チャレンジ鍼灸師82歳:今、新しい医学・医療創造の志に燃えて生きる!

青春時代の社会変革活動の挫折をのりこえ、鍼灸の道へ。

「鍼灸医術」は現代医学・医療の批判者として存在意義がある。

2014年02月02日 | 鍼灸医師制度への取り組み

私の恩師・竹山晋一郎先生は、
その唯一の名著「漢方医術復興の理論」の中で
鍼灸(漢方)の存在意義、換言すれば「鍼灸医術」を復興させる必要がある理由は・・・・・

それが近代医学の批判者だからであると
高らかに宣言されている。

それは、
鍼灸(漢方)が「臨床的全科医」としての本質を担うからである。

その本質を踏まえた上で、「批判者」として

極度に「専門分科」し精密化した現代医学・医療と
提携できるのである。


鍼灸医術は、多くの論者が述べているような現代医学の「補完者」として
現代医療の片隅に存在しているのではない。

独自の観点・技術システムをもった

「臨床的全科医」である「鍼灸医師」として

対等に位置づけられてこそ、
「現代医学・医療」と協力できる体制を築けるのである。


単に
「現代医療で治らない疾病」に対応できるという次元のものではない。
それは常に、個々の患者への治療の具体的な実践の中で示されている。

過日、治療に来院した74歳の女性の例である。
この方は、30年来の患者である。

30年前、保育の仕事をしていて「左手の麻痺」で整形外科で治療して改善せず、

鍼治療で完治したのである。

それ以来、鍼治療を信頼していただき、いろいろの訴えで治療に来たが、

最近は、「慢性右坐骨神経痛」で時々治療しているのであるが、


来診の数日前に、突然「めまい」と「吐き気」がして
鍼治療の前日、かかりつけの内科医師のところで、
治療を受けたが、
病気の経緯や状態も何にも聞かず、心配している本人に納得できる
説明もせず「注射」をしてくれて、薬をくれたが全然好転しないので、
鍼灸は効果があるのかどうか、と尋ねられた。

この方は、
40代の時やはり「めまい」と「吐き気」がして
「メニエル症候群」として1ヶ月入院したが快癒せず、
そのうち何となくよくなって、全然その症状はなくなっていた
そうである。

今回は、「耳鳴り」はしないし、立ち上がる時と首を動かした時に
発症するという状況を聞き、さらに脈診をして、
全体のバランスはあまり崩れていないので
ちょっと触れてもわかる、首~肩の筋緊張から起こる症状であり、
「メニエル」ではないようだから、そんなに心配はないし治るのは
時間はかからないだろうと鍼治療をほどこした。

治療後、発症する状況の動作をしてみたら
ほとんど「めまい」はなく、勿論「吐き気」も起こらなかった。

次の日治療に来られたが、おおむね快癒のようであった。

前回治療の前の夜は
お風呂の中でお湯が揺れ、光に反射すると「吐き気」がしたが
治療後はそれもなかったと喜んで
ずっと以前から、「鼻づまり」があり耳鼻科にかかったが
治らず、そのままになっている・・・・
と「鼻づまり」まで治療させられた。

勿論、それは、
前頭部の「通天」と言うところに1本の鍼ですっきりしてしまった。

その後、何度か「神経痛」の治療に見えたが

めまいは完全になくなり、鼻づまりはあるが気にならないそうである。

この患者は、現在「健康管理」の意味で、月数度は治療している。



★ 竹山先生の名著 ◆
  ↓ ↓ ↓
下の「枠」をクリックしてください。

漢方医術復興の理論 (1971年)
竹山 晋一郎
績文堂出版



「鍼灸医術」をなぜ復興させる?B

2014年02月01日 | 鍼灸医師制度への取り組み

「鍼灸医術」を現代に生かす意義は

それが「伝統医学」として特異の文化遺産であるためではない。

「伝統」「古典」という意味だけでは、特に重みをもたないと思う。

 

その学問体系の土台をなしているとされる「中国古代哲学」を有難がり、

これからの「鍼灸医術」の基礎とする必要もない。

 

本当の「鍼灸の学問」はこれから築かなければならないのだ。

その学問的方法論もこれからの課題である。

 

「鍼灸医術」を支えるその特性・本質が

現代医学」として現存の医学に立ち向かう根拠は何かを

明確にしなければならないと思う。

 

それを指し示した名著が

竹山晋一郎先生の

「漢方医術復興の理論」である。

これは、私の愛読書。ご一読おすすめ 下の枠内をクリックしてください。

 

 

 

 

 

 

 


「鍼灸医術」をなぜ復興させる?  A

2014年01月30日 | 鍼灸医師制度への取り組み

「鍼灸医術」の独自性・特異性はどこにあるのか

現代医学と並び立つ制度を構築する意義は

これを明確にしなければ主張し得ない。

 

まず第一に考えることは・・・・・・

「東洋医学」「伝統医学」としての独自性の主張についてである。

「鍼灸医術」が「東洋医学」として捉えられ、何の疑問もなく世間に流布している。

しかし、

その捉え方はおかしいと思う。

そもそも「東洋医学」とはなんだろう?

「西洋医学」に対峙するものとして考えていると思われるが

現在そんなものがあるのだろうか。

西洋近代医学の歴史を踏まえている現代医学はもはや「西洋」のものでなく

「世界」のものであり、地域性を主張する意味がどこにあるのだろう。

それに「東洋」とはどこを指すのか?

インドもチベットも中国や韓国も、それぞれ独自の医学・医療をもっている。

「東洋医学」などという不明確な言葉で「鍼灸医術」を表現することは

誤りであると言い切れると思う。

 

正確には、「鍼灸医術」とは

「中国古代医学の一分野」であり、その発展のすべてを含む医学・医療である。

当然「中国伝統医学」としての側面をもっている。

 

しかし、日本では

日本に根付いた多種多様に分化した「日本鍼灸」である。

日本伝統医学」というものの存在は不明確のようである。

 

この「日本鍼灸」が、

鍼灸師ではなく「鍼灸医師」に担われる意義と必然性を

どう明らかにすべきかが大きな課題である。

 

 

 

 

 


「鍼灸医術」を開花させる新たな道とは・・・・・D

2014年01月27日 | 鍼灸医師制度への取り組み

「鍼灸学」の学問的確立、その土台としての

「鍼灸の現代科学的解明」に合わせて必要なことは

「鍼灸医術の復興」である。

 

今までの「鍼灸師」制度ではなく

「鍼灸医師」として新しくスタートする道を探るためには・・・・・

 明治以前、医療制度の中心にあった「鍼灸医師」がおこなってきた「鍼灸医術」を

現代医学・医療の一部ではなく

これと並び立つ、

もうひとつの「鍼灸医師」の行う独自の医学・医療として確立する

意義を明確にしなければならない。

 

ただ「効果」があるから国民医療に貢献している

というだけでは不十分である。

 

「鍼灸医術」を復興させ

その独自性・特異性を明らかにしなければ

鍼灸医術を行うものを

医師制度として「復興」させる意義は主張できない。

 

 

 

 


「鍼灸医術」を開花させる新たな道とは・・・・・C

2014年01月27日 | 鍼灸医師制度への取り組み

「鍼灸医術」の開花をめざすためには

ひとつには「鍼灸学」の学問的確立が必要である。

 

しかしその根底として、

学問的確立とは何かを明確にしなければならないと思う。

 

「日鍼会」の設立要旨決議の中に

「鍼灸科学化の方向に邁進する」とあったが、これはどういう意味だろうか?

「科学」と言うことは

当時の指導者たちが

「鍼灸」は「科学的根拠」をもたない、摩訶不思議なもの」「東洋の神秘」とでも

考えていたのだろうか。

「古典」に基づいて築かれた訓詁学的「鍼灸学」を絶対視すれば、

「現代科学」の観点とかなり違って見える。

それを拠り所にして「伝統医学の特異性」を主張し

「存在意義」とすることは誤りであろう、として

当時の先駆者たちは

現代科学の立場から解釈し、見直そうという意味で「科学化」と言ったのであろうか・・・・・

 

しかし・私は、「科学化」という言い方は不正確だと思う。

「鍼灸という医術」が明確に効果がある

ということは、神秘的でもなく、

伝統医学の考え方が正しいとか、こじ付けだとかいう議論

の問題でもなく

現実に効果があるという事実である。

この事実の「実態」の「現代科学的解明」

これからの「鍼灸学の学問建設」の土台となるべきである

とすべきであろう。

 

「鍼灸大学は

その専門研究機関および「鍼灸医師」の教育・養成機関としての

存在意義があると、私は考える。

 

 

 

 

 


「鍼灸医術」を開花させる新たな道とは・・・・・B

2014年01月25日 | 鍼灸医師制度への取り組み

既成の「鍼灸師」の概念を土台にしたビジョンでは

新しい道は開けない。

 

鍼灸師としての身分は、

現行の「はり師きゅう師あん摩マッサージ師圧師に関する法律」に基づいている。

この法律を元にした「鍼灸師」は明確に二分化されている。

 

マッサージのつけたりとして鍼灸を行うものおよび

または鍼灸は資格だけというものと

「鍼灸マッサージ」でなく

「専門医術としての鍼灸」専業に生きようとするものである。

鍼灸専業で生きようとするものは

決して自らを「鍼灸マッサージ師」とは称しない。

この鍼灸専門従事者にとって、「あはき法」は欠陥法であり、

「鍼灸単独法」は悲願である。

 

そしてその悲願達成を含みながら

専業鍼灸師の全国統一法人組織の結成をめざし

生活保護法や健康保険の取り扱い、関係法規の改正の善処、

鍼灸科学化への邁進などを掲げ

「社団法人・日本鍼灸師会」

昭和25年(1950年)11月30日設立された。

 

しかし、設立以来今日まで

その悲願への道のりは困難の連続であり

光明は全く見えてこない!

 

 

 

 

 

 

 

 

 



「鍼灸医術」を開花させる新たな道とは・・・・・A

2014年01月24日 | 鍼灸医師制度への取り組み

今既成業界では、若い「鍼灸師」を中心に

「国民のための鍼灸師法」を模索しているようである。

これは、素晴らしいことである。

討議が広がり深まることを、心から歓迎する。

 

しかし、

既成の「鍼灸師」の概念を土台にしたビジョンでは

新しい道は開けない。

残念ながら、「鍼灸新報」を見てみると

どの議論も、その熱意は高く評価できるが

過去の業界の

既成の考え方・展望・運動論と全く軌を一にしたものの域を出ないと思う。

 

明確な「将来展望」と「当面の運動目標」が区分けされ

はっきりとした戦略・戦術が打ち立てられなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「鍼灸医師法」の下でしか「鍼灸医術」は開花しない!

2014年01月22日 | 鍼灸医師制度への取り組み

既成鍼灸業界の「単独法」制定への目標は、実現できるのか・・・・

私は、鍼灸師専門団体のこの悲願の実現は極めて困難だと思う。

 

現日本鍼灸師会の仲野先生が「鍼灸新報(NO.614)」で

『関連団体との協議会や会議の席では、

ぶれることなく「単独法」の)必要性を繰り返し訴え続けますが、各団体が掲げる事業方針は

それぞれ特色があり、所属会員の思いがあります。

その中で本会のみが独走しないよう協調路線で進め、機運到来の「時」を見極めながら、

目標に向けて歩を進めたいと思います。』と書いています。

 

これは、紛れもなく「できない」し「する気もない」という表明であり、

常に繰り返されてきた目標放棄の弁解である。

 

そもそも、「現あはき法」の下で

”三療”としてあはき一体を唱える団体と、”分離”悲願の鍼灸専門業者団体が

協議・協調して「鍼灸単独法」を成立させることができるはずがないのである。

 

では、どうするか

「鍼灸医術」とそれを担うものの

未来を開く道はあるのか・・・・・・・・・・

       

 今こそ

鍼灸医術を開花させる新たな道を

切り開かなければならないのだ!

 

 

 

 

 


鍼灸医師制度の確立へ

2014年01月19日 | 鍼灸医師制度への取り組み

鍼灸医師制度の確立が、はり灸健保推進の展望を開く!

現在の、
「医師の治療」と[鍼灸師の治療に対する療養費」の
「併給」の禁止は

現行の健保制度が、
鍼灸師の治療を受ける患者の権利を
侵害している

ことを明らかにしています。


鍼灸が現代の医療制度:健康保険制度の中で
正当に位置づけられる道は
ただひとつです。

それは、
現在の「鍼灸師」制度を
根本から変えることです。



今、正式に「大学」として認可されている「鍼灸大学」は
10校を超えています。

従って、鍼灸に従事する「資格」には
大学卒専門学校卒
があります。

この「二重構造」は固定してはならないと思います。

早急に
大卒のみの鍼灸医師制度

を確立すべきです。
時限を定めて「経過措置」を定め
現在の「二重構造」を廃止することです。

既成団体の一部には、
現行の「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師等に関する法律」
(あはき法)から
「はり師・きゅう師」を分離して
鍼灸師法」の単独法を制定することを悲願とした
60年を超えた動きがあります。

しかし、これは今までの経緯から考えれば、

可能性は絶対にない
と思います。

これまでの動きと一切かかわりない
全く次元の異なる制度を確立する運動目標・・・

むしろ、ここにこそ「活路」があります。

これが
「鍼灸医師」制度です。

そして
当面、この制度とはかかわらず

健康保険の問題を解決するために

直ちにしなければならないことは
「健康保険法」を改正して
鍼灸治療所を、健保での「保険指定機関」とすること
です。

これ以外に
鍼灸・健保問題の「根本的な解決法」はないでしょう。




開業鍼灸師の将来は、輝くか?・・・4

2014年01月13日 | 鍼灸医師制度への取り組み

開業鍼灸師のおかれた現状を考える・・・4

現在、健康保険の取り扱いについては、
3で述べた「基本的な問題点」の解決はないが
実務的には、ほとんど問題は解決されています。

1) 医師の「同意書」の添付があれば

期間・回数の制限は「撤廃」され
ほとんど問題なく支給されるようになりました。

2) 医師の治療との「併用」については

通達に
「医師の治療との併用は認められない」と明記されています。
しかし
「同意書」の添付があれば、
「療養費」を給付する「”支給要件を満たしている”とみなしてもよい」
「特別な場合を除いて患者の経済的負担等を考慮すれば
できる限り速やかに償還手続きをすべきである。」
とかなり緩やかな「指導」もされています。

3) 取り扱い「疾患」は、「疼痛」に限定されているが、
「病名」については
厳しい「制限」はなくなりました。

4) 料金は、標準よりかなり低く、これは大きな「ネック」です。

5) 本来の「償還払い」、つまり、
治療を受けるときに支払った治療費の一部を「返してもらう」のではなく、
治療者などに「保険適用額」を払い込み
自己負担額を治療者に支払う「委任払い」方式も了解してくれる場合が多くなっています。


しかし、
鍼灸師の治療に対する「健康保険の適用」は、
このように手続き上の「緩和」がえられるまで、長い困難な道のりがありました。


これについては、はり灸健保推進:私の戦いの跡を辿りながら 1~30」に移ります


開業鍼灸師の将来は、輝くか?・・・・・3

2014年01月11日 | 鍼灸医師制度への取り組み

開業鍼灸師のおかれた現状を考える・・・3

現在、健康保険は、被保険者の権利として、
自由に自分の選択した医療機関によって
自分の望む検査や治療を受けられることになっている。

しかし、
鍼灸師の治療を受ける患者には、
健康保険の利用がきわめて困難である。

それは、
基本的には、2で書いたように、「医療の一端」を担いながら、
「医師」を頂点とする「医療保険制度」から排除されているからである。

健康保険では、
被保険者が指定された「医療機関」で、「被保険者証」を提示すれば、
決められた「自己負担金」を支払い「医療」を受けられる。

鍼灸師の治療所は、
健康保険法で「指定機関」となれないのである。

そのため、
患者が鍼灸師にかかった費用を自分で請求し、
”保険者がやむをえないと認めたとき(患者の権利ではない!)”、
その費用の一部を還付してもらう「療養費」という制度を
利用することができることになっている。

しかし、「還付」には
種々な「制限」があるうえに
極めて「少ない金額」しか返ってこない。
そればかりではない。

★ 「医師の治療」との「併用」は認められない。

★ 鍼灸にほとんど理解がない医師に
「同意書」を書いてもらって添付しなければならない。

★ 還付適用「病名」が限られている。

〇 さらに、数年前までは

★ 「同意書」を書いてもらう前に、
一定期間医師の治療をうけていなければならない。
★ 「期間・回数」の制限がある。

というものであった。

この2件については、長い業者・患者の取り組みにより

現在は「解除」されている。

 


開業鍼灸師の将来は、輝くか?・・・・・2

2014年01月10日 | 鍼灸医師制度への取り組み

       開業鍼灸師のおかれた現状を考える・・・2

鍼灸は、江戸時代までは医師によって行われ「医療」の一翼を担っていた。

明治維新により、新しい「医制」が制定された際に「西洋医学」を学んだ者のみが
「医師」となれることになった。

国会でのたった1票の差で、「漢方医の存続運動」は潰えた!
この「漢洋医学闘争史」の経緯を辿ることは、歴史の教訓となるが、後の課題としよう。

ところで、古来の鍼灸は、「医制」確立の後は
「医学」としての価値は全く否定され、
「盲人の生活手段」として残され、盲人教育のなかでの職業として確立された。

そして盲人を含め鍼灸業者は、「医師の指図」のもとにおかれた。

明治20年代、
当時の「神経学説」を中心に西洋医学的に理論付けられた
大久保適斉の「鍼治新書」は見事な著書である。

こうした先駆的な医学者の努力もあり、
明治の終わりに「鍼術、灸術取締規則」が制定され
「医師の指図」でなく、「警察」の鑑札により営業
できるようになった。

第二次大戦後、新憲法の下に
鍼灸師は「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」(昭和22年)により、
免許を受けた「営業」を行う者として認められた。

その後
「あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法」(昭和26年)と改められ、

単なる「営業」ではなく
医師、歯科医師と並ぶ、医療の一端を担う「身分」
として確立された。

その後
柔道整復師は
「柔道復師法」(昭和45年)が制定
され、単独専門法により身分が明確となった。

しかし鍼灸師は
「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律
という変な「法律」で括られることになり

「鍼灸師法」制定をめざす鍼灸師悲願の運動は、
それを目標とした鍼灸師専門業者の組織である
「日本鍼灸師会」創立いらい
60年を超えた今日いまだに、全く実現の見通しも立たない



開業鍼灸師の将来は、輝くか?・・・・・1

2014年01月09日 | 鍼灸医師制度への取り組み
開業鍼灸師のおかれた現状を考える・・・1


私は、50年ちかく開業鍼灸師として生きて、健保問題や身分法などを含め、現状をこのままにしては、「開業鍼灸師」の将来の展望を開く道は、極めて険しいと感じている。

私は、
鍼灸の素晴らしさ、凄さを感じ、確信を深めて毎日を生きている。
そして
現在の「鍼灸」の置かれている状況とそれに対する業界の対応に”もどかしさ”を感じている。
開業48年・82歳の現役鍼灸師として何をなすべきかを考え根本的な制度改革 への意欲を燃やしている。

私の48年は、
古来、独自な治療体系を確立して医療の一角を支えてきた、わが愛する鍼灸の価値を活かしきる制度をいかに確立すべきかを考え続け、闘い続けた険阻な年月であった。

私は、これからの生涯をかけて、この道を開き続ける戦いに生きたい。


若い世代に期待する・・鍼灸医師への動きが始まった!

2012年11月22日 | 鍼灸医師制度への取り組み
今年の5月、第53回日本神経学会学術大会が東京国際フォーラムで行われた。
その中で、
シンポジュウム「神経内科診療における鍼灸活用の可能性を探る」
が開催され「神経内科と鍼灸医療との邂逅」というテーマで、
医師と鍼灸従事者との協力体制が討議された。

その前日、2日にわたって、慶応義塾大学三田キャンパスで
公開シンポジウム「鍼灸医療の将来像を語る」が行われ
その最終テーマで「鍼灸医療の担い手:鍼灸医師への道のり」が挙げられた。

私のこのブログの読者である慶応義塾大学医学部の若い医師・鍼灸師から、
その演者として、私に依頼があった。
しかし、私は今左下肢の神経麻痺のため歩行困難で参加が無理なので、
名古屋の黒野先生を推薦した。
それで先生のグループから皆川宗徳先生が演者となられた。  

いよいよ、私がかねてから呼び掛け続けてきた
「鍼灸医師」への道が拓かれ始めたのである!


シンポでの講演内容は,私の考えとは多少の違いはあるが、
めざすところは同じである。

皆川先生は、当面「学会認定鍼灸師」を設定し、
質の向上を図ることを述べられたらしいが、
私の主張は、あくまで早急に「鍼灸医師制度」の法的確立をめざし、
経過措置を配慮しながら
すべての鍼灸従事者を「鍼灸医師」とするものである。
「専門認定制度」はそれを前提に、必要ならなされるべきであろう。

そして、「鍼灸医師制度」の確立の上にこそ
現代医師と鍼灸医師が、手を携えて新しい医学・医療の建設に
取り組む体制が築かれるのだと思う。

患者に支えられた「鍼灸医師制度」への新たな運動を
いかに構築するか、若い世代に期待する。


私も微力を尽くして取り組みたい。











驚きと感動!「鍼灸医師」への動きが始まった。

2012年05月31日 | 鍼灸医師制度への取り組み
先日、突然「慶応義塾大学医学部」の神経内科の特任助教・鳥海先生から、
5月の23~25日、「日本神経学会学術大会」の一部として開かれる
公開シンポジウム「鍼灸医療の将来像を語る」の中で発言して欲しい
と言うメールを戴きました。
私は、体調が悪く参加できないので、名古屋の黒野先生をお勧めし、
当日はメッセージを送りました。
昨日(5月30日)ご報告のメールを戴きましたが、大成功の様子でした。


   《 公開シンポ「鍼灸医療の将来像を語る」へのメッセージ》
慶応義塾大学医学部
神経内科 特任助教  鳥海 春樹先生
                                  
                   鍼と灸・中川求真堂 中川節

私は、栃木県宇都宮市で45年治療に専念してきた81歳の鍼灸師です。
この度のシンポジュウム「神経内科と鍼灸医療の邂逅」および
「鍼灸医療の将来像を語る」のご開催を、
心から喜び共感し、一言ご挨拶を申し上げます。

私は、開業以来「鍼灸医療の発展」に尽力し
「健保問題」では、志をともにする仲間たちと国を相手とした
「行政訴訟」にも取り組んできました。

「鍼灸医療の未来」に関しては
「社団法人日本鍼灸師会」の「鍼灸師法推進委員(5名)」の一員として
取り組みました。
その中で、
日本鍼灸師会創立以来の「宿願」である
現行の「あはき法」からの「分離・単独立法」は
極めて困難であることを認識し、
いままでと異なった「戦略・戦術」に基づいた運動の構築の必要性を
信じるようになりました。

それは、全く独自の新しい「鍼灸医師制度」の確立であり、
その土台としての「鍼灸医師法」制定への運動の展開です。

私は、生来の”そそっかしさ”から、「委員会」の合意もまとまらぬ内に、
一日も早い取り組みの必要性を訴えようと「日本鍼灸師会」の代議員総会で、「鍼灸医師法制定」への運動の展開を代議員の私見として発言しました。
しかし、反響はゼロ。
反対意見でもあれば、議論も展開できたのですが、単なる空砲に終わってしまいました。

さらに、
「あはき法・分離反対」の団体からは、私を「委員」から降ろせという
要請もあったようです。

その後、私は、「委員会」から離れ、
一人で、運動をしていこうと、「インターネット」で訴えはじめ、
業界誌「医道の日本」では、毎年数年にわたって「新年の言葉」に
鍼灸の未来は鍼灸医師制度の確立しかない」と書き続けてきました。
けれども、これにも反応は全然ありませんでした。

それでもめげずに「主張し続けよう」とブログに取り組んでいる矢先
鳥海先生から、今回の企画についてのご連絡をお受けしました。

若い医師・鍼灸師の鳥海先生からの
シンポジウムの最後の締めくくり「鍼灸医療の担い手:鍼灸医師への道のり」の発言のご依頼には、
本当に驚きと喜びと若い「既成業界の偏見にとらわれない」鍼灸従事者の出現に感動いたしました。

たまたま、私は「体調」を崩していて参加できませんので、
「鍼灸医師」への思いを共有し常に尊敬申し上げている名古屋の黒野保三先生をご推薦いたしました。
先生のグループの皆川先生は、きっと素晴らしいご提言を示してくださると信じています。

目標である「鍼灸医師」への道のりは、決して平坦ではないと思います。
すでに、数校の4年制「鍼灸大学」はありますが、
6年制の「医科大学」と同格の教育環境の整備・「鍼灸師廃止に伴う経過措置」・「膨大な経験の集積である鍼灸医術の継承と追試・実証・整理」・・

そして、これまでの、「現代医学での解釈・説明」や
「訓詁学」の域を超えていない「学問以前」の鍼灸医術を
「生体と鍼・灸作用の反応のメカニズムと法則性の解明を基礎とした
真の学問としての鍼灸学」を建設する事業は、
すべての根底であると思います。

さらに、
「法律制定」へ向けての患者・国民運動の構築・既成概念にとらわれず
新しい医療制度への理解を持つ有識者・超党派の政治家の結集など、
課題は山積しています。

この壮大な「鍼灸医療の将来」へ向けての大事業のスタートとしての意義を
今回のシンポジュウムは担っていると信じています。

大変な準備をされた鳥海先生たちのご努力に感謝するとともに
これからのますますのご活躍をご期待申し上げます。