姫野カオルコの小説を読んだ。
彼女の文体はとても独特で、
いわゆる「不思議ちゃん」の世界に包み込まれる。
好きな人にはたまらない世界だろうけど、
ダメな人もいるだろう。
私もサクサクとは読めないが、
なんとなくじわじわと効いてくるのが心地よい。
そんな彼女の小説を読んでいて思い出すことが
ちらほらとある。
私が子どものころ、何をするにしても恐る恐るだった。
そしてアドリブに弱い。
臨機応変に行動できない。
だって経験値がほぼゼロだから・・・。
子どもだもんね。
たとえばお使いを頼まれたとする。
親に言われて豆腐を買いに行かされる。
お店の人と緊迫のやりとりを経て、家に帰る。
すると親はおつりを見て
「あれ?おつり少ないな」と言う。
買ってきた豆腐を見て
「これ絹ごし?」
「さあ?」
「いつもの豆腐とちゃうな」
「お店のおばちゃんに何の料理に使うの?って聞かれて、
知らんって言うたら この豆腐包んでくれた」
「これは高い方の絹ごしやな」
「・・・」
もうね、大人とのこう言うやりとりがたまらなくイヤだった。
え?私が悪いのか?
せっかくお使いに行ったのに、
「相変わらず要領わるいな」みたいな言い方されて、
めっちゃヘコむんすけど。
次にお使いを頼まれても
「また失敗するんちゃうか?」と不安になり、
行くのが億劫になる。
そして、何となく大人が苦手になって行くのだ。
話変わって、
小学生の私は一人で過ごすのが好きだったが、
いかんせん、必ず誰かと約束があって、
一人で過ごすのはほとんどなかった。
それでも遊びの誘いを断って、なんとか一人の時間を捻出した。
大好きなのは探検ごっこ。
小さなポシェットに小銭とハンカチとメモ帳などを詰めて、
普段から気になっていた場所に探検に行くのだ。
ときどき級友と会う。
しかし「探検してんねん」とは幼稚すぎてさすがに言えない。
「ちょっとね」とごまかす。
15分ほどして、また同じ子と再会すると、もう苦笑いしかない。
子どもが一人で意味もなく歩き回っていると、
大人たちもじろじろと見る。
いたたまれなくなって、探検ごっこは3回ほどでやめた。
またまた話変わって、
高校生のときクラスで目立たない女の子がいた。
私もチビだったが彼女は私より背が低かった。
145cmくらいかな。
それくらいの身長だと、もう妖精のような存在になる。
グループの端っこでクスクス笑っているような
かわいらしい女の子だった。
あまりにもおとなしいので、ときどき存在を忘れる。
私と違って、声も小さかった。
彼女に関心を持つ人も少なかったし、
本人もそれを望んでいるような感じだった。
卒業にあたってサイン帳などをクラスに回した。
サイン帳には相手に対して贈る言葉や
自分のプロフィールなども書いたりする。
すごく絵の上手な人、
時間をかけて言葉を選んでくれた人、
適当に書いた人、
意外とサイン帳って性格が反映されるものだ。
彼女もそう言うのがあまり得意ではなさそうで、
地味だが丁寧に書いてくれていた。
そしてプロフィールの「好きなこと」に
『売り家のチラシの間取りと外観のイラストを照らし合わせて眺めること』
と書いてあった。
なるほどーーー楽しそう!
子どもって家のチラシを見るのが好きなんだよね。
でも、間取りと家のイラストと照らし合わせる発想はなかった。
そのマニアックな部分に大いに惹かれた。
感動すらした。
なんとなく彼女の生活スタイルを垣間見た気がした。
その後すぐに卒業したので、
小さな声の小さな彼女とは喋る機会もなかった。
ただ、姫野カオルコワールドに足を踏み入れたときに、
小学校のときの他愛のないエピソードや
間取りの好きな彼女のことが、
ふと頭をよぎったりする。