秋月辰一郎さんの「長崎原爆記」を読みました。
日常生活が原理力爆弾で突然奪われ、大勢の死者を出した長崎のリアルな様子と大勢の治療にあたる秋月さんのご様子が描かれています。
原爆のエネルギーに焼け出され大勢の方が一瞬で命を落とされました。
そしてその後、日数が経つにつれ、爆心地から同心円を描きながら放射能によって大勢の方が亡くなっていったそうです。
玄米と塩の濃いワカメの味噌汁を食べて、秋月さんは爆心地から1.8キロの場所で被災者の治療をつづけながら放射能に被ばく(本文には原子病ともかかれていました)しなかったそうです。
レントゲンを使った治療をしていた経験から、放射線によって体が衰弱した時にはミネラル豊富なものをとのがいいという判断し、看護婦さんや同僚のお医者さんも塩のふった玄米と塩分の濃いワカメの味噌汁を食べさせて、砂糖は血を汚すものだからときつく摂ることを許さなかったそうです。
原爆が落ちたその日の夜、疲労困憊と混乱の中、同僚と焼け残りから見つかったお酒を酌み交わし、少しばかりの精気を取り戻したという記述もありました。
アルコールをとることで放射能の影響を和らげることもあるそうです。
秋月さんは2005年89歳で亡くなられ、ずっと長崎の被爆者の話を伝えられました。
日本人が経験した忘れてはいけない過去を生かせなかったことも、今回の原発事故につながったのかもしれないと思いました。