光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

木更津市長須賀のハスの花とカルガモの群れ

2020年08月31日 | 日記
 
 茹だるような暑さが続く今日この頃。8/28(金)の早朝ツレと木更津市長須賀地区に、ハスの花と野鳥の姿を見に行って来ました。7/27に訪問した時はまだ蓮の花は殆ど咲いていませんでしたが、この日は沢山のハスが開花しており、咲き終わって実になっている物も多数ありました。時間は午前5時半頃、夏の強い朝日を浴びた内房線の電車がコントラストの強い光景を生み出しています。





 通過する内房線を見ていると、雲の合間から100羽位のカルガモの群れが飛翔してきました。その群れは3つあり、東の方向に飛んでいきました。何処に行くのでしょう、旅立ちでしょうか。



 あまりに数が多いので、鳩ではないかと思ったのですが、拡大してみるとカルガモです。





 地上では、ハスの葉の間に白や薄いピンクの花が咲いていました。そしてハス田の横に停めてあったトラックの先にカルガモの群れが羽を休めていました。あまり近づくと飛び立ってしまうので望遠で撮影。このところ自宅近くの農業用水には、カルガモがいなくなって心配していたのですが、こちらに移動したようです。



 カルガモの群れの側にはたいていシラサギやアオサギがいます。食性が同じなのでしょうか。





 ハス田が少なくなり、湿地帯や稲田に変わっています。ハスの栽培は重労働なので後継者がいないのでしょうね。今は野鳥の楽園ですが、いつ宅地になるか分かりません。心配です。


 

竹岡漁港と小泉酒造の大吟醸ソフトクリーム-富津市

2020年08月28日 | 日記
 
8/22燈籠坂大師の切通トンネルを撮影した後、国道127号線を少し上総湊方面に戻りました。竹岡漁港に行くためです。127号線の信号「竹岡IC入り口」を左折すると直ぐに漁港が見えてきます。時間は午前10時頃、気温が高いせいか誰もいませでした。





 鄙びた漁港ですね。破れた漁網や浮きやブイが所せましと置かれています。南房総の漁港は何処も大雑把で同じような光景です。何に使うのかリヤカーが2台並んでいました。テトラポットの向こう岸は小高い山、十二天神社や延命寺等がある場所です。



 天羽漁協の荷捌所、昔の建物は撤去され新しい物に建て替えられています。木陰で休んでいたおじさんに、いつ頃できるか聞いてみました。来年の2月頃との由、おじさんは「あまり長いと漁師がいなくなっちゃうよ。年寄りばっかりだからね」と笑っていました。



  荷捌所の工事現場の近くに旧いセリ場がありました。現在も使われているらしく、黒板に漁船名や数字が書き込まれていました。



 これで竹岡漁港を離れ、寛政5年(1793年)創業の小泉酒造に向かいました。127号線を上総湊方面に戻り、湊川を渡ると直ぐの信号を右折。県道93号線を鹿野山方向に走ります。道は国道465号線に入り30分程で小泉酒造に到着です。



  広い駐車場の左側には資料館。入り口の前には大きなお釜が置かれていました。



  そして資料館の裏は酒造りの工場。予約をすれば見学も出来るそうです。




 
 駐車場の正面は大きな「ソムリエハウス酒匠の館」、入って見ると酒の試飲ができる場所でした。車で来ているので、試飲は止めて大吟醸ソフトクリーム(税込み350円)とあずきソフト(450円)をいただきました。



 大吟醸ソフトはアルコール分は入っておらず、運転には支障がないとの事でした。ほんのりと大吟醸酒の香りがする美味しいソフトクリームです。あずきソフトは底にシュガーコーンがひかれその上につぶ餡、一番上がソフトクリームでした。こってり甘いあんみつの様で美味でした。(下の写真で背の高い方が大吟醸ソフトです。)


燈籠坂大師の切通トンネル-富津市の房総往還を訪ねて

2020年08月27日 | 日記
 
8/22(土)富津市郊外にある、燈籠坂大師の切通トンネルをツレと歩いてきました。ここはSNSで知られた千葉の秘境スポット、以前は観光バスが停車し見物人が大勢来ていましたが、コロナ禍のせいかこのところ静かです。

 私たちは午前9時頃到着、まだ朝早いので誰もいません。木に囲まれ三密もなく本当に別天地です。赤い不思議な格好の鳥居を潜り1つ目のトンネルに入りました。





 このトンネルの下はJR内房線が通っています。50~60m程の短いトンネルを抜けると巾3m位の道路に突き当たります。この道は江戸時代の街道・房総往還。房総往還は船橋から館山まで続く地方街道です。右に進むと燈籠坂大師の切通トンネル、雄大な姿が見えてきます。下の写真は左側の竹岡に至る房総往還、細く古い道です。





 切通トンネルに入ると涼風が吹き抜け、別世界に来た気分になります。切通した部分とトンネルをあわせると長さは100m位、高さは10mもあるそうです。この道は勿論房総往還、少し前まで路線バスが通行していました。





 トンネルを抜けると石の鳥居があり、大師堂に向かう階段が続いてます。急な石段をやっと上ると前方に東京湾も見え爽快、登った甲斐がありました。





 大師堂の横には手づくりの石段があり、上がっていくと山道に続いています。道端にはお地蔵様がひっそりと置かれていました。大師堂を降り房総往還を館山方面に歩いてみました。しかしこの先は内房線の線路があり先に進めません。



  来た道を引き返しましたが、トンネルにはバイクが3台来ていました。静かに走行して記念撮影をするようです。私たちは次の目的地竹岡漁港に向かいました。



リニューアルした森の中のレストラン・ヴェールフォンセ-木更津市

2020年08月26日 | 日記
 
 8/19(水)2年ぶりに、木更津矢那のヴェールフォンセを訪問しランチを食べました。ここはかずさアカデミアパークに行く途中にある森に囲まれた静かなレストランです。

 コロナの緊急事態宣言(第2波真っ最中の中、死語の様な言葉で申し訳ありません)が終了したので行って見たのですが、店は大幅に変わっていました。聞いてみると2か月かけてリニューアルし、3月1日にオープンしたそうです。。



 前は道に面した所が入り口だったのですが、駐車場側から入るようになっていました。カフェテラスも出来ていて、ワン(犬)ちゃん同伴もOK。平日のランチは11時30分~15時、土日祝日は16時まで年中無休の店です。外観も綺麗になり、ビックリしました。

 

 11時半頃入店したのですが、一番乗り。後から3組の客が入って来ました。広さは変わらないのですが、レイアウトがモダンになっていました。

 ここは以前は鎌足郵便局だった場所、学校の教室の様な内装でしたが照明が増えて明るくなっています。ただ以前の方がレトロで良かったような気がします。



 私はランチメニューからオムハヤシのセット、飲み物とパンとサラダ、デザートが付いて税別1400円。ツレはアスパラとキノコのメンタイクリームパスタセット1600円をお願いしました。2年前からするとオムハヤシのセットは100円、パスタセットは200円値上げしていました。諸般の事情でやむを得ないのかもしれません。



 5分程で、チョイスしたアイスコーヒーとパンとサラダが出てきました。ミニサラダですが、クルトンがかけてあって面白い食感でした。



  先に私のオムハヤシが登場。大きなお皿にたっぷりのデミグラソースがかかったオムライスです。オムライスを半分にしてみましたが玉子の中は美味しいご飯です。久しぶりに食べましたが、コクがあってとても美味。大満足です。





  続いてツレのメンタイクリームパスタが出てきました。少し分けてもらいましたが、上にのった薄い木の実のチップが食欲を誘います。キノコやアスパラも良い歯ごたえで、パスタと合った食感でした。ただツレは柔らいパスタが好みなので、麺が少し硬いと言っていました。



 最後はデザートです。何種類かのフルーツとソフトクリーム等がとても美味。これだけでもランチのセットを注文したかいがありました。


 

磨崖仏の岩谷観音堂・十日参りを見学-富津市

2020年08月25日 | 日記
 
 8/10(月・祝)気温が高く少し歩いても汗まみれになる蒸し暑い日でした。ツレと富津市数馬地区の岩谷観音堂やぐら群(洞窟)を訪問。1年に1度この日に行われる十日参りを見てきました。

 沢山の磨崖仏が彫られたやぐら群は古墳時代の横穴を再利用して彫られています。伝説によると奈良時代の高僧行基上人(奈良の大仏製造の責任者)一夜の作とも伝えられている神秘の洞窟です。



 この岩谷観音堂に着いたのは午後1時頃。この8/10は1年に1度観音堂の扉が開かれ、奥の第1窟に刻まれた阿弥陀如来像や観音菩薩像を見る事が出来ます。観音堂に入り、ロウソクとお線香を購入して参拝。正面の像と縄文時代の石棒を許可を得て撮影しました。初めて拝見した第1窟、神秘的な佇まいに感動しました。





  その後第2窟等他の磨崖仏を見学、撮影しました。この日はやはり普段の日とは違い多くの人が来ています。その為か第2窟は照明が点いていて見やすくなっていました。






  女性の見物人も多く、身近に見える磨崖仏に感心していました。





 今回は少し磨崖仏に接近し、仏の横にある文字も撮影。彫った人の息吹が感じられるようで、親近感が湧きました



 ツレもライトに照らされた磨崖仏を熱心に撮影していました。帰りには観音堂にいた係の人からお菓子と飲み物をいただき感激です。また来年も来ますからと言葉を交わし帰宅しました。


富津市湊のレトロな町並みを歩く②‐岩をくり貫いた駐車場

2020年08月24日 | 日記
 
 8/10国道276号内房なぎさライン「湊」交差点角の小泉酒店で、地元竹岡の清酒を購入。湊地区のレトロな街角をツレと撮影して歩きました。JR上総湊駅近くの湊地区は古い町です。江戸時代は湊町、次に天羽町になり、富津町を経て富津市になっています。以前はここに富津市役所があった程の経済の中心地でした。

 湊地区は名前のように湊川の流れに沿った町。色々面白い物やレトロな建築物に出会いました。上の写真は県道93号線の岩谷観音堂付近にあった岩穴を利用した駐車場です。





  小泉酒店を出て県道93号線を上流に向かいって歩きました。100m位進むと昔の街道・房総往還と交差する場所にでました。前方に旧湊橋が架かっています。ここには銀行や大きな商店があり、昔の地区の中心地、札の辻だったようです。





古びた蔵の窓が昔を語っているよう。道路沿いの薬局も港町らしい「いわしや薬局」面白いです。





 変わった形の建物がありました。八百屋さんでした。お盆の花・ミソハギが売っていたので、ツレが購入。暫く歩くと湊川が見えてきました。大きな川です。





  川の反対側は砂岩の台地で、所どころに穴が開いています。



  トップの写真もそうですが、砂岩をくり貫いて納屋や駐車場にしていました。不思議な光景です。



富津市湊のレトロな町並みを歩く①-蔦の絡まる蔵の屋根に咲くユリ

2020年08月21日 | 日記
  
 8/10(月・祝)富津市湊のぼんぼん亭で昼食を撮った後、ツレと港の古い町並みを散策し写真撮影をしてきました。この湊地区は江戸時代から房総往還の継場として栄えていた所。横を流れる湊川は、関東大震災で地盤が隆起する前まで川底が深く、薪炭や金谷の房州石を運搬する船の船溜まりで、1892年(明治25年)には東京湾汽船の寄港地にもなっていました。

 ぼんぼん亭の前の県道93号久留里鹿野山湊線を国道127号線方向に進むと旧い蔵が見えてきました。蔵全体が蔦に絡まれ屋根にはユリの花が咲いています。あまり見かけない風流な光景です。





 この蔵の先の路地を湊川方向に行くと、これまた昭和が香る飲食店がありました。本日は営業していないようですが、1度入って見たい店ですね。



 湊川と並行する県道93号線沿いには蔵が沢山残っていました。また廃屋が壊され空き地になった場所も目につきます。



 そして93号線と国道127号内房なぎさラインが交差する信号の角に、小泉酒店があります。



 

 店の前には杉玉が下がっていました。店の人にここでお酒を醸造しているのか聞いてみると「93号線の先で、鹿野山に近い本家・小泉酒造で酒造りをしており、ここは分家です」との由。小泉酒造は寛政5年(1792年)創業の造り酒屋で、ソムリエハウス酒匠の館を開いているそうです。この店の横には今時珍しい電話ボックスが在りました。プッシュホンが懐かしい。





 店の中は沢山のお酒が置かれており、目移りしてします。色々見たのですが地元の酒「竹岡」と言うお酒を購入しました。



富津市湊のぼんぼん亭でランチ

2020年08月20日 | 日記
 
 8/10(祝日)富津市の岩谷観音堂遺跡をツレと訪問。到着したのが午前11時半頃になったので、ここ湊地区で食事のできる所を捜しました。300m位の所にぼんぼん亭と言う店があり入店しました。コロナ禍になって初めて店内の飲食です。これまで外食はテイクアウトにしていましたから。



 店内は割と広くてテーブル席が3卓。右側半分が小上りでした。小上りには5~6人のグループが2組入り、テーブル席には1人の客が食事をしていました。法事の客が多いらしく地元に密着した店のようです。メニューを見ると日本食からラーメンなどの中華、何でもありの食堂といった感じです。私は天ざる(税込み1200円)ツレはざる蕎麦(650円)を注文しました。



 注文して5分程で天ざるとざる蕎麦が出てきました。天ざるとざる蕎麦の差額は550円。天ぷらの価格がちょっと高すぎな感じです。天ぷらは4種で海老とキス天、シシトウにナスでした。ころもは厚めもっさりとしていました。



 蕎麦はシコシコしてとても美味。汁は辛めです。ツレも蕎麦は美味しいと食が進んだようです。これで天ぷらがもう少しカラッとしていたら言うことなしでした。定食が充実しているようなので、機会があったらから揚げ定食でも食べて見ようと思います。


 

富士山とカルガモの飛翔-木更津市郊外の野鳥たち

2020年08月19日 | 日記
 
 4~5ヶ月ぶりに木更津市の自宅近くで富士山が見えました。8/11(火)の午前5時半頃青いシルエットになった綺麗な富士山でした。7月末頃郊外の農業用水に集まっていた沢山のカルガモたちも、大半が何処かに飛び去り3分の1位に減ってきました。

 高圧電線が周りを囲む田んぼの上では、カルガモたちが飛翔するのをよく目撃します。子カルガモが多いので、編隊を組めずに低空飛行をしていますが、やはり移動する為の飛行訓練の様です。





  ここにUPしたのは8/5~8/10まで毎日カルガモたちの飛翔を撮影した写真です。





 当ブログは写真を10枚前後使用して構成していますが、今回はもう少し増やしました。カルガモたちの懸命な飛翔する姿をご覧いただきたいと15枚使用しています。





  カルガモの飛翔を見るのは殆ど早朝です。日中は気温が高いので控えているのでしょうか、不思議な気がします。



 ここから下の4枚は朝日の中を飛翔するカルガモたちです。シルエットになった鳥たちがとてもフォトジェニック。









 降下して農業用水に降りて行くところも撮影出来ました。下2枚がその写真です。





 最後は8/10の農業用水の光景です。100羽近くいたカルガモたちも20~30羽に減り、ちょっと寂しくなってきました。



木更津名付けの英雄・日本武尊ゆかりの吾妻神社と駅前の火事

2020年08月18日 | 日記
 
県道87号木更津袖ヶ浦線の旧道を撮影した後、起点となった吾妻神社を参拝し撮影して来ました。木更津、君津、袖ヶ浦地方には日本武尊と妃・弟橘姫の伝説が数多く残っています。

 古の伝説によると、武尊が相模から上総に船で渡っていた時、海が荒れ遭難しかけたのを、妃の弟橘姫が身を海中に投じ鎮めたとの由。その数日後弟橘姫の片袖がこの地に漂着、人々がこれを納めて祠を建立し姫を祀ったのがここ吾妻神社と言われています。





 そして無事上陸後、漂着した妃の袖をみた日本武尊が詠んだ歌が「君去らづ 袖しが浦に立つ浪の その面影を みるぞ悲しき」。この歌の君去らづが「木更津」、袖しが浦が「袖ヶ浦」と言う地名になったと言われています。

 この神社の社殿左側には鏡ヶ池と言われる小さな池があります。日本武尊が弟橘姫が使っていたという鏡を沈めたと言われる池。また武尊や従者達が喉を潤し、水面を鏡の代わりにして疲れ果てた己の姿を映し、身なりを整えたという伝説もあります。リアルな描写です。こんな話が残るのは日本武尊伝説は架空の物語ではなく、実際これに近い事実があったのかもしれません。





  鏡ヶ池の近くには御神木と思われる大きな木があり、周囲を圧倒していました。また社殿左側には高さ2~3m位の富士塚。階段が付いていたのでツレと登って、山頂の木花咲耶姫の碑を参拝してきました。これで吾妻神社の参拝を終わり、車で木更津駅西口に向かいました。





  木更津駅西口近くの日本武尊ゆかりの八剱八幡神社に行こうとしたのですが、駐車場に入れませんでした。前日の8/7昼頃発生した火事の為駐車禁止になっていたのです。近くのパーキングに車を停めて現場に行ってみました。

 6棟の家屋が焼けたとの事、ひどい状態です。こんな生々しい現場は初めて。怪我人はいないらしいですが、それが唯一の慰めですね。お互い火の元には気を付けましょう。