東日本大震災:福島第1原発事故 2013~15年にアンケ「福島子ども健康プロジェクト」 成元哲・中京大教授に聞く /福島
毎日新聞 2015年05月19日 地方版
◇切迫する母親に驚き 4年たっても「避難したい」25%
福島第1原発事故で避難指示区域に指定されなかった地域で小さい子供を育てる福島県の母親たちは放射線被ばくの不安をどう感じ ているのか。2013~15年に大規模なアンケート「福島子ども健康プロジェクト」を実施した成元哲(ソンウォンチョル)中京大教授(48)に聞いた。 【日野行介】
−−調査に取り組むきっかけは?
12年2月に福島市で子供たちを避難もしくは保養に連れて行く団体の会議があり、小さな子を抱いた母親たち300~400人が 受付で列を作っていました。事故から1年近くがたち、行政が何か措置をしていると思っていたので「こんなに切迫しているのか」と驚きました。私にも小さな 子供がいるので「自分ならどうするだろうか」と考えました。
−−調査対象を、避難指示区域外の中通り9市町村、08年度生まれの子を持つ母親としたのはなぜですか。
避難区域外だから安全と言えるのか、その疑問が出発点です。この子たちは事故時に1~2歳。避難指示がないということは、室内で過ごさせるか、外 の公園で遊ばせるか、それとも避難させるのか、母親たちは選択を迫られます。その分、混乱も悩みも深くなります。目に見えない被ばくへの不安がもたらす影響を見るのに適していると考えました。それを可視化するには一定の層を丸ごと切り取るような量的調査しかありません。
−−結果は予想通りでしたか?
大体は予想通りでしたが、細部では驚きがありました。「地元産食材を使わない」「洗濯物の外干しはしない」「できるなら避難したい」は時間の経過 と共に大きく減少していますが、同一人物の判断経過を追跡すると納得したわけではないのが分かる。あきらめなのでしょう。そもそも4年たっても「できるな ら避難したい」が約25%もいるのは深刻と言うしかない。
−−避難区域外の住民や自主避難者への賠償は極めて少額です。
母親たちが避難をあきらめて、それでも頑張っていこうとしても手立てがない。自由回答欄で印象に残った母親の何人かに直接会って話を聞きました。 事故後は水道水を飲ませられず、ミネラルウオーターを大量に買うようになったのだから、せめてその代金分ぐらいは出してほしいと言う人もいました。除染に 投じられた巨費や強制避難者への賠償を考えたら「そのぐらいはしてほしい」と。母親たちは具体的な手立てを求めています。
福島の非難基準は、チェルノブイリの4倍も高い…。すでに福島第一原発の作業員には、被曝線量19.8mSvで白血病になり、労災認定を受けたものがいる。白血病の労災認定基準は年間5mSv以上、しかし原発事故の避難基準は年間20mSv…
あと10 万円!! 2016年冬休み保養プロジェクトへのカンパをお願いします!
だんだんカンパ集めが大変になっている上に、小学生だった子供たちが中学生になり、宿泊費が大人になってくるんですね。
時は経ちます。今年の夏には保養で 参加していた子が、高校生になり、同じ学校で福島から避難してきた子と出会い、一緒にボランティアとして参加してくれました。感慨深いです。
保養は一義的には放射能から離れるということで、低汚染地千葉で保養をやるとこを否定する人もいます。しかし、日本の現状においては、保養はそれだけのも のではなく、もはや一つの運動になっていると感じます。
福島の放射線はなんでもない、事故が起きても何も変わらないという原子力推進派の一大キャンペーン にハッキリ対抗しているんですね。
福島で生活せざるを得ない人たちが、放射能に気をつけたいということを表明することもできない社会で、保養にで続けるこ と、子供とその問題を話し合い続けること、仲の良い友人に勇気を出して一緒に保養に行こうと誘って見ること。いろいろ意味はあります。よろしくお願いしま す。(スタッフYさん)
私たちは、福島の子どもたちを守るために千葉で保養活動をすすめています。これまで計8回の保養を続けてきました。
福島原発事故から4年、「放射能は安全」「帰還強制」キャンペーンの中、福島の子どもたちは県外に出ることさえ困難な状況にあります。保養は、一時的に福島県外へ行き、ストレスを軽減させるための活動です。
私たちは、この夏の保養に続き、冬休みも保養をおこないます。あと10 万円足りません! ぜひ、みなさまのあたかい支援で私たちの保養の取り組みを支えてください。