光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

木更津界隈-空き地が増えた駅西口歓楽街

2024年01月31日 | 日記

 1/23(火)木更津税務署に行く用事があったので、ツレとカメラを持って税務署周辺の歓楽街を撮影してきました。税務署は八剱八幡神社から海に伸びる鳥居崎通り沿いにあり、ここから鳥崎公園方面を見ると赤い鳥居が見えます。この鳥居は神社の一の鳥居で、昔は海の中に立っていたそうです。

 そして税務署周辺は江戸時代から昭和にかけて花街がありました。税務署の北200m位の場所に木更津会館、いわゆる芸者の置屋が現存しており、今も営業中です。芸者も10人くらいは活躍中との由。

 トップの写真は税務署の道路の反対側にあったクラブの看板。その先には狭い路地があり、小さなスナックや飲食店が軒を連ねています。

 その横にはお好み通りと言う飲み屋街もあり、木更津の歓楽街も捨てたもんではないと言う印象です。近くの富士見通り沿いには大きなクラブがあり、ホステスの写真が5人飾ってありました。

 税務署から10m位鳥居崎通りを海の方に行くと観月通りです。少し前まで木更津の代表的な歓楽街でしたが今は閑散としています。空き店舗やシャッターが閉まって休業中という店が目立ちます。

 一度夜撮影に来たいと思うのですが、なかなかチャンスがありません。

 この辺りは童謡で有名な證誠寺の裏手になりますが、空き地が増えています。

 観月通りを進むと一部で名前が知られているらしいルフランというスナックがありました。その周辺には結構スナックが集まっています。

 またこのルフランと宵猫(よいねこ)と言うお店の辺りに、以前は沢山猫がいたのですが、この日は姿を見せませんでした。

 そして100m位歩くと矢那川に出ます。ここに架かった橋から富士山が見えました。写真を撮影していると、通りかかった車の中から富士山を撮っているのですか?と声をかけられました。気温が下がり、空気も澄んでいるので富士山が良く見える、木更津に住む私たちの今日この頃です。


我が家のネコたち-子ネコのいる光景

2024年01月29日 | 日記

 去年の暮れから我が家に子ネコがやって来ました。名前はまだありません。まるで夏目漱石の「吾輩は猫である」のようですが、とりあえず「モコモコ」と呼んでいます。とても可愛いネコで、餌がほしくなると小さな声で鳴きながら、私の方をじっと見ています。

 おてんばなネコで、よく庭の松の木に登ったりして遊んでいます。

 我が家に来て1月たった1/23のモコモコです。かなり大きくなり他のネコともよく遊んでいます。

 庭の木の葉や虫を見つけ一匹で遊んでいることも多いです。

 この黒シッポと仲が良くて一緒に寝ています。とにかく最近ネコが多くなって、餌を購入する量が増える今日この頃です。


少し遅めの初詣-木更津総鎮守八剱八幡神社

2024年01月26日 | 日記

 1/18(木)ツレと木更津駅西口の八剱八幡神社に初詣に行ってきました。初詣にしては遅いのですが、調べてみると初詣の参拝時期は5つに分けられるようです。

 1つは元旦、次に三が日、松の内(1月1日から7日まで、15日までの地方もある)、小正月(1/15)節分(2/3)までで初詣の期間は決まっているわけではなく、この5つの期間内であれば問題はないそうです。

 お参りした後神社境内を散策しましたが、鳥居の側から海岸方面を見ると赤い鳥居が見えました。鳥居崎公園の鳥居ですが、これは八剱八幡神社の一の鳥居で昔は海の中に立っていました。江戸時代には一直線に伸びた参道から木更津港が良く見えたようです。

 境内には面白い物がありました。おみくじを結ぶ物なのですが、今年の干支に因んで龍の形をしているのです。この神社では毎年干支に因んだ物を用意しており、昨年はウサギの形をした物がありました。

 また神社にしては珍しい立て看板も目に付きました。ー御来光の道ーと言う絵馬の形の説明板です。それによると春分の日、秋分の日に太平洋からのぼる太陽が島根県の出雲大社へと進む光の道が在り、レイラインと呼ばれています。レイラインは世界各地に何本もあり、それが通る場所はパワースポットとして知られているそうです。

 日本で最も有名なレイライン上には富士山頂や元伊勢をはじめ名だたる聖地が並んでいます。そしてこの線上に位置する木更津には、全国唯一「八」が二つ並ぶ八剱八幡神社があり、パワースポットとして注目されています。

 午前10時頃、境内右手の神輿殿方向から沢山の子供たちがやって来て、本殿前でお参りをしていました。20~30人位いたでしょうか?あっという間にお参りを終えて戻っていきました。そのキビキビした動作に感心してしまいました、

 また本殿前から源頼朝公お手植えの蘇鉄のある場所にかけて、水引を飾った木製のゲージが置かれれていました。色とりどりの水引が清々しく、辺りの景観を清めていました。

 その後木更津高校美術部が画いた愉快な狸たちの壁画を抜けて帰宅しました。


木更津の家内安全・厄除け祈願ー不思議な行事つなはり③

2024年01月24日 | 日記

 日にちを変えて今度は中島地区のつなはりを撮影に行きました。最初は鯨集会所近くにある竹内商店横のつなはりです。ここでは何年か前に、つなはりを5~6人がかりで張っているところを見物したことがあります。

 このつなはりはタコに特徴あり、結構リアルです。他にサイコロ、鹿島人形一対、タワシ、エビが吊られています。また竹内商店の庭にはつなはりの模型が置かれていました。

 この近くに梵天立てで使用した鯨地区の小梵天が置かれていました。

 次は竹内商店よリ西に100m程進んだ場所にあるつなはり。吉祥院というお寺の側に2カ所張られています。最初の物はお寺に入る道路沿いにあり、つなはりを結んだ電柱に小梵天が括られているのが特徴です。

 もう一カ所は吉祥院の南側入り口です。かなり長く張られていて、このつなはりが木更津の中では最長と思われます。

 吊り下げられたわら飾りは9点も在りました。この下げる物にはそれぞれ意味があります。タコは悪い物を吸い取り、鹿島人形は災いを除ける、エビは長寿、サイコロは船が難破しないように2個作り、1つは船の心臓部に安置すると言う曰くがあるのです。

      

 最後のつなつりは、ここから北に50m位行った狭い生活道路にあります。車を止めることが出来ないので車中から撮影しました。


木更津の家内安全・厄除け祈願ー不思議な行事つなはり②

2024年01月22日 | 日記

 天満宮そばの2カ所のつなはりを撮影した後、牛込漁港に行きました。この周辺にもつなはりがあり昨年は、3カ所みることが出来ました。しかし今年行ってみると残念なことに1カ所しか確認できませんでした。

 このつなはりも三叉路の入り口に立てられています。バックに大きな木があるだけでとても撮影しやすい場所にあるつなはりです。

 そしてこの地域を歩いてみたのですが、赤い社殿の神社が在りました。3年前に行ったことがある野尻稲荷大明神です。不思議な形の木が何本も生えており、ちょっと不気味な神社でした。

 その後キサラピアの観覧車側に移動。ここには変わった形のつなはりがあります。

 このつなはりは電柱にタコやサイコロ等が纏めて吊られています。以前は道をまたぐように吊られていたようですが、車の通行が激しく綱が切られてしまうので、このような形になったようです。ここは位置的には牛込と金田東の境目ですが、地図上は金田東に入ります。

 もう一つ金田東につなはりが在ります。このつなはりも以前は横に張られていたのですが、昨年から電柱に沿った縦長のつなはりになりました。

この下は2023年1/14撮影のつなはり。この年から縦になりました。

 そして次は2020年1/14撮影のつなはりの写真です。4年前にはこのように正当的なつなはりだったのですが、今は目立たない縦型のつなはりです。


木更津の家内安全・厄除け祈願ー不思議な行事つなはり①

2024年01月19日 | 日記

 1/7厳寒の神事・梵天立てが済んで2~3日が過ぎた頃、ツレと木更津の不思議な行事・つなはりを撮影してきました。この行事は梵天立てと同じように、江戸時代に出羽三山の行者がこの周辺に伝えたようです。

 古来疫病神は道を伝って集落に入り込むと言い伝えられ、そこで村や集落の辻に縄を張り、タコやイカ、サイコロ等をを釣るして、疫病神の侵入を封じ込めたのです。最初に撮影したのは中島地区と牛込地区の境に在る天満宮側のつなはりです。

 この場所は静かな漁村地域で、人や車も殆ど通りません。しかし1本道を隔てると三井アウトレットパークや東京インテリア家具などが在る今や木更津の中心地。そんな場所に吊られたつなはり、本当に昔話のような世界です。

 天満宮の鳥居の側から参道方向を見ると、木更津キサラピアの観覧車が見えます。江戸時代から続くつなはりと観覧車、不思議な組み合わせです。

  この天満宮の北側にもつなはりが張られています。このつなはりに下げてある絵馬には、牛込一番組、除厄神、2024年と書かれており、この場所が三叉路の一画です。

 またここにはカーブミラーが置かれているのですが、それにもつなはりが映り込んでいます。

 このつなはりは、今年の1月12日に撮影した写真ですが、つなはりの左側が空き地になっています。ところが2年前の2022年1/12に撮った下の写真を見ると左側には家の垣根が写っています。ここには以前は家があったのですが、壊されて空き地になってしまったのです。

 つなはりを求めて金田、牛込、中島地区を走り回りましたが、廃屋や空き地が増えているのに驚かされました。つなはりの数も大部少なくなっている今日この頃です。


厳寒の東京湾で行われる神事-木更津市中島の梵天立て②

2024年01月17日 | 日記

 1/7木更津市中島の海岸において江戸時代から続く梵天立てが行われました。梵天立ては毎年1/7頃の早朝に中島地区の若者たちが、豊漁・家内安全を願い、厳寒の東京湾に梵天を立てる神事。

 この日梵天立ての行事が行われている上空を、午前7時40分頃陸上自衛隊木更津駐屯地のヘリコプターCH47JAが編隊を組んで飛行していきました。何処へ行くのでしょう?もしかしたら能登半島地震の被災地でしょうか。

 1月1日に発生した能登半島地震に際し自衛隊は、その日のうちに航空機22機を能登半島上空に派遣しました。その中に陸上自衛隊木更津駐屯地に所属するCH47-JA輸送ヘリ2機とLR-2偵察連絡機1機が含まれています。とにかく木更津駐屯地のヘリが災害地の役に立つことを祈ります。

 この梵天立ては江戸時代の元禄年間に中島海岸沖で、幕府の御用船が難破した際錨が紛失。疑いをかけられた中島の漁師が、海に梵天を掲げ出羽三山の行人による祈祷を願った所、錨が海から浮いてきたと言う伝説に基づいています。そして梵天立ては平成4年(1992年)2月25日に国記録選択文化財に指定されました。

次々に梵天が東京湾に立てられていきます。

   

 この日立てた梵天は全部で6本、その内5本は成功したのですが、2本目は流されてしまったとの事でした。また浜で見物している人も北風に凍えながら声援を送っていました。

 ピンクの襷と黄緑のはちまきをした組が梵天を持って姿を現しました。周りの人たちは大歓声で見送っていきます。

 近くに小梵天を持った鯨地区の人がいたので、この梵天に付いている御幣はどうするのか聞いてみると地域の人に配って厄除けにするとの事でした。そして約1時間後に梵天立ての行事も終了。儀式の終わった海に行ってみると、これまでの賑わいが嘘のように静かです。元旦に大地震が起きましが、今年がいい年になるようにツレと2人で海に向かってお願いしました。


江戸時代から続く神事・木更津市中島の梵天立て①

2024年01月15日 | 日記

 厳寒の中晴れて風の強い1/7(日)木更津市中島・金田漁協の裏手の海で、梵天立ての神事が行われました。時刻は午前7時、中島地区6つの地区(東、中宿、下宿、鯨、浜戸、新町)の若者たちが竹の先に御幣を付けた梵天と呼ばれる竹の棒を海に立てる伝統行事です。

 私たちが着いたのは、7時少し前でした。会場の中島の海には誰が飛ばしたのかドローンが飛び回っていました。またアクアラインが朝日に照らされて赤く輝いています。私は10年間程この行事を撮っていますが、不思議なことに梵天立ての行われる日に、天候が崩れた事は在りません。

 若者たちが海に入る場所の右側には結界が張られ、行人たちが10人以上待機していました。若者たちが梵天を立てる間、この結界の中で出羽三山の信仰者である行人が祈祷を行い、五穀豊穣や無病息災を祈願します。7時を幾分過ぎた頃、行人の法螺貝が鳴り若者たちが厳寒の海に入っていきました。

 最初は赤い襷(たすき)を着けた若者3人が、梵天を掲げて厳寒の海に入っていきました。

  

 この3人は梵天が濡れないように高く掲げて、遠浅の海を進んでいきます。そして3人で協力して梵天を海底に突き立てます。

 空気が澄んでいるせいか対岸のビルやスカイツリーが良く見えます。

 次に黄色い襷をかけた2人組が海に降りていきました。小梵天を持った同じ組の人たちが途中までついて行きます。海からは最初に梵天を立てた組が戻って来ていました。途中でエールの交換をしているようです。

 黄色い襷の組も梵天を立てていますが、なかなか立たず苦労をしているようです。浜では行人たちが力強く般若心経を唱えていました。


新春の富津岬

2024年01月12日 | 日記

 富津漁港の船祝いが中止になったので被写体を求めて、近くの富津岬を訪ねました。富津岬は富津漁港から車で5~6分の所にある岬で、南房総国定公園に属する景勝地です。

 富津岬は小糸川河口付近から東京湾に面して南西方向に約5km突き出した岬。そして岬の先端沖には戦前要塞として使用された人工島、第一海堡と第二海堡が在ります。(下は第一海堡)

 富津岬の先端にある明治百年記念塔も、何時もとは違った角度から撮影しました。記念塔の前の堤防を兼ねた遊歩道に行き撮影。ここに来たのは初めて、広々としてとても気持ちが良い場所です。犬の散歩をする人たちや釣り人もいました。

  

 岬の先端から第一海堡がよく見えます。この遊歩道も最後にバリケードが張られ、通行止めになっています。ただ警告版を無視して釣りをしている人が2~3人いました。

 この先端からの舗装された遊歩道は、防砂林の方まで延びています。何処まで続いているのか分かりませんが、素敵な散歩道です。またこの左側には大学生のトレーニングコースの聖地と言われる道路があります。ただ今日1/2は箱根駅伝が行われており、この道路にランナーの姿は殆ど在りませんでした。


富津漁港の船祝いは2024年も中止

2024年01月10日 | 日記

 上総地方のPR紙(房総ファミリヤ)で1/2(祝)午前7時頃から富津港で、船祝いが行われるとの記事を見て、ツレと車に乗り行って来ました。しかし今年の船祝いも中止でした。

 

 「船祝い」と言うのはここ富津漁港で、1月2日に行われる行事です。漁師が港に集まった人たちに向かって祝儀やお菓子等さまざまな物を投げ、今年の豊漁と安全を祈願する伝統行事。

 船には大漁旗を揚げて御神酒を捧げます。そして松飾りと船霊さまに御神酒と神饌を備え、陸の古峰神社をお参りするのです。これは日本武尊が東京湾(走水)を渡る際、海の神の怒りを鎮めた故事に因んでいるそうです。

 しかし8時頃に富津港に着いたのですが、大漁旗が掲げられているのに船には誰もいません。暫く漁船や船の松飾りなどを撮影して漁師を待ちました。

 午前9時近くなっても誰も来ないので、漁港外れの漁師OBが集まる小屋を訪ねました。この小屋にはストーブを囲んで、気のいいおじさんが6人いました。今年は船祝いはやらないのか聞いてみると「中止だよ」と言う返事が返ってきました。1/1の大地震のせいですか?と言ってみたのですが「景気が悪いからだよ」と言う事でした。残念です。最後に船祝いを見たのは2020年1/2ですから、4年連続で中止と言うことになりました。

 参考までに2019年と2020年に撮影した船祝いをUPしました。下の7枚が富津漁港の伝統行事船祝いです。

 

上は船からお祝儀を投げている場面、下は船に置かれた御神酒や神饌です。

  お祝儀は白い紙に包まれ百円玉。もう5千円も拾ったと子供たちが騒いでいました。下は船に御神酒をかける船長。

 若い漁師がお祝儀を巻く前に、船祝いの言葉を一生懸命に海に向かって叫んでいました。これを聞いただけで身が引き締まる思いで、シャッターを切る手にも鳥肌がたちました。