが5/4までコロナウイルスの影響で休業と言う看板が出ていました。海岸には大型のクレーン車やトラックが見えるだけで、観光客は誰もいません。寂しい限りです。
 

 海岸の右手奥には台風の被害によるゴミが積み上げられており、その周りに作業員と思われる人や車が停まっていました。休業期間にこのゴミを処分するのでしょうか?





 次は隣の久津間海岸潮干狩り場。駐車場の入り口に、新型コロナウイルスの影響で4/19まで休業するとの掲示板が、置かれていました。漁協に電話するとそれは間違いで5/4までとの事でした。漁協の職員も高齢化が進み、職員が感染すると大きな被害が予想されるので決断したようです。



  海中に延びる電柱が目を引きます。もう潮干狩りをする準備は整っているようですね。
周りには浜大根の花が満開。とても綺麗です。



 今日は富士山は見えませんがこんな美しいロケーションの中で、潮干狩りが出来たら最高でしょうね。早く新型コロナウイルスが収束するのを祈るばかりです。




書評・兵隊さんに愛されたヒョウのハチ

2020年04月11日 | 日記
 新型コロナの影響で不要不急の外出をしなくなった今日この頃。家で本を読む時間が増えました。そんなある日新聞の広告欄に、目がいきました。たちまち9刷 七歳の少女から95歳のお年寄りまで続々感動の便り『兵隊さんに愛されたヒョウのハチ』という本の広告です。

 興味をひかれたのでAmazonで注文しようとしたら品切れ。中古本もでていたのですが、新刊より何倍も高い値段です。びっくりしました。暫く待ってみようと思い、1週間後にまたAmazonで探してみると、在庫があり早速注文しました。

 

  第二次世界大戦中の辛くて可愛そうな話でした。中国の湖北省陽新県と大治県の境に在る銅山「牛頭山」で日本軍の兵隊に拾われた子どものヒョウのハチ。猛獣も親身に世話をすれば心が通い合うという実話です。ヒョウもいびきをかくそうです、初めて知りました。

 その後上野動物園に引き取られたのですが、大戦末期に空襲で檻が壊れ、町に出ると危険と言う事で処分されてしまいます。しかし剥製が高知みらい科学館に展示されているいるそうです。一度見てみたい、辛い思いをさせたねと言ってあげたい、本を読んでそんな気持ちになりました。

お札の貼られた百地蔵②-袖ヶ浦市のパワースポット

2020年04月10日 | 日記
 
人との接触をなるべく避け、人のいない場所で心に残る光景を探し,撮影しています。4/6(火)はツレと袖ヶ浦市高谷の延命寺・百地蔵尊を訪ねました。寺の裏山に置かれた無数のお地蔵様や石板に沢山のお札が貼られています。



 これはお彼岸に訪れた人が、願いを込めて貼ったものですが、お地蔵さんのお顔が見えない程貼られています。ただ中には優しいお顔が見える石仏もありました。

 何故こんなに沢山のお地蔵様や石板、石仏があるのでしょう?そしていつ頃からお札が貼られるようになったのか?とにかく不思議な場所です。



 この延命寺は奈良時代・神亀元年(724年)の頃、行基上人によって創建されたという古刹。
寺には豊臣秀吉発行の古文書が所蔵され、幕末には旧幕府軍の歩兵隊が、寄宿中に官軍の攻撃を受けた場所でもあります。



 この百地蔵尊が置かれているのは高さ2~30mの山麓。けっこう急な山道ですが、何故か楽に登れました。今はやりのパワースポットのようです。



 百地蔵を撮影しながら、裏山を30分位で一回りして来ました。



 延命寺は寺自体が小高い場所に在り、車で降りて来ると「道しるべ」が立っているのに気づきました。田園空間袖ヶ浦散策路と書いてあるようです。今度はこの道しるべの指す場所に行って見ようと思います。