チャレンジ鍼灸師82歳:今、新しい医学・医療創造の志に燃えて生きる!

青春時代の社会変革活動の挫折をのりこえ、鍼灸の道へ。

パニック障害もハリはよく効きます!

2011年05月30日 | 最近の治療体験から
今二人の「パニック障害」と診断された患者を治療し
ています。

一人は35歳の女性で
「突然の呼吸困難と不安感」で救急治療を受け、

「パニック障害」と診断され神経内科で2ヶ月の治療を受け
あまりはかばかしくないとハリの治療を始めました。

もう一人は25歳の男性で、
2年前から「過呼吸と胃痛」があり、
「胃の症状が起こると自傷行為」に走る・・・・

二人とも
数回のただ3~4本のハリをしただけで
改善されています。

決め手は「内関」という手首の内側の「ツボ」です。

そんな患者さんがいらっしゃったら
一度「鍼灸治療」をお試しください。



「パニック障害」とはなに?  ↓ ↓
http://www.fuanclinic.com/byouki/a_01.htm



チャレンジ鍼灸師の歩み・・・③

2011年05月28日 | 私の歩み
忘れ得ぬ「初めての1本の鍼」

そこで働きながら、「鍼灸学校」へ通うと決め、右翼先生の「指圧治療所」に落ち着いたその日に、「ギックリ腰」で動けないから「治療」に来てほしいと電話があり、私が行くことになった。

着いてみるとかなりの重症で、「鍼」をしてほしいといわれ、私は、出来ないので明日先生を寄越しますと、軽くあん摩をして帰り、先生にその旨を話した。

すると、先生は
私に明日も行けと言い、これから「特訓」すると、全然私の「鍼に触ったこともないのに無理だ」という言い分を聞こうともしない!

それで、仕方なく一晩かかって、鍼を「管」に入れる方法を学び、果物缶詰の空き缶に炒った糠を詰めた鍼の練習台で刺し方を覚えた。

翌日、昨日できないと言った私が鍼をするというので、患者は訝りながらうつ伏せになった。

下手な挿管の「手つき」を見られないためだったが、刺そうとして一瞬あれっと思った。

刺すことばかり教えてもらい、どこにどう刺すかは全然教えて貰わなかった!
脂汗をかきながら、必死であちこち指圧していたら、「痛い」と身をよじるように叫んだ。

しめた、とたどたどしい手つきで挿管し、恐る恐る管を立て、ポンポンと頭を叩き、管をはずした。そして、さらに深く刺そうとした瞬間、「うーん」と唸るような声を出し、「気持ちいい」と言った。

それで、鍼を抜くと、
患者はすぐに起き上がって「治った」と嬉しそうに叫んだ!

これが私の、生まれて初めて人に鍼を刺した「忘れえぬ」体験であった。
この初体験が、私の「鍼の威力」への確信の土台となっている。

これは、帰って勉強したら「陽関」という腰痛にはよく使われる「つぼ」のひとつだった。

しかし、もし、あの時いろいろと本で勉強していたり、いくつかの「つぼ」を知っていたら、あんなに見事には行かなかったと思う。

あん摩の先生から学んだ「患者の身体から学ぶ」ことの大切さを身をもって知った私の「鍼灸医学」へ旅たちであった。


チャレンジ鍼灸師の歩み・・・②

2011年05月28日 | 私の歩み
住み込みあん摩から学んだこと

「住み込みあん摩」は全く未知の世界であった。

先ず、住み込んだその日の夜、住み込みの先輩たちからあん摩の「手ほどき」を受け、次の日は早速「仕事」に出された。
当然、電話で「あんな素人みたいの寄越すな」と怒鳴り込まれた。
それでも、毎日仕事をさせられた。

無資格の違法行為であり、こんなことは、今日では想像もできないが当時は、当たり前のように行われていた。

しかし、私は悔しさを「バネ」に成長できた。
私は「全くの新米であり、志をもって盲人の先生に学んでいる」ことを率直にお客に告げて、お客の身体自身に学ばせてほしいとお願いしながら、毎日10人以上から教えていただいた!

3ヶ月も過ぎると、「指名」を受けるようになり、いささか自信もついてきた。

しかし、先生は、全く鍼の治療を見せてくれなかった。
私は「鍼灸」を学びたいのだ。毎日10人以上のあん摩をして疲れていても、志を忘れまいと「鍼灸の本」を読んでいると、「今、本を読んでも意味がない、あん摩の実践の数を増やすことだけ考えろ」と叱られ、本を片付けさせられた!

半年も経ち「鍼灸学校」入学の日が近づくと、心がはやって来て、「鍼」をみせても触らせてもくれない先生に嫌気がでてきた。

そんな時、住み込みの同僚から、元教育者で「指圧治療所」を開きながら、鍼灸学校で学んでいるという彼の同級生を紹介された。

右翼思想の持ち主だそうだが、鍼灸への志で意気投合し、恩義を受けた先生一家の温情を振り切って、「夜逃げ」同然の状態で、新たな修行の場へ移った。

この最初の身を削るような思いで「按摩」を学んだことが、「新しい場」で本当に役に立つことになり、「鍼灸医学」を学ぶとは何であるかをしっかりと教えてくれた。

チャレンジ鍼灸師の歩み・・・①

2011年05月28日 | 私の歩み
私は、何故鍼灸師になった

私が鍼灸師に志した44~5年前、第2次世界大戦の傷跡も癒えず、思想の混乱も激しく、また新たな戦火の危機もくすぶりを感じさせていた。

私は物理学徒として上京し、皇居前でのメーデー事件に遭遇し、学業放棄して、青春の情熱を社会変革運動に燃やし、挫折した。
医学への志を実現する事で学業復帰をはかろうと、医学コースへの再受験に挑戦したが果たせず、10年あまりを20くらいの仕事を転々とし、夢を追い続けた。

しかし28歳の時、生保外務の仕事をしていた母の勧めもあり、セールスマンとして転身すべく、帰郷した。

漢方医の木村左京先生,興野鍼灸師との出会いは、衝撃であった。諦めていた医学への情熱が、現代医学とは全く異なった生命観に基づいて築かれた鍼灸医学に触れ、再燃した。

しかも、当時は全くその価値は評価されておらず、募集人数に満たぬ鍼灸学校には誰でも入学できた。

私は、再び、新たな人生目標に挑戦すべく上京した。あんま治療所に、住み込み、手ほどきを受けながら生活し、入学に備えた。

自分が患者になった!

2011年05月28日 | 最近の治療体験から
これは一昨年夏の私の体験です!
鍼灸師の自分が患者になってみて
大変勉強になりました。
ある朝、起きようとしたら
突然の「左下肢の激痛」に襲われました。
動くと腰は全く痛まずに、下肢だけが痛むのです。
こんな激しい痛みは「生まれて初めて」でした!
勿論、
私はこれは「腰からの痛み」と分かっていますから
枕もとに置いているハリを1本、浅く自分で腰に刺して
いくらか激痛がやわらいでから、
階段を降りてきました。
その日なんとか、仕事が終わってから
近くの「大繁盛の整形外科へ行きました。
そこでは
腰と下肢のX線を摂っただけ・・・・・
「腰椎の第4~5椎間が1センチくらいずれている」
「下肢は異常なし」と言うことでした。

治療は、自分できるので何もしませんでした。
3~4日の自己治療で、
下肢の痛みは全くなくなったのにうまく歩けないのです。
自分では
痛みで歩けない
思い込んでいたので
何か別の原因があると考え、
かかりつけの内科の先生に相談したら
「すぐに大学病院の救急外来へいけ」といわれ
先生が大学に連絡を取って下さいました。
大学では、
整形外科と神経内科の先生が二人で
頭から足まで、X線撮影・反射テストをふくめ
全身の診察をして下さいました。
結果は
「腰椎は全然異常なし」


足を重ねて熟睡してしまったための
「腓骨神経麻痺」と分かり
「ビタミンB12」を投与されただけでした。
大繁盛の整形外科では「初歩的なテスト」も「歩行観察」も
全然しませんでした。
私も
「痛み」だけが気になり
勉強した「基礎知識」もすっかり忘れ
「初歩的テスト」もしなかったことを反省しました。
それと
「下肢の痛み」の有無による
「腰椎のX線画像」の明確な違い
の意味も考えさせられました。