光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

春から夏へ-木更津金田漁港の「すだて漁」

2024年03月29日 | 日記

 冬に戻ったような天気が続いた3月下旬でしたが、漸く晴れて気温も上がった3/27(水)ツレと木更津市の金田漁港を訪問しました。時間は午前10時頃、空気が澄んでいたせいか、東京湾対岸のビルがクッキリと見えていました。そしてそこに架かるアクアラインの上空にも富士山の頂上部が雲に見え隠れしていました。まるでアクアラインに乗った巨大なアイスクリームのようです。

 またアクアラインの上空を陸上自衛隊機が飛翔していました。一応オスプレイの飛行は3/8に解除されたようですが、最近木更津上空で見たことはありません。この日も飛んでいたのは、双発の連絡偵察機LR-2でした。

 そして漁港からは「すだて漁」の屋形船が沖に向けて出港するのが見えました。「すだて」とは干潟に網を仕掛け、引き潮時に逃げ遅れた魚を捕まえる東京湾に伝わる伝統漁法です。この漁法も現在ではこの金田漁港にしか在りません。この「すだて」を味わえるのが「すだて遊び」です。金田では2つの船主(すだて実三丸と網元つぼや)が営業しています。

 お客は屋形船に乗り、素手で捕まえた江戸前の新鮮な魚やカニ、貝等をその場で食べられるのです。こんな贅沢は他では味わえません。

 

 すだて漁は毎日出来るものではありません。3月下旬から8月下旬の大潮日(潮が退く時間帯)に予約して参加するのです。一般人が春から夏にかけて行う贅沢な「すだて遊び」です。

 金田漁港から2隻の船が沖に出て行きました。

 1隻は屋形船でお客が10人位乗船していました。もう1隻は小型の漁船で上に船名が書かれたシートが貼ってあリます。

 これで沖に立てた簀(す)の側に行き、お客が魚を捕るのです。ツレも以前この「すだて」に参加したことがあるそうです。その時はエイがいて背中の鰭を踏んでしまい大変な目に遭ったとの由。何はともあれ季節は春から初夏に舵を切り始めているようです。


延命寺の百地蔵尊②-袖ケ浦のパワースポット

2024年03月27日 | 日記

 3/22(金)ツレと袖ケ浦市高谷の延命寺を訪問、お彼岸に行われた百地蔵参りを見てきました。時間は午前10時半頃です。延命寺の百地蔵は5~6年前から写真撮影をしてきました。雑木林の中にお地蔵様があるので、毎年光線の加減が良い午後に撮影してきましたが、今回は午前中の撮影に挑戦です。

 午前中も結構良い光が差し込んでいました。影が微妙に複雑で面白い百地蔵を撮ることが出来ました。

 ここを神亀元年(724年)に創建したと伝えられる行基上人は、奈良時代に迫害されながらも全国で布教活動を行い、各地に600ものお寺を建てたという伝説の人物。その後権力者に認められて「奈良の大仏」建立の責任者に抜擢され、日本で最初の「大僧正」の位を贈られた偉人です。

 

 お地蔵様のお顔を残してお札が貼られています。お顔の部分にも貼られていたようですが、雨や風で剥がれてしまったようです。

 トップの写真と上の写真は、百地蔵が置かれた裏山の中腹くらいの場所です。右端の木が不思議な形をしていますが、何年か前の台風で幹が折れてしまった山桜です。大分痛んでいますが、新しい枝が出茂って茂って来ました。山のパワーを貰って回復したようです。

 30分位で裏山を一回り。結構きつかったのですが、降りてくるうちに元気が出てきました。やはりここは隠れたパワースポットです。

                   

 裏山の出入り口には、お地蔵様や石仏が何体も置かれています。沢山貼られたお札の陰から、お地蔵様に「ご苦労さん」と声をかけていただいた様に感じたのは気のせいでしょうか?そして石灯籠の横には黄色い水仙が咲いており、それが風に揺れてとても綺麗でした。


延命寺の百地蔵尊①-袖ケ浦市・春の風物詩

2024年03月25日 | 日記

 明日から天気が崩れるとの予報なので、3/22(金)ツレと袖ケ浦市高谷の延命寺を訪問、百地蔵を見てきました。久留里街道高谷から少し奥に入った高台にある延命寺は、奈良時代の高僧行基上人によって神亀元年(774年)に創建されたと伝えられる古刹です。

 そして裏山にある2百を超えるお地蔵様や石版にはお彼岸になると、無数のお札が貼られる不思議なお寺です。

 山門前の駐車スペースに車を止めて、延命寺を眺めて見ました。山門左には幹囲約5.9m、樹齢は約300年の立派なスダジイの樹が睨みをきかせています。また階段下には六面の地蔵様が刻まれた道標や説明板、そして石碑や石仏が置かれていました。それと木の種類は分かりませんが巨大な木も何本かあって目をひかれます。

 

石段を登ると山門です。この中に2体の仁王像が納められていますが、全面にガラスがはめ込まれているので、撮影するのに一苦労。

 その後本堂に向かい,、お参りをしてから裏山に向かいました。

  途中小さなお堂に疫病退散の神様「アマビエ」の像が置かれています。新型コロナが始まった頃から置かれているので、アマビエ効果はあったようです。

 

 アマビエの像の前にも巨木があります。木には札が付けられ袖ケ浦保存樹林と書かれており、木の種類はヒノキのようです。

 この木の裏を進むと百地蔵が始まります。

 お地蔵様や石版に札を貼るのはお彼岸ですが、その後何日か過ぎ、雨や風が強い日があったので、お札が飛ばされていました。それでもまだ沢山の札が貼り付いています。裏山沿いに置かれたお地蔵様がお札で白く輝き神秘的な光景を見ることが出来ます。


春まぢかの袖ケ浦市・飽富神社-お田植神事ももうすぐです。

2024年03月22日 | 日記

 3/10(日)ツレと毎年袖ケ浦の飽富神社(あきとみじんじゃ)で行われるお田植神事の下見に行ってきました。この行事は稲の豊作を祈る神事で4月上旬に開催されています。

 お田植神事とは、当日氏子総代が刈ってきた葭(よし)と楢(なら)の小枝を、女性が苗結びに仕立て、約700本作って神前に供えます。関係者一同が祈願の後、稲籠に入れた葭苗を鳥居の前に運び、早乙女が石段下に集まった氏子たちに向かって投げると言う神事です。

 この日は神社の整備が行われており、女性の方も4~5名来て作業をしていました。この時今年のお田植神事はいつやるのか聞いてみると、4/14(日)とのことでした。昨年依頼されて葭苗を作る女性の集合写真を撮影し、来年必ず持って行きますと約束していたので、渡す日時がはっきりして一安心です。

 この神社の起源は古く平安時代に編集された『延喜式』の中に君津地方では唯一、その名が記されています。創建は2代綏靖天皇(581年)元年で、天皇の兄の神八井耳命が創建したと伝えられています。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)穀物・農業の神様です。

 本殿の前に古い狛犬が鎮座しています。天保9年(1838年)石工 重田三五郎の作です。その前には石灯籠が在りますが、それに可愛い狛犬の子供が遊んでいる姿が彫られています。珍しい石灯籠で、文久2年(1862年)石工 金兵衛の作と伝えられています。

 そして社務所の横には巨大なご神木があり、樹の側に説明板が立っています。それによると樹齢は約300年とのことです。

 なお本殿右側の東照宮も、先の台風で壊れた箇所が修理されており、立派な彫刻と共に公開されていました。

 この東照宮は旗本天野佐左衛門光得が、元和8年(1622年)4月に久能山から勧誘し、元治元年(1864年)に再建したもの。四面に緻密な彫刻が施されています。

 これで飽富神社の撮影を終了し帰宅しました。今度来るのは4月14日のお田植祭ですが、葭苗作りの方とお会いできるのが楽しみになってきました。集合写真を渡して喜んでいただけると思います。


もうすぐ潮干狩りがはじまる牛込海岸-かずさ地方・春の風物詩

2024年03月18日 | 日記

  木更津市・富津市の行事を紹介するPR紙や新聞の千葉版を見ていると、春から夏にかけての上総の風物詩・潮干狩りのシーズンが到来したようです。富津海岸では3/9(土)から潮干狩りが開始されています。

 そして3/11(月)木更津市の金田にあるカインズモールに買い物に行った帰りに牛込漁港に寄ってみました。袖ケ浦方面から牛込漁港に入ったのですが、この日も富士山がクッキリと見えていました。

 また牛込漁港の入り口付近には金属製の鳥居のような物があり、うっすらと「潮干狩の牛込海岸へようこそ」と書かれているのがわかりました。

 

 木更津の潮干狩りは5カ所で開催されます。早い順に紹介します。料金は一律大人2000円(アサリ2kgまで、中学生以上)子供1000円(アサリ1kgまで)富津、木更津地区のアサリは「肉厚、味が濃い、ジューシー」で知られています。

① 金田みたて海岸 3/24(日)~

② 牛込海岸 3/25(月)~

③ 木更津海岸 3/30(土)~

④ 久津間海岸 4/6(土)~

⑤ 江川海岸 4/9(火)~

 この日行った牛込漁港は、3/25の開始なのでまだ準備はしていない様でした。牛込漁港に隣接する金田さざなみ公園行ってみました。ここから潮干狩り場が良く見えます。

 牛込漁港の右側は袖ケ浦海浜公園。ワシントンヤシが一直線に並ぶ千葉フォル二アと呼ばれる景勝地です。ここからも牛込漁港の潮干狩り場が一望でき、暖かい日差しの中、アクアラインと潮干狩り場が素敵なコラボを奏でていました。

 キサラピアの観覧車がゆっくり回っています。その側を野鳥の群れが飛び去り、近くの防災池に着水しました。

 撮影場所から野鳥までの距離がかなりあるので、鳥の種類が判別しません。鳥の部分を拡大してみましたがはっきりしません、マガモやオナガガモの類ではないかと思われます。

 また3/13(水)朝日新聞の千葉版には12日に木更津海岸でアサリの生育状態を見る試し掘りが在ったことが報じられています。それによるとアサリはザクザク育っているようです。いよいよ潮干狩りも本番を迎えそうです。


木更津郊外の野鳥たち-自宅に来るメジロとヒヨドリ

2024年03月15日 | 日記

 2月の末頃から庭に置いたミカンに野鳥が寄って来るようになりました。最初はヒヨドリだけでしたが、メジロも姿を見せます。仲良く食べているつがいのようです。冬は餌が少ないので、野鳥の姿が自宅でも楽しめます。

 ヒヨドリは木更津市では鳥類駆除の中にカラス、キジとともに入っており、時期になると1ヶ月に1回くらい市役所から、猟銃を用いた駆除を行うという連絡がメールで入ります。

 鳥類図鑑によるとヒヨドリの全長は27~28cm位翼開長は40約40cm結構大きな鳥です。糖分を好むため、ツバキや桜の花にやって来て、蜜を吸ったり庭にリンゴやミカンの切れ端を置いておくとすぐにやって来て一人占めをします。

 近年生息域を里山から都市部に広げており、雑食性から害鳥に指定されているようです。

 ヒヨドリと代わりばんこにメジロもやってきます。

  ヒヨドリがいると追い払われるので、ヒヨドリが飛び去るまで近くの木に止まって待っています。

 メジロはスズメより小さく、全長約12cm位、翼開長は約18cmです。目の周りの白色部(アイリング)が和名の由来になっており、室町時代からメジロの名で知られています。またメジロは俳句に良く詠まれており、物理学者で俳人の寺田寅彦も「目白折々椿の露を吸いに来る」と言う句を発表しています。


南房総の歳時記-旧安西家のひな飾り

2024年03月13日 | 日記

 よく晴れて気温も上がった3/1(金)ツレと木更津市太田山公園にある旧安西家住宅を訪問しました。ここ旧安西家では、毎年華やかな段飾りのひな飾りを楽しむことが出来ます。

 標高44mの太田山公園は市内の眺望が最高。この日もアクアラインが日の光を受けて白く輝いていました。そしてここにはきみさらずタワー(高さ28m)が立っています。その先端には日本武尊命と弟橘媛の像が設置され、木更津市のシンボルとなっています。

 きみさらずタワー横の坂道を下ると旧安西家です。立派な茅葺き屋根が見えてきます。

 訪問したのは午後1時10分頃ですが誰もいません。土間に入ると奥に大きなお釜が置かれているのに目を惹かれます。

 土間から黒光りのする24畳大の「ひろま」にあがります。そこにはお目当てのひな飾りが鎮座しています。その手前には囲炉裏があり、江戸時代を思わせる空間が広がっています。

 ひな飾りは7段のものが2組置かれています。黒光りのする床にはひな飾りが写っていてとても優雅です。

 3月3日は上巳(じょうし)の節句です。この節句は、旧暦3月の巳の日に厄除けを行っていたことに始まると言われています。現在は3月3日に、女の子のいる家庭でひな壇を飾り、穏やかな成長を願う行事になっています。

 ひな飾りを見た後、旧安西家住宅の庭に出て紅梅を観賞。太田山公園で休憩してから、ひな飾りの余韻に浸りながら帰宅しました。


船橋市の飯盛り大仏②-市の無形民俗文化財です!

2024年03月11日 | 日記

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 大仏追善供養も午前10時15分頃になると、漁師さんたちによってお線香が大仏に供えられて行きます。この大仏は延享3年(1746年)の津波によって亡くなられた人々の供養のために建立されたものです。

 そして文政7年(1824年)漁場の境界をめぐる争いの中で、船橋の漁師が相手方の侍を傷つけたため、漁師総代3人が入牢し、うち2人が亡くなるという事件が起こりました。津波で亡くなった人たちの霊とともに、この大仏供養が行われています。

 文政8年(1825年)から行われているこの行事は、大仏に白米の飯を盛り上げるようにつけていきます。これは入牢した漁師総代が食をとるのも許されずに亡くなったのを償うためと伝えられています。

 漁師が線香を上げ終わると、いよいよお櫃から白米をとり大仏につけて行きます。最初は中村繁久組合長です。

 漁師さんが次々に白米を大仏につけていきます。

 最初は遠慮がちに付けていたのですが、だんだんお体のあちらこちらに白米がつけられていきます。

 漁師さんたちが白米をつけ終わると見学者の方もどうぞと言われたので、何人かの女性が参加しました。

 ツレも最後に参加して白米を大仏につけていました。

 お櫃の白米が無くなったのでこれで飯盛り大仏の行事が終了です。以前は大仏につけた白米を参加者が持って帰ったのですが、コロナの影響で持って帰るのは中止とのことでした。

 持って帰った白米を食べると風邪をひかないという言い伝えがあるので、皆さんガッカリして帰って行きました。終了は午前10時28分、約30分間の江戸時代から続く貴重な行事でした。


船橋市の飯盛り大仏①-日本一小さな大仏に白米を奉納

2024年03月08日 | 日記

 2/28(水)ツレと船橋市の飯盛り大仏を撮影してきました。小さな大仏に「白米」を盛り上げるようにつける供養。私たちも6年ぶりの見学です。訪問したのは午前9時頃、前はこの時間から行われていたのですが、「現在は10時からで30分位になりました。」と隣の生花店のご主人が教えてくれました。

 開催されるのは、不動院というお寺です。時間が早いので、境内に入り本堂をお参りして来ました。不動院は真言宗です。この他3つのお寺(浄勝寺、行法寺、覚王寺)が1年交替で飯盛り大仏に住職を派遣しています。

 9時半頃になるとケーブルテレビのJCOMの人がやって来て大きな三脚にカメラを設置していました。初めての撮影と言う事なので、少し説明をしてあげました。

 そして10時近くになると不動院の住職・上田則雄氏が飯盛り大仏と大仏追善供養についての解説をしました。

 「この大仏はお釈迦様を表しており、高さが87cm位と日本一小さい大仏です。このお寺の周辺は漁師町でも特に寺町と呼ばれ、江戸時代から9つの寺院があった場所。宗派を超え大仏建立に関わり、守ってきたことが台座の彫刻からも分かります。説明板に記録されていることにも不合理が見つかり、真実を見つけていくのも私たちの使命と思っています。また大仏のお顔は和やかでとても良いお顔です。私は日本一ハンサムな大仏だと思っています。」と笑いながら語っていました。

 10時05分頃から2人の住職による仏事が始まりました。

 大仏大善供養には船橋漁協の組合長をはじめ漁師さんたちが10人位参加していました。6年前はこの倍くらいの人数が参加していたように思います。(次回に続く)


木更津市金田漁港付近で強風にふかれて

2024年03月06日 | 日記

 2/27(火)は発達中の低気圧のせいで千葉県は、沿岸部を中心に非常に強い風がふき大しけになりました。しかしこの日は強風でしたが雨が小ぶりだったので、午前9時頃ツレと金田漁協に焼き海苔を購入に行きました。

 海苔を購入してから、金田漁港の写真でも撮ろうと港に出ました。ところが風が強くて車のドアを開けるのに一苦労。ようやくドアを開け港の写真を2~3枚撮影しました。対岸のビルが良く見えます。

 強風の具合を車のラジオで聞いてみると、羽田空港では午前6時すぎに風速21.1m、千葉市では19.5mの最大瞬間風速を観測したそうです。

 気象庁によると沿岸部を中心に非常に強い風がふき、最大風速は海上で23m、陸上で18m、最大瞬間風速は30mから35mと予想されているとのことでした。

 漁港からアクアライン方面を見ると、富士山がアクアラインの上にのっているかのように見えます。

 綺麗な富士山です。この時期富士山が良く見えますが、今日の富士山は格別です。ツレと強風の中暫く見入ってしまいました。

 

 この後海岸に沿った道路を進みました。そしてアクアラインを潜って帰宅しましたが、アクアラインと東京湾の間に見える富士山も見事です。葛飾北斎の有名な「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」を思い起こします。

 この絵のモデルの地はいろいろな説があり、図中の三艘の船は押送船と呼ばれ、房総半島から江戸に海産物を運ぶ際に使用されたもの。その為神奈川沖の対岸にあたる木更津沖から富士山を書いたという説があります。ある説ではアクアライン中程の橋桁辺りから見た富士山の姿がこの構図にピッタリとの由。

 この日も強風のせいで大きな波が立っていました。そして海岸側では富士山をスケッチする北斎の姿が見えた様な気がしました。強風の中の幻です。