光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

古代にあった飛行機と宇宙船・そして宇宙飛行士

2024年07月17日 | 日記

 先日ネットでテクタイトという隕石の衝突で出来た、ガラス状の物を探していたら、南米コロンビアのポゴダにある黄金博物館に展示されている小さな魚形の物体を見つけ驚かされました。まるで古代の飛行機のようです。

 これはイバン・T・サンダーソンという動植物の専門家が発見した物。三角翼と垂直尾翼があり、どの生物にも似ていない飛行機のような物です。この黄金細工は南米コロンビアのシーヌ地方の古代遺跡から発掘されています。よって造られたのはシーヌ文化(紀元500~700年)という説と、さらに古いプレ・インカ文明という説が在るそうです。

 そしてサンダーソンはこれを「ベル・ヘリコプター」の設計者として著名なアーサー・ヤングに見せて飛行できるか、検証を依頼したのです。彼の検証結果は航空力学の理にかなっていると言う答えでした。またこの黄金細工を基に翼長80cmから100cmの模型飛行機が作られ、飛行に成功しているそうです。

 上の図はアメリカ空軍の戦闘機F106の三面図。下は飛行中の写真。よくこの黄金細工と似ています。ただこの古代版飛行機の推進力(エンジン)が問題です。グライダーのような滑空機なら翼がデルタ翼でなくて翼面積が多い直線の翼にしたはずです。このデルタ翼を見る限り、この機はかなりスピードが出たのではないでしょうか?ちなみにF106は1956年12月に初飛行し、最大速度は2455km/hです。

 次は1975年にトルコのオスマニエ県トブラッカレで発掘されたロケット型の彫刻です。上の部分が欠けているのですが、乗員は蛇腹状の宇宙服のようなものを着ています。

 この遺物を発表したのは作家で、考古学研究者のゼカリア・シッチンという人物。2010年に亡くなっていますが、「The Earth ChroniclesExpeditons」という本を出版しています。

 その本によるとこの彫刻は長さ23cm、幅8cm、現代のロケットと形が似ており、最後尾に3つの排気筒が刻まれているとの由。ただ不明な点が多い事から、イスタンブール考古学館に納められたままで、展示されずに保管されているだけのようです。そしてパイロットの頭部の部分が欠けているようです。

 この下の図は旧ソ連の有人宇宙船ボストークです。上のトルコのロケットとよく似ています。

  そして1952年6月にメキシコのパレンケに在る古代マヤ遺跡「碑文の神殿」の地下から考古学者アルベルト・ルスによって不思議な石棺が発見されました。石棺は縦3m、横2.1m、高さ1.1m、重さ5.5トンもある1枚岩を刳りぬいた物で、その石棺の蓋には見事な彫刻が施されていました。

 これに彫られれた絵は、暫くは注目されませんでしたが、1970年に入り作家のエーリッヒ・フォン・デニケンが、その著書『未来の記憶』でこれを「マヤのロケット」として取り上げ、古代宇宙考古学がブームになりました。以下はその本の抜粋です。

 ***現代の宇宙飛行士がロケットに乗っている絵とそっくり。このような図柄が、はたして素朴な想像力の産物だろうか?最下部の奇妙な模様は推進ユニットから噴出する炎とガスを表しているとしか思えない。****

 上の写真はこの石棺に葬られていた7世紀マヤの国王パカル一世です。豪華な翡翠の仮面を被っていました。石棺の蓋に刻まれた人物もパカル王です。

 しかしこの「マヤのロケット説」は考古学者によって否定されています。まずこの蓋の図は、飛行しているように見える横ではなく縦から見るもの。

 パカル王が胎児のような姿勢をとっているのは、夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれ変わると言う考え方によるもの。中央のロケットのような物は生命の木と呼ばれるトウモロコシを様式化した物だそうです。先端の鳥は聖なる鳥ケツアルコアトル。

 しかしこの石棺の図を見ると、マヤの王が炎をはくロケットのような飛行体に乗り、空中を飛んでいるとしか思えませんね。王が操作しているのは本当にトウモロコシの化身なのでしょうか?

 この王がパレンケを統治したのは西暦615年から683年までだそうですが、その頃このような文化があったというのは信じられませんが、別の星からの援助があったかも知れません。

 ここまで何点か古代の飛行機や宇宙船の様な物を紹介してきましたが、果たしてこれらは本当に存在した飛翔体でしょうか?何時かわかる日が来るといいのですが、これからの展開を待つ今日この頃です。下の写真はパレンケの宇宙船と似ている旧ソ連のボストーク宇宙船です。

 


早朝の千葉フォル二ア-袖ケ浦市

2024年07月12日 | 日記

 07/05(金)ツレと久しぶりに袖ケ浦市の通称千葉フォル二アを訪問しました。名前の知れた観光地なので、混まないように早朝午前6時頃に家を出て20分位で到着しました。

 ここは最近国道16号線と県道143号線が交わる交差点を海の方に向かうと新しく袖ヶ浦海浜公園に向かう道が出来ています。まだあまり知られていないようで、下の写真がその道ですが結構すいていました。

 千葉フォル二アとは袖ヶ浦駅方面から袖ヶ浦海浜公園に向かう直線道路。その道路の海に面した側にワシントンヤシ98本が植樹され異国情緒たっぷりの道のことで、長さは約1100mあります。

 インスタ映えのする場所として著名でしたが、あまりにここに来るドライバーや観光客のマナーが悪く、違反や事故が頻発するようになり、2022年3月袖ヶ浦市役所は、ヤシの木に警告の黄色いシートを取り付けました。

 その後事故や苦情は減っているようですが、ヤシの木に巻かれた警告シートはそのままです。SNSを見てみると「どこを撮っても黄色いシートが写り残念」等という書き込みが見られます。まあ純粋に写真を撮る人たちにとっては迷惑千万な話しですが、早く撤去してほしいものです。

 袖ヶ浦海浜公園に車を停めてアクアライン方面の写真を撮影しました。平日の早朝のせいか人はまばらです。また気温が高いので対岸のビルも薄らと靄がかかっているように見えます。

 何時もは見える東京スカイツリーも見えません。しかし海中の「海ほたる」や「風の塔」はクッキリとしていてよく確認できました。

 風の塔を撮っていると近くに小さな船を見つけました。小型の漁船のようで、乗員は2名。付近に他に漁船はなく何を獲っているのかはわかりませんでした。

 海浜公園から見る千葉フォル二アも異国情緒たっぷり。ここで開催された氣志團万博に矢沢永吉が出演した際「ここはハワイかよと感じた」と話し話題になった程です。

  


我が家のネコたち-木更津市

2024年07月10日 | 日記

 大体2ヶ月おきに我が家のネコたちをUPしていますが、前回のUPが4/3なので3ヶ月が経っていまいました。今年はカルガモ家族との出会いが少なく、代わりにセイタカシギの親子を見つめる機会が多くなりました。その為かネコたちとのふれあいも減って、スナップも少なめです。

 上の2枚の写真は1番上のお姉さんネコのチビタです。最近変わったところで寝ており、下はプリンターの上で寝ていたのですが、プリンターを使うのでおこしたところです。

 モコモコは相変わらず元気で、庭を駆け回っています。疲れると横になってゴロゴロ。

 部屋の絨毯の上で寝ているのはポンタ。最近情緒不安定で今までいかなかったところ、台所の換気扇の上で寝たりして探すのが大変です。

 先日モコモコが庭で何かを追っかけていました。目をこらしてみるとアゲハチョウです。何にでも興味を持つ子ネコなので、自分の近くに来た蝶をターゲットにしたようです。

 アゲハチョウはしきりに、モコモコの攻撃を避けていましたが捕まってしまいました。それをみていたツレが可愛そうなので、蝶を逃がしてやるとモコモコは残念そうに蝶の行方を見ていました。とりあえず元気な我が家のネコたちの今日この頃です。


中世絵画に描かれた不思議な球体-コンピューターと通信機器かも

2024年07月08日 | 日記

 ヨーロッパの中世絵画をジックリ見ていくと、不思議なものが描かれているのに驚かされます。昔はそれが何かわからず、誰も気づかなかったものに漸く時代が追いつき、スポットが当たってきたようです。

 最近雑誌やミステリーの本でよく見かけるイタリア・モンタルチー教会にある三位一体の絵画。父と子と精霊を描いていますが、精霊を現わす鳩の下に丸い球体があります。1595年にベントゥーラ・サリンベー二が描いた絵画です。まるで父と子が何かをコントロールしているようです。

 2本のアンテナのような物に父(右の神様)と左の子(キリスト)の手が添えられています。以前から旧ソ連のスプートニク1号にそっくりで話題になっていた絵画です。そして中央の鳩(精霊)は、現代のドローンのようなカメラを搭載した飛行物体を思わせます。

 三位一体を描いた絵画を調べて見ると、このような球体を描いた絵が沢山見つかりました。トップのフレスコ画も1663~1665年にピエール・ミニャールが描いた「聖三位一体」ですが、右の神が球体を抱えています。

  上の絵画はスペインのバロック時代の画家、アントニオ・デ・ペレダによって17世紀に描かれた「聖三位一体」です。中央には直径1m位の球体があります。これは何でしょう。説明によると世界を現わす球体との由。しかしどの球体にも地図は描かれていません。

 地球儀と言うのは調べてみると紀元前から在ったようで現存する最古の物は、1492年にドイツで製作された物が残っているそうです。絵画の球体はそれよりもっとメカニックな物と言う感じを受けます。世界中の人から神への願い、神から人への教えを集約するスーパーコンピューターのようなマシーンとは考えられないでしょうかうか?

 この上下の写真は17世紀ファン・カレーニョ・デ・ミランダという人が描いた「三位一体修道会創設のミサ」です。バロック時代のスペイン絵画の傑作と言われています。他の三位一体と同じように父とキリストの下に球体があり、下界に光を注いでいます。

 地上には光る小さな長方形の物を持った人物が、それを見つめています。まるで現代のスマートホーンのようです。不思議な球体から、情報を伝える光線がそれに送られているように見えるのは、穿ちすぎでしょうか?

 先に紹介したサリンベー二が描いた三位一体ですが、球体の下には丸い鏡のような物が描かれています。周りが光っていてまるでディスプレイ。何かの情報を受けとっている最中の様に見えます。

 中世にこのような物があったのでしょうか?不思議な絵画たちが興味のある話題を投げかけてきます。興味が尽きないので、今後もこの不思議な物の正体を追ってみようと思っています。


カルガモとセイタカシギと花菖蒲そして睡蓮

2024年07月05日 | 日記

 セイタカシギのヒナに注目していたせいか、カルガモの家族を見ていない今日この頃。でも6/12(水)の午前6時半頃ツレがカルガモ家族を撮影したというので、画像を借りてUPしました。田んぼの右端にヒッソリといるカルガモ家族、中々風情があります。

 6/20はツレと長須賀の蓮田でセイタカシギとヒナを撮影。親鳥が飛翔するのを何度も見たのですが、ついにヒナが飛ぶのは確認できませんでした。

 そして6/24(月)の午前5時半頃、やっとセイタカシギのヒナの飛翔が見られるのではと、ツレと勇んで長須賀に出かけました。

 ところが何時もの場所に着いて、セイタカシギを探したのですが、1羽もいません。辺りに鳥屋さんの車も停まっていませんでした。セイタカシギの家族はもうどこかに飛び立ってしまったようです。このところ強い雨が続いたので、ヒナは大丈夫かなと心配していたのですが、残念です。また来年を期待するしかありません。

 仕方がないので、先日カワセミを撮った袖ケ浦公園の花菖蒲園にいきました。またカワセミに会えるかと思ったのですが、世の中そんなに上手くいくわけないですよね。でも花菖蒲園にはネコがいました。

 前日強い雨が降ったので、花菖蒲にも水滴が付いてとても綺麗。

 花菖蒲園の水路に咲く睡蓮も生き生きして、何度も言いますがモネの睡蓮の絵を思い起こさせます。

 セイタカシギも飛び立ち、また新たな写真のテーマを探さなくてはいけない今日この頃です。


セイタカシギのヒナはもうすぐ独り立ち②-木更津市の野鳥たち

2024年07月03日 | 日記

 6/20(木)午前6時半頃ツレと市内長須賀のセイタカシギを撮影に行きました。今年6度目の訪問です。何時もの蓮池に行くとセイタカシギが親子で並んで餌を食べていました。今年ここでセイタカシギのヒナを最初に見たのは、6/6(木)。

 一緒に撮影している山武市の人は5/30に生まれたのを見たと言っていましたが、あれから15日~22日程経っており、随分大きくなりました。並んでいるところを見ると、それがよく分かります。

 ジッとこの親子を見ていると側にカメの姿。暫くすると亀が歩き始めました。亀とセイタカシギのコラボ、久しぶりに見ました。

 ヒナが大きくなったとはいえまだ飛べません。天敵のカラスや蛇等もいるようですので、親も緊張して「ケレッ、ケレッ」と甲高い声で鳴いています。

 空には2羽の親セイタカサギの姿。それほど高い所ではないので、ヒナの飛翔をあおっているのかも知れません。また周りの電線には大きなアオサギがとまっていました。

 地上に目を転じると、クローバーの咲く農道を2羽のヒナが餌を探しながら歩いています。セイタカシギの食性は動物食。昆虫やエビ、カニなどの甲殻類、ゴカイや小魚等を捕食します。

 降りて来たセイタカシギの親はヒナと一緒に餌を探し始めました。近くにいたヒナも1羽加わって3羽のヒナと親鳥が仲良く歩いています。早く飛べるようになって、親と飛翔するところを見たいものです。しかし早く生まれたヒナの中には、飛んでいるものもいるようです。山武市の人が教えてくれました。


セイタカシギのヒナを見つめて①-木更津市の野鳥たち

2024年07月01日 | 日記

 6/11(火)ツレと今年4度目になる長須賀のセイタカシギのヒナ詣でに行きました。ヒナも最初見たときより随分大きくなりました。ヒナは孵化後26日位で飛べるようになるそうです。私たちが最初に見た時から約半月位になるので、6月24日辺りに飛び始めるかも知れません。

 

 いつもの場所に着くとヒナが蓮の葉の下にいました。まるで日傘の下にいるようです。暫くして餌をとりに動き出しました。

 するとJRの線路に電車が走り去って行きました。時刻表を見ると木更津06時19分発京葉線東京駅行きでした。まだ時間が早いせいか乗客は数えるほどしか乗っていませんでした。電車が通り過ぎるときは、かなりの音がするのですが、セイタカシギを初めとする野鳥たちは驚きもせず、餌を探していました。

 巣の方に目を向けると、3羽のヒナが肩を寄せ合っていました。しかし鳥屋のカメラマンが大砲を思わせる望遠レンズを向けると、静かに移動して池の中に入ってしまいました。

 蓮池にばかリではなく、道や草むらにもセイタカシギのヒナがいます。上の写真は2羽のヒナと親が少し距離を置いている場面です。最初はヒナの側に親がいたのですが、ヒナが離れて移動して行きました。

 ヒナはまだ体力がないのか、時々休憩しています。

 そこを散歩中の夫婦が何事もないように通って行きました。ヒナはこの辺の人間は危害を加えないと分かっているようです。何はともあれ早くヒナが大きくなって空を飛ぶ姿を見たい今日この頃です。


袖ケ浦公園の花菖蒲園-カワセミにも会えました!

2024年06月28日 | 日記

 セイタカシギの後は袖ケ浦公園の花菖蒲をツレと見に行きました。花菖蒲園に着いたのは午前7時半頃。この時間帯は観光客がおらず、犬と散歩する人が2~3人通るくらいです。

 花菖蒲園はアヤメやハナショウブが満開です。これらの花は朝露や水滴が花についた状態が綺麗なのに最近雨が降っておらず、そこだけがチョット残念。

 しかし花よりも花菖蒲園の水辺にカワセミがいたのには驚きました。一瞬ブルーの鳥が菖蒲の間をすり抜け、丸い棒に止まったのです。トップから3枚目までがカワセミ。少し背景がうるさいのですが、十分カワセミの美しい姿が分かると思います。

 カワセミは全長17cm位。ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属の水鳥です。海岸や川、湖、池等の水辺に生息し、公園の池等都市部にも現れます。

 花菖蒲園には50種1万5千株もの花菖蒲たちが咲き誇っています。また花のテラス付近には、咲いている花を紹介する説明板も立てられていました。

 

 1つ1つの菖蒲も綺麗でいずれ劣らぬ名花ばかりです。目についた5点をUPしました。

 さらに今年はスイレンがとても綺麗です。

  こんな光景を見るとモネの名画「睡蓮」を思いだします。

 睡蓮の咲く水路の側には、つながったトンボの姿。まだ夏も来ていないのに秋を感じてしまいます。

 なお6月7日から10日までは、ここで花菖蒲まつりが開催されました。私たちも6/8(土)に行ったのですが、駐車場が満車で車を止められないので引き返しました。やはり平日の早い時間でないと入れないようです。


4年前からのセイタカシギとのふれあい③-木更津市の野鳥たち

2024年06月26日 | 日記

 長須賀のセイタカシギを撮影するようになったのは、2020年6月からです。蓮の花の写真を長須賀地区に撮影に行った時に、使われていない蓮池にセイタカシギを見つけたのです。

 その時は撮影している人は殆どいなかったのですが、今では遠方から多くの鳥屋さん(野鳥を専門に撮るアマチュアカメラマン)が来ています。上から2枚目までは今年6/11撮影したセイタカシギ、下は農道に停めてある鳥屋さんの車と撮影している人たちです。

 それでは2020年から2023年まで撮影したセイタカシギの親子と撮影に来ていた人たちをUPしました。ご覧下さい。

上下2枚は2023年5月28日に撮影したものです。この年は親だけでヒナは撮影出来ませんでした。3枚目はこの時会った鳥屋のおじさん。

 上は2022年6/1撮影、親鳥の胸毛のあたりからヒナの頭が見えています。下は2021年5/10撮影、セイタカシギの親子です。

 次は2021年6/2撮影のセイタカシギの親子。巣の側で親鳥に甘えていました。

 最後は2020年6/8の親子の語らい。そして下は同日撮影のヒナです。こうして並べてみると撮影したときの情景がよみがえってきます。来年もセイタカシギとのふれあいが続き、撮影出来ればと思う今日この頃。


6月24日は空飛ぶ円盤の日(UFOの日)

2024年06月24日 | 日記

 6月24日は世界で初めて空飛ぶ円盤と言う言葉が使われた日です。77年前の1947年6月24日アメリカの実業家ケネス・アーノルドが米国ワシントン州カスケード山脈にあるレーニア山付近の高度約2900m付近を飛行中の出来事。乗っていたのは自家用飛行機で、前日に消息を絶っていた海兵隊の輸送機の捜索を行っていました。

 その時午後2時59分頃にレーニア山付近の上空を北から南に向け高速で飛行する、9機の飛行体を目撃したのです。

  飛翔体は横一直線に並んで飛んでいました。最初はジェット機かと思ったのですが、物体に尾翼は見当たらず丸くて平たい形状で、無音で飛行していたのです。この時アーノルドはこの飛行体が2点間の距離を飛ぶ速度を計測しており、当時の技術では到底出すことの出来ない時速1700マイル(約2700km)であったようです。(1947年の速度記録はベルX-1ロケット機の時速1078km)

 この時アーノルドが表現した「空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)」と言う名称を地元アメリカのマスコミは大々的に報道、その後同様の目撃談が相次いで報告されたのです。そしてこのケネス・アーノルド事件を記念して6/24を「空飛ぶ円盤の日(UFOデー)」としたのです。今年は数えて77年目、静かな場所で上空を見上げ、空飛ぶ円盤を探すのも楽しいかも知れません。

 この後今日までいろいろな目撃談や写真が撮影されていますが、私が注目した2件の事件を紹介します。1件目は米国テキサス州ルポック周辺で、1951年8月25日から約3週間にわたって奇妙な発光群が目撃されたルポックライト事件。8/31には大学生のアマチュアカメラマンによってUFOのV字型編隊が撮影されています。

 次は1952年7月16日米国マサチューセッツ州で撮影された4機の発光体の写真です。この写真に注目したのは、手前の発光体が1番大きく順に小さくなっています。これは飛行コースが重ならない様に飛行間隔をずらしているからに他なりません。何か高度な推進力の発光体が確かに飛行していた証拠でしょうか? 空飛ぶ円盤が存在するのか、しないのか、未だ結論が出ていない今日この頃。しかし結論が出ないほうが、夢が続いていいのかも知れません。