チャレンジ鍼灸師82歳:今、新しい医学・医療創造の志に燃えて生きる!

青春時代の社会変革活動の挫折をのりこえ、鍼灸の道へ。

臨床的全科医として・・・・・②-d

2013年09月29日 | 最近の治療体験から

KMさんは2~3日間を置いて治療に見えている。


頚部から肩のコリが、若干取れた感じだが、しつこい。

これは、9年前の「交通事故」の後遺症のようである。今でも

「整形外科」に時々かかっているそうである。

 

「慣れ」ができているらしく、本人は、今はそれほど苦痛は訴えてないが、

「こり」は、肩の広範囲で全体にカチカチの感じである。

 

これには、今回、前述(江戸時代名人の跡を追う・・④)の「快浅刺5本鍼」を試みた。

結果が楽しみである。

 

今日は、さらに

昨日のどが痛み、ひどいの「内科」に行って「抗生剤」を貰ったが

つらいので「耳鼻咽喉科」処置してもらいいくらか楽になったが

まだ、のどの痛みが残っていると言うことであった。

 

これは、「脳戸(後項上部)斜刺の置鍼でOK。すっかり痛みは取れた

次回、「快浅刺5本鍼」の結果が楽しみである。

 

 


鍼灸業界の健保問題取り組みの歴史を検討する・・・6

2013年09月23日 | 鍼灸健保問題

鍼灸健保問題は、「柔道整復師団体同様」の健保体制をモデル

国との「団体協定」を締結することを目標にしてスターとした。

 

柔道整復師のようにすっきりした「一団体」と異なり

鍼灸師には、複雑な「業界事情」がある。

 

行政側は、そこをついて「難題」を突きつけてきたといえる。

それに振り回された運動であった。

 

「第2内示」対応不調のまま、問題は

業界内部が混乱した。

「全鍼連」の法人申請が業界に波紋を起こしたのである。

業界団体としては、「業界の再編成」をはかり

「協定団体」の調整をめざし「健保協定」を推進しようとしたが、

全国・地方の各団体の意見がかみ合わず、

結局、昭和59年6月、

業界最大の懸案である健保問題の解決を図る大目的を実現する

全国組織として発足した日保連は解散した。

 

その後、12月に

日保連解散後の協調体制として、「健保推進協議会」が、

日鍼会、全鍼師会、日マ会、日盲連の4団体から

団体長を含む3名によって構成されることになった。

 

日保連の悲願を継承し

「協定推進」の協議をおこなうことになったが、

各団体の意見調整ははかどらず

協調は十分ではなく適当な方策は見出せないまま

全業界統一の健保運動は後退した。

 

日鍼会は、「協定問題」を基本としながら一歩引き、

最大関心事である「同意書」問題に重点を移し、

昭和60年5月から「資金カンパ」をし

「特別運動」を強力に展開した。

 

 

 

 

 

 

 

 


臨床的全科医として・・・・・②-c

2013年09月20日 | 最近の治療体験から

kMさんは、今日も続けて来診。5回目である。

「発汗」「足指のしびれ」「肩こり」すべてほとんどよくなっている。

 

面白い話。

KNさんは、治療が終わると、

『30歳の時、スキーで右下肢を複雑骨折し、それが、直っても

右足首外側の踝の下部が、しばらく痛み、自然に治っていたが、

ここ数年、また朝起きて、床から立つ時に、その同じところが痛み出した。

かかりつけの「整形外科」に相談したら、

患部のX線をとり、「何ともない、古傷が痛む」ことは「よくあることだ」と、

電気をかけ温めてくれたが、全然不変だったので、やめてしまっている。

そのうち、これも私に治療してもらおうかと思っている。』というので、

 

今立ってごらん、と言って立ってみてもらったら

「全然痛くない!」と叫んだ。

 

それは、「足先のしびれと同じ、腰(神経根L5~S1)から来る痛みで、

「腰のハリ」が効いたのだと説明した。

 

これで、KMさんも、しばらく治療が抜けるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


臨床的全科医として・・・・・②-b

2013年09月19日 | 最近の治療体験から

KMさんは、今日も来診。

昨日初めて治療した、6年来の「足指のしびれは全く気にならなくなったそうである。

しかし、「はれぼったい感じ」に変わったらしい。

昨日の、「神経根レベルL5~S1」を調べると、昨日ほどではないが

「圧痛」が残っていた。そこに

「快浅刺・置鍼」をしたら、足の感じは変わったとのこと。

 

本命の「首から上の発汗」は、ほんのわずかにあり、一時夜間に目が覚めたが、

すぐ寝つき、朝まで眠れた。まだ「陰谷」反応は、少し圧痛があった。

 

頚部から肩のコリが、若干取れた感じだが、しつこい。

これは、9年前の「交通事故」の後遺症のようである。今でも

「整形外科」に時々かかっているそうである。

 

「慣れ」ができているらしく、本人は、今はそれほど苦痛は訴えてないが、

これから、もっと積極的に取り組もう。

 

次回に、「鍼術秘要」坂井梅軒のやり方に挑戦しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 


臨床的全科医として・・・・・②-a

2013年09月18日 | 最近の治療体験から

ここ数日、

平成10年から「不眠症」「腰痛」「肩こり」などで、10年くらい通院し中断していた

隣の市に住むK・Mさんが5年ぶりで来診している。

 

最近、首から上に発汗がひどく、そのため目が覚めて熟睡できない。

そして、腰が痛くはないが 重い感じで、肩こりとあわせて、体全体に「疲れ感」がある。

ということで、かかりつけの「内科」で治療を続けているが好転せず、

しばらく忘れていた「鍼」を突然思い出して、来てみたというのである。

 

脈は明確な「腎虚証」で、治療は、列欠ー照海の置鍼で脈を整え、

副腎のツボと下肢の膝裏の陰谷「快浅刺鍼」を置いた。

12~3分で、「発汗」が収まり、体の疲れ感もなくなった。

 

その翌日、治療に来られたが、

「汗で目が覚めることはなかった」ということであった。

そして、前日には触れなかった6年来の愁訴を話してくれた。

 

6年前のある日、原因不明だが両足の指が全部しびれてしまい、

不快でどうしようもなくなり、

大学病院の「神経内科」の診察を受けたところ

「腰から来る」といわれ、「ビタミンB12]を投与されたが、不変。

 

それで、近所の「整形外科」に行ったら「腰は何ともない」といわれ、

足のしびれは、「血液循環不良」のためといわれ、治療は「通電」と

血液循環改善の服薬を今も続けているそうである。

 

これは、当然「腰」の問題である。

両腰の「神経根レベル」のL5,S1間に明白な強度な「圧痛」があり、

そこに「快浅刺・置鍼」をしたら、数分で「しびれ」は消失した。

鍼を抜くと、「圧痛」はかなり取れたが、まだ少し残っていた。

 

「しびれの自覚」はなくても、まだ完治してないから、

鍼治療を継続するよう指示した。

 

次回が楽しみである。

 

 

 

 


「健保推進運動」に展望を!

2013年09月12日 | 鍼灸健保問題

患者を中心にした「百万人署名」が進行している。

「患者の治療選択の自由」を掲げ

「受療権の侵害」をただし「基本的人権の確立」を求める

この請願行動は、根本的に重要な視点に立ったものであると思う。

 

また、業界でも「一部負担金でかかれる制度」について

「国会議員や厚生労働省と、25年度1年以内を目途に結論出す約束をした」

ことを推進する、ということである。

 

しかし、患者側にも、業者側にも

健保問題を現状の問題点を曖昧にしたままで

目先の「かかりやすさ」ですましてしまうこれまでの運動の

延長に過ぎない懸念がある。

 

健保問題の根底には

現在の「医療制度」にある、現状につながる歴史的な歪みの重みを

明確に抉り出した上での根源的な変革を要する問題点がある。

 

この根源的な変革のスタートが

「鍼灸医師制度」と「手技療法師制度」の確立であり

これを土台にした「健康保険法」の改正である。

 

そして

患者の健康を守り維持できる

医療技術の評価を正当に評価できる「医療・保険制度」

への変革をめざす必要がある。

 

資格者の「医療行為」を

健保法上の「指定医療機関」として位置づけずに不当に排除し、

「療養の給付」とせず「療養費」に固定したままで、

目先の「かかりやすさ」を求めることで

超法的なごまかし(療養費委任払い)によって解決しようとして来た

これまでの業界中心の運動のあり方は明確に誤りである。

 

この重要な観点を確立せずに進める運動では

未来の展望を切り開くことはできない!

 

 

 


鍼灸業界の健保問題取り組みの歴史を検討する・・・5

2013年09月11日 | 鍼灸健保問題

厚生省の第一次内示に対する業界からの回答と協定要請について

昭和55年5月「第二次内示」があった。

 

「療養費の支払いに関する団体協定」について

1、協定の内容

 (協定を締結する場合の必要事項について7項目の内容が示された)

2、施術者等に対する平等の原則の確立

 (協定を締結したことにより一部の保険者、被保険者、施術者が不利益な扱いを

 受けるものではあってはならず、すべてについて公平でなければならない、

 として5項目が示された。)

3、協定の当事者となる団体は、地方、中央とも法人格を有する一団体とし、

 かつ中央の団体は地方の団体を指導監督できることが確立されていること

 (業界が示した実施体制では問題があるので、具体的にどう考えて整理するのか

 が問われた。) 

以上の内示では

団体協定について契約以前にしなければならない条件が示され、

1月に提出した業界体制は複雑すぎるので、もっと指導監督がしやすいように

改善を求められたものである。

ところが、複雑で宿命的な業界の体質は、直ちに対応できるものでなく

5月に、日保連中央委員会、6月に日保連総会が開催されたが

第二次内示の直接回答となるような対応策を出すに至らなかった。

 


健保問題は、

患者不在の官僚追従と業界の指導権争いの歴史

としてスタートしたのである。

 


臨床的全科医として・・・・・①-c

2013年09月09日 | 最近の治療体験から

先日(9月7日)の治療で

患者(FY)の右舌の違和感(苦味)がほとんど消えた!

 

いつもの治療は

手根・足根針(手・足首で全身の症状を治療する鍼法)の「手上1部」だけの

置鍼であったが、

今回は、「古典」の「経絡説」に基づき、口は胆経の症状であるから

右下肢の胆経・陽陵泉を加えてみたのである。

 

「陰陽五行説」では

舌と苦は「心臓」と関連ある「5官」であり「5味」である。

そして「経脈」では、「上1部」は心経の要の経穴部である。

 

さて、この結果はどうであろう。

いつもは、「楽になった」とは言っていたが

「ほとんどなくなった」とは言わなかった!

 

今回は、明らかに違いがある。

「持続性」が楽しみである。

 

ところで

「陰陽五行説」にはいろいろな評価がある。

鍼灸学を支える古代学説である「経絡学説」と

その思想的土台である、「陰陽五行説」を

絶対的真理として固定的に考える「古典派」から

前面否定的に考える超「科学派」(現代医学盲従派?)までさまざまである。


私は、これらを、「優れた経験的原初的唯物弁証法的思考

結実として有効な作業仮説」として考えて

「古典」を拠り所に新しい道を求める「科学派」である


私は

「経絡学説」と「陰陽五行説」は

鍼灸学」を真の「学問」として確立する

第一段階の「現象論的段階」の理論として、重要な位置づけをもつと思う。

ここを踏まえて

第二段階の「実体論的段階」への「方法的探求」が今の段階である。

「鍼灸学の確立」はそれを通過した上での

「本質論的段階」へいたって

「学問としてのスタート」を切れると思う。

それが「鍼灸学の出発」だ!





 

 

 

 

 


臨床的全科医として・・・・・①-b

2013年09月04日 | 最近の治療体験から

この患者(FY)は、半年ぐらい前から、舌の右半分の苦いような「違和感」を訴え始めた。

「味覚異常」でもないらしい。常に気になり「イライラするようだ。

 

「口腔外科」へ何度か行ったが、明確な診断はなく、

治療も何か投薬されたが効果がなかったと、相談された。

 

それ以前に、口を開くときの顎の痛みを治療したことがあった。

このときは、口腔外科で「顎関節症」と診断されたが、

やはり、結局は②~3回の鍼で完治した。

 

今回は、鍼をすると確かに違和感は軽減するが、完治しない。

いつも、来院するたびに前よりいいが、残っている・・・・・というのである。

 

「口が苦い」というのは、古典では「胆経の症状」とされているので

胆経の右陽稜泉に置鍼してみたが、著しい効果は感じられなかった。

それで「腕踝鍼」を試みた。「上1」部に置鍼してみると

舌の苦味がほとんど取れたと本人が喜んで言った。

 

しかし、次回の治療開始時には、いつも「前よりはいいが少し残っている」と

いつも同じ訴えである!

 

これから、再度「これに胆経の治療を加えたみよう」と考えている。

 

 


臨床的全科医として・・・・・①-a

2013年09月03日 | 最近の治療体験から

平成18年ころから、継続して治療している

現在35歳の女性の経緯について考えてみる。

 

この患者は、母親の勧めで来院した。

母親は35年前に「不妊症」を治療した。

「お前は、鍼でようやく生まれた子だから、鍼で面倒見てもらえ」と言われて

恐る恐る治療に来たのである。

 

家業の事務をしていて「パソコン」に向かいきりの仕事である。

首・肩がこり、腰も痛いということであった。勿論、目も疲れる

「整形外科」「眼科領域」の治療で始った。

 

これは、簡単に楽になり、すっかり鍼が気に入ってしまった。

当然楽になっても「職業起因性」の疲労が主要な原因なので、完治はしていない。

 

健康管理もかねて、毎週治療に通い始めた。

それから、ギターの練習で腱鞘炎になり、治療を続けている。

 

もともと、消化系が弱いと「内科」にもかかっている。

この先生は、かかりつけ医であり、

「腰痛症」の健保用の「同意書」を書いて戴いている。

 

 

 

 


鍼灸業界の健保問題取り組みの歴史を検討する・・・4

2013年09月02日 | 鍼灸健保問題

昭和55年1月、第1次内示の問い合わせは

1 日鍼会、全鍼連、日盲連、日保連、ブロック代表県、などの規約・定款、会員数、会費制度

  業界の実態など6項目

2 全鍼連法人化、日盲連単独協定問題などへの業界内の処理、

  3団体以外の団体が出た場合の対応、中央・地方を一貫した組織として総括指導する構想な

  ど組織上の問題点の6項目

の12項目についてであった。

 

これについて再三担当委員が会合して、

当局の意向に対応した現状として業界がなしうる最大限の回答文を作成し、

日保連中央委員会で更に内容を検討し正式文書を

厚生省保険局医療課へ提出した。

 

そして2月、

日保連全国代表者会議を開催,回答どおりの「協定対応体制」の完全実施を

図った。

私も地方代表として参加した。

このときは運動が大きく前進できる展望が開けたと思えた。

 

 

 


鍼灸業界の健保問題取り組みの歴史を検討する・・・3

2013年09月01日 | 鍼灸健保問題

私の健保取り組み開始後、

数年間は年に数回県との交渉を重ねたがほとんど進展はなかった。

 

昭和49年4月に、日本鍼灸師会総会席上で、顧問の丸茂重貞参議院議員が

鍼灸等の保険取り扱いの支障を打開するため

「同意事務の簡素化」

「医療との併用給付」

「知事との団体契約」

の3項目の実施に尽力するとのメッセージを発表された。

 

この「丸茂公約」は、業界に希望の光を与えた。

業界中央組織は、「丸茂公約」に応える体制整備に取り掛かり

「全国連合組織構想」を立て、

昭和50年12月、「日保連」を設立し、強力な運動を開始した。

 

日保連は「公約3項目」の同時推進は「困難」との判断から、

まず基本となる「健保団体協定の実現」を重点に進めた。

しかし、「協定」をめぐって厚生省が慎重になり、運動は進まず、

中央の役員たちは苦労したようである。

 

役員たちの熱意は、昭和52年2月に、国会内で、

丸茂議員、三浦厚生省保険局長、木下日鍼会長、永井全鍼連会長の

四者会談が開かれ

「協定締結の対応方針」が約束された。

 

これで当時の時点での運動は順調に進むように思えた。

しかし、この問題は「組織再編」の問題が絡み、

全鍼連総会でこの「対応方針」は否決され実現できなくなった。

 

このままでは運動は進まないので、昭和52年11月、日保連中央委員会で

日鍼会を名義団体とする「健保協定推進に関する決定事項」を

新しい方針として、地方名義団体の整備を進めることになった。

 

全鍼連の「法人化」問題の煽りを受け、全国的に一時保険問題は停滞したが

中央、地方の努力が続けられ

わが県も、「県保連」の結成にこぎつけた。

そして、全国の契約名義団体がまとまり、昭和54年8月、保険局医療課に

協定締結を要望した。

 

しかし、医療課では、

対応組織のあり方に難色を示し、同年12月、第一次内示として

業界事情の資料提出と問題点の回答を求めた。