湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

雨のシールド

2018-06-11 15:29:53 | ポエム
スマホの小さなスピーカー
その位置に
耳を当てて目を閉じてみる


音と一緒に
押し出されて来る息遣い


そこから
広がる景色は
きっと誰も知らない
私だけの世界


もう
何度聞いただろう


もう
何度キュンとしただろう


今日は
一日中雨模様


雨の流れていく音がする


シールドに阻まれた部屋は
私だけのバリアが張りめぐされている


思いも音もため息も
全て私だけのものだって思えるから


ただ一人
好きなようにさせて




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網膜色素変性症の母

2018-06-11 10:16:02 | 日記
5年前に違うのSNSで書いたものが上がってきた。

まだ、両親がなんとか元気だった頃のこと。
しかし、この時、母はすでに、96%の視野がなくなり、1人では出歩けない状況だった。

『今あるものを、できることを数えよう。
できないことを数えるのはやめよう。』

そう言い続けていた私。
本当に、2人が、できることだけを数えられるようになったのは、あの世に逝く少し前だった。
いや、逝く前にしか、数えられなかったってこと。

その2人を見送ってから、かれこれ半年。
少しづつ落ち着いてきてる私だけれど
母の病気は、遺伝する。
100%じゃないけれど。
罹患したら、もう確率なんて関係ない。


私もあとどのくらいだろうと
ふと思ったら、美しいものをできるだけ見ておきたいと思った。



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《2013/6/11に書いたもの》

両手をグーにして少し穴が見えるように
ゆ~るく開いて
望遠鏡のように両目に当ててみてください!!

それが、今のウチの母の目の視野範囲。。。
見たいところをピンスポットのようには見るには
神経を使って体と首を動かして凝視するしかない。
増して片耳の聴力がほとんどない。
足元も見えない。
真横に立っても気がつかない。
狭い隙間に入って通り過ぎていくものを瞬時に見極めるゲームのような世界。

人の視野ってものは本当に生きていくのに便利になっている。
一部の視界に入ったものでさえ捉えられれば
そこを見てなくても回避したり注意したりできるように人の体は作られている。
とてもとても有難い機能が備わっている。



昨日、母親を連れて
少し離れた病院へ行って視野の検査。
もとより、視野が狭くなる病気を患っていて
原因がわからないから治す薬もない。
ただ、進行を見守るだけ。
明日にはもう、両目に蓋が降りるかもしれないという病。

最近になって、私を呼ぶ時、
いやに首を左右に動かす仕草が増えたので
これはいけないと思い眼科へとやってきたのは一ヶ月前。
診療時間の半分を自分の『いかに素晴らしい医者様にかかったか』を
演説のたまう大嫌いなタイプの先生に耐えながら
やっと、昨日、検査までたどり着いた。

視野狭窄が進んでいるとは思っていても実際は親とて他人の目である。
私には想像をフル回転で思いはせることしかなくてここまできたが
昨日、検査が終わった時に
検査の方から呼ばれて
『どれほど、視野が狭いか体験されていかれませんか?』と。
是非、お願いしますとメガネに付けられた黒い筒状のもの。
まさか、こんな小さな穴!!
怖々つけて見ると
ほんの・・・ほんの小さな世界。。。。
母はこんな小さな世界で日々生活していたんだ!!
どれほど怖かったことか!!
そう思った瞬間から、次から次へと溢れ出す涙。。。


日常の生活の中で
気をつけなきゃいけないと思うことは
できうる限りやってきたと思っていたけれど
まだまだ、甘かったんだと突きつけられた瞬間だった。

しかし、まだ、見えてる。
少し紗がかかったように曇っているらしいが
なんとか見えている。
それだけが今の救いである。
無いものを嘆くより、今あるものを生かそう~よと、
母本人にも、自分自身にも
言いながら、頷きながら。。。。悲しみを飲み込んだ。





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雨粒のジュエリー

2018-06-11 08:34:10 | ポエム
雨が降り続いて
肌寒い

半袖のシャツからはみ出た腕を
もう片方の腕で抱くように温めた

やせ我慢はやめて
何かしら羽織るものを探そう



玄関のドアを開けて
雨の空を見上げたら
キラキラ光るものを見つけた


いつのまにか
編み上げられたジュエリー
雨粒のジュエリー


しなやかに
たわんでも
ひかりを放つ


自然の営みは
粛々と続けられいくんだよと
教えてくれているように


人を愛し
人を見送り
人を泣かす
なのに
愛することをやめない


半年前の今日の出来事も
人生の流れの
営みの中のひとつだけど


こうして
終えた月日を
数えてしまうこと
やめないのは
人としての悲しい特権


雨粒のジュエリーは
作れないけれど


重ねた月日は
まるでジュエリーそのものだよ







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