S24年生まれの「T・K」さんは
誕生時のウイールス感染で完全失明した女性です。
彼女は、クリスチャンで、努力家、理論派で、学問好き。
栃木県で初めて、
東京の「4年制の私立大学・英文学科」を卒業した、俊英でした。
大学卒業後、市の消防センターに「電話交換手」として働いていました。
44歳の時、盲人マッサージ師である彼女の友人のすすめで
私の治療を受けにきました。
「右肩」の「激痛」と「左腰」の痛みを訴えていました。
それ以来、痛みが出たり、治ったりを何度か繰り返し
時には
2~3年の空白を置きながら
何年も通っていました。
そして、平成21年5月に
3年ぶりに突然、全身がだるくて仕方がないと
治療に来られ、他人事のように、
「源発の肺癌が全身に転移してしまった・・・」と
ぼそりと一言いって帰り
その後、治療には来ませんでした。
気にはなっていましたが、そのまま過ぎてしまい
丁度、1年後の昨年5月23日に
「悪心があり、気持ちが悪い」と言って突然治療に来ました。
私が「手首(内関)と足(公孫)」に鍼を浅く刺しておいたら
微弱で、殆ど触れた手に感じなかった脈が、
力強くなり「スッキリした・・・・」と帰っていきました。
それから、10日前後して、
いつも彼女を「治療」に連れてきてくれていた「消防の上司」から
彼女が「亡くなった」と知らされました!
そして、
つい先日しばらくぶりで治療に来た元上司が
『Kさんは、私の”最後の治療”を受けた翌日、
「予定していた北海道旅行」に出かけ、
念願の旭川動物園に行き、そこで「急変」し
車で動物園から自宅まで送られ、その一週間後に亡くなり
最後まで意識明晰で、鍼をしてもらい旭川に行けたことを喜んでいました・・・』と
話してくれました。
心から、kさんのご冥福を祈ります。
誕生時のウイールス感染で完全失明した女性です。
彼女は、クリスチャンで、努力家、理論派で、学問好き。
栃木県で初めて、
東京の「4年制の私立大学・英文学科」を卒業した、俊英でした。
大学卒業後、市の消防センターに「電話交換手」として働いていました。
44歳の時、盲人マッサージ師である彼女の友人のすすめで
私の治療を受けにきました。
「右肩」の「激痛」と「左腰」の痛みを訴えていました。
それ以来、痛みが出たり、治ったりを何度か繰り返し
時には
2~3年の空白を置きながら
何年も通っていました。
そして、平成21年5月に
3年ぶりに突然、全身がだるくて仕方がないと
治療に来られ、他人事のように、
「源発の肺癌が全身に転移してしまった・・・」と
ぼそりと一言いって帰り
その後、治療には来ませんでした。
気にはなっていましたが、そのまま過ぎてしまい
丁度、1年後の昨年5月23日に
「悪心があり、気持ちが悪い」と言って突然治療に来ました。
私が「手首(内関)と足(公孫)」に鍼を浅く刺しておいたら
微弱で、殆ど触れた手に感じなかった脈が、
力強くなり「スッキリした・・・・」と帰っていきました。
それから、10日前後して、
いつも彼女を「治療」に連れてきてくれていた「消防の上司」から
彼女が「亡くなった」と知らされました!
そして、
つい先日しばらくぶりで治療に来た元上司が
『Kさんは、私の”最後の治療”を受けた翌日、
「予定していた北海道旅行」に出かけ、
念願の旭川動物園に行き、そこで「急変」し
車で動物園から自宅まで送られ、その一週間後に亡くなり
最後まで意識明晰で、鍼をしてもらい旭川に行けたことを喜んでいました・・・』と
話してくれました。
心から、kさんのご冥福を祈ります。