光と影の軌跡Ⅱ

つれづれなるおじさんの写真日記

旧進藤家住宅(1850年建築)のひな飾り-袖ヶ浦市

2020年02月29日 | 日記
 
 2/27(木)ツレが所用で東京に行ったので、袖ヶ浦市郷土博物館の旧進藤家住宅を訪問。ここでは2/14から3/31まで(月曜休館)ひな飾りを展示しています。旧進藤家住宅は江戸時代の嘉永3年(1850年)に建築された古民家で、西上総地方の代表的な民家であり、袖ヶ浦市の文化財に指定されています。



  訪問したのは午前11時半頃。平日のせいか見学者は私一人です。係の人の案内を聞き早速、各部屋を見てきました。土間のある台所で靴を脱ぎ、まず囲炉裏のある茶の間。それからひな飾りのある、中の間に行きました。





 ひな飾りが2組設置され中央にお内裏様が鎮座しています。綺麗なお雛様ですね。この部屋の右隣はお勝手、食器が置いてありました。





  ひな飾りはもう一組奥座敷に置かれていました。左右にもひな人形が飾られ見応えがありました。写真は自由に撮っていいとの事なので、可愛いひな人形につられて何度もシャッターを切ってしまいました。



神棚のある茶の間を通って土間に降り、大正時代のお雛様を見に袖ヶ浦市郷土博物館本館に向かいました。



家のネコたちと近所のネコ-木更津市

2020年02月28日 | 日記
 
 家ではネコを2匹飼っています。両方ともメスのネコ。4才のお姉さんネコのチビタとキジトラのポンタです。2匹とも家に居ついたノラ。今では縦横無尽に家の中を駆けまわり、疲れると寝ています。1枚目と2枚目は2/24撮影した青モジの匂いを嗅いでいるチビタ。もう少しで花瓶を倒しそうでひやひやしました。





 次はポンタ。寝ていたのですが、声をかけるとビックリして起きてきました。2/2のポンタです。





 昨年の12/6、ベットの下で餌を食べているアメショウのチビタ。食器に手を入れ器用に餌を乗せて食べていました。とても可愛いです。







 2/21に撮った近所のネコ、ゆめちゃん。リードを付けて外に出しています。またその近くにはつくしが顔を出していました。暖冬のせいかつくしが姿を見せるのも早いですね。


昭和が香る田面通りの日進食堂-美味なカツ丼とチャーシュー麺

2020年02月27日 | 日記
 
 木更津の古い街道・田面通り(たもどおり)を撮影中、昼過ぎになりお腹も空いてきたので、昭和4年建築の安室薬店の近く日進食堂に入店しました。時間は12時10分頃です。田面通りに面した大衆食堂と言う感じのお店。先客は1名でした。





 4人掛けのテーブル席に座り、私は大好物のカツ丼(税込み800円)。ツレはチャーシュー麵(830円)を注文しました。餃子もお願いしたのですがやっていないとの事でした。注文してから常連さんと思われる客が3人入店。
 私たちの注文は7~8分で出てきました。最初は私のカツ丼です。





 続いてチャーシュー麺が1分位後に登場。なかなか美味しそうなビジュアルです。チャーシューが柔らかで美味しいです。麺と一緒に少し頂きましたがなかなかの逸品です。





  とんかつが看板メニューだけあって、カツ丼のカツが秀逸です。揚げたての衣は卵と甘くとじられ、肉は柔らかくとても美味しいです。あっという間にかっ込んで食べてしまいました。調べてみると創業77年と言う老舗の食堂。昭和を感じに、また行って名物のとんかつを食べたいと思います。


木更津港から久留里への道・田面通り④-切られ与三郎の墓

2020年02月26日 | 日記
 
 2/21田面通りをツレと撮影して来ましたが、一度木更津駅まで戻り木更津港まで駅西口から続く富士見通りに出ました。この通りを少し進むと「与三郎通り」の看板が見えてきます。富士見通りに面した光明寺というお寺に「切られ与三郎」の墓があるのです。



 歌舞伎の「与話情浮名横櫛」の主人公「切られ与三郎」のモデル、長唄の師匠芳村伊三郎の墓です。光明寺に入り案内板の通りに行くと「与三郎」の墓です。





 光明寺の墓地を通り隣の愛染院境内から田面通りに出ます。そして田面通りに選擇寺という大きなお寺がありますがここには「切られ与三郎」の相棒と言われた「こうもり安」の墓が実在します。この人実名は山口瀧蔵と言い、芝居の人物とは異なり立派な人だったようです。





 田面通りを進むと昭和4年の絵地図に出て来る影山商店(鶏卵販売)、米の久留里屋商店の古い店舗がみえてきます。





  そして富士見通りにつながる与三郎通りに入ると、昭和10年(1935年)に建てられた内山洋服店が目を引きます。蔦の絡まる昭和の看板建築。ショーウィンドウには建築された当時のアイロンが展示されていました。ミニ博物館の様です。




木更津港から久留里への道・田面通り③-木更津のレトロな建築

2020年02月25日 | 日記
 
 2/21ツレと木更津港から久留里まで続く田面通り(久留里街道の木更津寄りの道)を散策。レトロな建物を撮影しました。本当にこの通りは大正、昭和の景色が色濃く残っています。

 昭和4年に建てられた安室薬店の向かい側は木更津岡埜栄泉堂。大正7年(1918年)創業の和菓子店、東京本店からのれん分けして開業。木更津独自の美味しい和菓子を作っています。




 そして田面通りを左折すると、さかんだな通りと呼ばれた通りに出ます。中程に蔵店造りのヤマニ綱島商店が見えてきました。慶応2年(1866年)創業の乾物屋、建物は国登録有形文化財に指定されています。



  また隣には海苔ヤマニと書かれた古い店があります。そして田面通りに出て、暫く駅方向に歩くと綺麗に整備された蔵が見えてきました。浜田屋呉服店の蔵の様です。







  隣りは紅雲堂書店。明治元年に干物の卸業から本屋に転向。今も創業当時の店舗で営業中です。



 角の古びた店舗は金田屋です。明治時代後期に「金田屋洋品店」として開業。その後、昭和7年(1932年)に建て替えられ現在のような看板建築の建物になっています。平成27年から時計の修理やアンティークの専門店「金田屋リヒトミューレ」として元気に営業中です。




木更津港から久留里への道・田面通り②

2020年02月24日 | 日記
 
 2/17に木更津市のレトロな街道・田面通りを紹介しました。その続編を撮ろうとツレと2/21(金)田面通りの終着地というか出発点地でもある木更津港を訪れ、田面通りの姿を撮影しました。

 田面通りは本来、久留里街道と言う木更津と久留里を結ぶ江戸時代頃からの産業道路でした。その木更津寄りの街道は近郷からの人で賑わうようになり、田んぼに面した通りに商店が立ち並び田面通りと呼ばれるようになったとの由。上は木更津港に架かる中の島大橋。下は停泊する共栄海運の砂利運搬船、江戸時代には木更津船と呼ばれる五大力船が沢山停泊していました。





 木更津港から田面通りに入ると鄙びた家屋が姿を表します。右側の蔦の絡まる家には、現在も住人が暮らしています。



路地を少し入ると仲片町区公会堂があります。ここは木更津ばやし発祥の地、由来を刻んだ石碑が立てられていました。





  田面通りに戻り、木更津駅方向に進むとレトロな町並みに目を奪われます。特に昭和4年(1929年)に建築された安室薬店が異彩を放っています。





  安室薬店は現在営業はしていませんが、木造2階建ての店舗。2階窓の部分の両側には、柱型が作られ上部はアーチ状に装飾されています。昭和初期に流行った「看板建築」の好例と言われています。


木更津歳時記-旧安西家のひな飾り

2020年02月23日 | 日記
 
 2/20(木)太田山公園できみさらづタワーやネコを撮影した後、郷土史博物館金のすず横の
旧安西家住宅を訪ねました。ここは江戸時代中期に建てられたと推定される、上総で最も大型の民家。広間は黒光りがして、私たちの姿が写っていました。





 旧安西家住宅では毎年ひな祭りの時期になると、この黒光りのする広間に雛壇を設けひな人形が飾られます。今年は2/19~3/3まで展示されています。





  古い住宅は部屋数は少ないですが一間一間のスペースが広いですね。上の写真は玄関から見た中の間と奥の間です。天井も高く囲炉裏で燻され煤で黒ずんでおり、それが茅葺屋根の防虫にも一役買っています。



  囲炉裏に大きな鉄瓶が置かれていました。なかなか風情のある光景です。




  
 外に出ると安西家住宅の庭では、もう梅が見頃。今年は暖冬のせいか梅の花も咲きが早い様です。



木更津の語源を訪ねて‐木更津市太田山公園

2020年02月22日 | 日記

 2/20(木)久しぶりに太田山公園(おおだやまこうえん)をツレと訪問しました。木更津の目立つ場所に在る小山で、日本武尊命と弟橘姫の像が在る「きみさらづタワー」が立っている処です。この公園のある太田山は標高44m、きみさらづタワーは高さ28m、平成4年(1992年)3月に完成しました。



 神代の昔に日本武尊命が、東京湾を船で走行中嵐に遭遇。それを鎮める為に妃の弟橘姫が海中に身を投げ海神の怒りを沈めたとの由。無事海を渡った命は、この太田山に登り海を見つめながら亡くなった弟橘姫を忍んで「君去らず 袖しが浦に 立つ波の その面影を 見るぞ悲しき」と詠んだそうです。そしてこの歌の「君去らず」が「きさらづ(木更津)」の語源と言われています。



 公園内には弟橘姫を祀る橘神社があり、日本武尊命と弟橘姫の悲恋の伝説から恋の森と呼ばれて若者の人気を集めています。この日は沢山の保育園児が仲良く遊んでいました。





  公園からは木更津港や町が一望できます。日本武尊命が見た光景とはだいぶ違うと思いますが、美しい風景が広がっていました。また公園にはネコが沢山。野良ネコですが、可愛い顔をして寝ていました。



森の中の喫茶店・ライラックでトーストとパスタのランチ-木更津市

2020年02月21日 | 日記
 
木更津市矢那の平野山高蔵寺通称高倉観音を訪問し、寺の駐車場奥にある喫茶店・ライラックに入りました。ここは駐車場に何本かお店の幟が立っていないと喫茶店が在るなど分かりません。しかしそれが秘密基地の様で、常連さんには良いのかもしれません。

 お店に入ると2月だというのに紫陽花が咲いています。店の方に聞いてみると冬紫陽花だそうです。花弁が大きく白っぽい清楚な花です。





  入店したのは12時半頃。客はおじさんが1人。食事を終えコーヒーが出て来るのを待っているようです。本当にここは、まったりとした自分の時間が楽しめる場所です。私は好物のスパゲッティナポリタンのコーヒーセット(税込み1000円)。ツレはトーストとコーヒーセット(800円)をお願いしました。



  ナポリタンもトーストも定番の旨さですね。ひと月おきにもう4回も来ているので、ここの味になじんでしまったようです。一人で切り回しているママさんとも話が弾みました。



  最後に美味しいクッキーが付いたコーヒーをいただきながら、店内の綺麗な植物を鑑賞して帰りました。



未だ台風被害の残る高倉観音で冬桜と富士山も見えました-木更津市

2020年02月20日 | 日記
 
 2/18(火)一か月ぶりにツレと木更津市矢那にある平野山高蔵寺・通称高倉観音を訪問して来ました。ここは何回もUPしてきましたが、樹齢400年の御神木が倒れたりお墓も損傷している等昨年の台風被害が酷い寺院です。





年末にようやく御神木の本体部分の撤去が済んだばかり、ただ御神木の倒壊によって壊れたトイレは未だそのままです。



 高倉観音は真言宗豊山派の寺院。本尊は聖観世音菩薩であり、坂東三十三番札所となっています。そして藤原鎌足公にまつわる鎌足桜の祖株も現存しています。



 しかし鎌足桜の祖株も台風の被害にあい、枝が折れたりして痛々しい限りです。ただ境内には冬桜でしょうか、淡いピンクの桜が咲いています。境内にいた人も珍しいと言って写真を撮ったりしていました。





  また境内の端から富士山が見えました。雲に上部が隠れていますが、雪を被った姿がとても印象的。この後自宅に帰りましたが、夕方散歩をしているとシルエットになった青富士が見えました。綺麗ですね、この日は朝散歩している時も見ており、昼と夕方の3度姿の変わった富士山を目撃しラッキーでした。