しんさいでいっぱい死んだからぼくはいきる 原発避難でいじめの中1手記
東京電力福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒(13)の小学生時代のいじめ問題で、被害生徒の代理人弁護士が15日、生徒が小学6年の時(2015年7月)に書いた手記の抜粋などを公表した。長期間にわたるいじめで「なんかいも死のうとおもった」が、「しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」との決意がつづられている。
「ばいきんあつかいされていつもつらかった」「でも、ぼくはいきるときめた」。福島県から横浜市に自主避難した中学一年の男子生徒(13)の市立小学校時代のいじめ問題で、十五日に公表された手記には、生徒の赤裸々な心情がつづられている。「他の多くの子の励みになれば」。手記の公表には、いじめに悩む子どもたちへの生徒自身の願いが込められている。 (志村彰太)
この日会見した代理人の黒沢知弘弁護士によると、弁護士側は当初「子どもの成長に影響があるのでは」と手記の公表に慎重だった。だが、生徒自らが希望した。生徒は「震災で多くの人が亡くなった。自分は命をつなぐことができたから、生きなきゃいけない」と話したという。
生徒は避難直後の小学二年の時から名前に菌を付けて呼ばれるなどいじめを受けた。「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった」と感じていた。
五年の時には「(原発事故の)賠償金をもらっているだろう」と言われ、同級生から遊興費をせがまれた。「すごいいらいらとくやしさがあった」が、「ていこうするとまたいじめがはじまる」と遊興費を負担した。
さらに学校側に何度訴えても無視されていたことに触れ、「なんかいもせんせいに言(お)うとするとむしされてた」と、悔しさをにじませた。生徒は三年のころから休みがちだったが、六年になると一度も登校しなかった。
被害生徒の両親はこの日の会見で声明を公表し「親として子どものSOSに対応できなかったことは情けない」としつつ、学校側の対応には「学校・教育委員会はここまでしないと動いてくれないのか」と不満を示した。本紙の取材に対し父親は、原発事故の影響で福島県内で仕事をなくし、横浜市内で新たな仕事に就き、慣れるのに必死だったと明かした。
生徒は今フリースクールに通い、前向きに過ごし始めているという。「今は、それだけでいいと思ってます」。両親の声明には、平穏な日常を取り戻しつつある安堵(あんど)がにじんでいた。
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横浜市教育委員会の岡田優子教育長らは十五日会見し「(被害生徒に)苦しい思いをさせて申し訳なかった」と陳謝。いじめへの対応がなぜ遅れたか今後検証するという。(『東京新聞』11/16朝刊より)
国による福島の人びとへの「いじめ」が、子どもへの「いじめ」となってあらわれいます。これはけっして少なくない数の、福島の避難者者の子どもの実態をあらわしています。国や福島県は、自主避難者への住宅無償打ち切りを来年3月で打ち切り、汚染地のある福島へ戻そうとしています。東電や国は原発事故を何ら反省もせず、原発推進・福島安全安心キャンペーンを繰り返しています。2020年東京オリンピックに向けて、「原発事故は収束した」「避難者などいない」と世界にアピールしようとしています。「避難生活などする必要がない」「避難者は金持っている」という国のすり込みが、子どもの世界にも影響しています。3月末からも住宅補償せよ! 自主避難者の人たちの生活を守ろう!