湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

映画『星に願いを。』竹内結子

2020-09-27 15:17:00 | コラム
看護師 奏(かな)竹内結子さん

盲目の青年 笙吾(しょうご)吉沢悠さん

2003年の日本映画
『星に願いを。』

1999年香港映画
『星願 あなたにもういちど』のリメイクとして、北海道 函館にて撮られた映画。
当時は、ミニシアター系にて
放映されたため、それほど広く広報されなかったのかもしれない。

私が、この中のハーモニカ(クロマチックハーモニカ)と言う音に
魅せられなければ、この映画とも出会えなかったかもしれない。



ある日、盲目となってしまった吉沢悠こと、笙吾(しょうご)
入院先の看護師だった、竹内結子こと、奏(かな)
2人のほんの数日の物語

ハーモニカが得意な笙吾
その日も夜の河岸で
ハーモニカを吹いていた。

そのハーモニカを道路に落としてしまい、交通事故にあって命を落としてしまう。

病院で笙吾と対面する奏。

泣き崩れ
初めて自分の恋心を知る。

笙吾は数日間
天国へ行くのを猶予される。
しかし、自分の姿はそのままに
相手に気づかれず、思いを告げることが条件。
笙吾は、躍起になる。

奏にわかってもらいたくて
あの手この手

自暴自棄の奏は
誰の言葉にも耳を貸さず
憂鬱な日々を過ごしていた。

しかし、チャンスは訪れる。
奇跡とはそういったもの。

再び、笙吾と奏は出会えた。

しかし、残された時間はわずか。
互いの気持ちを確かめただけ。

この世にいるはずもない人と
再び会えた喜びは一瞬で
気持ちを交わし、唇を交わしただけで消えていく、、、、。

どんなに叫んでも
どんなに、嗚咽しても
その真実からは逃れられないことを思い知る。

それが
人の死というものだ。

どんな状況であれ
再び戻ることはない。

昨日まで笑っていたものが
今日は、もう、その笑顔さえ見れない。

どれだけ星に願っても、、、、。

しかし、
願わずにはいられないのも
人と言うものだろう。

もう一度、あなたの笑顔に会いたいよ。

竹内結子さん
大好きな女優さんでした。

謹んでご冥福をお祈りします。






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Dear Frankie(ディア フランキー)ネタバレあり

2020-09-12 13:47:00 | コラム
父の暴力により聴覚障害となってしまった9歳の男児 フランキー


夫のその暴力が許せなくて
自分の母親と聴覚障害の息子を連れて引越しを続けているフランキーのママのリジー

リジーのママであり、
フランキーの祖母のネル

フランキーは、自分が幼いころ
父からうけた家庭内暴力のために
聴覚を失ったことは知らないで育っていた。

フランキーのママは
愛する息子のために
『パパは、ACCRA号と言う船に乗っているから航海が終わるまで帰ってこないのよ』と嘘を言いつづけ

息子のフランキーは、健気にも
パパ宛の手紙を私書箱に出している。


フランキーのママ、リジーは
こっそり私書箱にその手紙を取りに行き、フランキーへ返事を書いていた。


こんなことを続けていくのは
正しいのかどうか
迷いながら戸惑いながらでも
その息子の手紙には
パパへの気持ち、ママへの気持ち、
学校のことなどの本音が書かれていて
リジーは、物言わぬ息子を知る唯一の手がかりでもあった。


物語は
とあるイギリスの港町に引っ越しをするシーンから始まった。


冒頭部分には
沢山の情報が詰め込まれている。


ママと祖母との関係
夫への嫌悪感から逃げ回る3人の家族
つつましやかでも、愛情あふれる生活。


何回となく引っ越しを繰り返しているから
その先々で、新しい友達を作っていかなければならないフランキーは、
ある意味、諦めと葛藤の中にいたが
唯一、パパとの手紙の交流で育まれた素直さと健気さが
より周りにいる者達を温かく巻き込んでゆく。


ある日、
パパが乗っている船がその港に着くことを知る。


フランキーは思う。
会えないだろうか
息子の自分とは会いたくないかもしれないと言う思い。
今まで一度たりとも
会ってはいない。
写真さえ無い。


息子の気持ちを知るリジーは、
なんとか一日だけでも
パパの身代わりとなる人を雇い、
息子のために思い出を作ってあげたかった。


しかし、自分は、女である。
女を欲しがる男には要はない。
自分は商売女ではないのだから。
街をうろつき、探し回るが、
息子のパパになってくれそうな人は見つけることが出来なかった。


途方に暮れるリジー。


声をかけ、相談に乗ってくれたのは、
この街で親友になったマリーだった。


リジーは言う
『過去も未来もない男性が必要なの』

マリーは、1人の男性を紹介してくれた。

革のジャケットを着て
朴訥と話す男

名前、素性すら聞かない約束で
謝礼を二回に分けて渡すからと
フランキーのパパ役をやってもらうことにした。


映画の役柄名は
stranger(知らない人)


ジェラルドバトラーが、イカツイ風貌ながらも、眼差しと間合いで、
イギリスの高倉健を思わせ、
圧倒的な大きな愛を示しつつ
フランキーの父親を演じ切る

フランキーは父親が大好きになり
離れ難くも幸せな時間が過ぎていく。
一日だけの約束が2日になり
そして、strangerである男は
息子であるフランキーとお別れをいい
フランキーのママであるリジーに
最後のお別れを言う。


長い間、リジーと男は見つめあい
顔が近くほどに互いの気持ちを確かめていくように
やがて、キスをする。
激しい口づけではない。
互いの気持ちを押し殺すように
そっと唇に触れただけのキスだった。



最初から、ビジネスとしての
契約であって、知らないままを希望し
選択した結果なのだから
深入りすることは出来ない。


しかし、そこには
ためらいながら
求め合いながら
別れゆく大人の2人


何か一言でも、、、と願うが何もない。

切なくももどかしい。

そして、
男はそこから去っていく。



リジーは
ドアを閉め、部屋に入り
切なさなのか、諦めなのか
自分の感情を鎮めるように
上を見ながら
いつものくせで
自分のジャケットに手をいれる


その中には
男に渡したはずの謝礼金が全て入っていた。


すぐのちに、
本当の夫の姉から連絡があり
夫が病気で幾ばくもない命
せめて、息子のフランキーに会わせて欲しいと言われたが
リジーは断固として会わさなかった。


しばらくして
夫は亡くなり
リジーも、フランキーに
パパは病気で亡くなったと告げた。



リジーが今まで密かにしてきた手紙のやり取りも、なくなったと
郵便局の私書箱に手続きに行くと
フランキーから一通の手紙が届いていた、、、、。

その中身とは、、、。




『悲しいことがあったんだー
僕の本当のパパは病気で死んだんだ
だけど、
今度、また、この港に船がついたら
僕に会いにきてー

親友のフランキーより』




イングランドの静かで
小さな港

湾にそって、荒涼な丘が見える

沢山のものがないから
みんなが寄り添って
自分達の、自分達なりの大切なものを大事にして、つつましやかに暮している風景


きらびやかなものは出てこない。
事件も、悲劇も喜劇もない


荒涼な台地ゆえに
淡々と過ぎゆく場所には
ささやかで、あたたかな日常達がある。

見終わった後には
フランキーの健気さゆえに
涙さえしてしまう。



ひとえに感動と言うのは
1人1人ちがうものだから
映画の評価というものは
全く当てにならないものだと
この映画を観てすごく思った。



抑えた演技のどこを焦点にして見るか。

大それた展開はないけれど
しかし、
この汚れないフランキーの健気さは胸を打つ。


相手(女)の子供を好きになった男は
その母親である女も好きになる、、と
どこかで聞いたことがある。


ジェラルドバトラーが演じたstranger
見知らぬ人は、
一体だれなのか、、、。
もう一度、現れることはないのか。


それをも、無視するように
エンディングが流れていく。


もどかしさがどこか物足りなさに変わる時
映画の中での
リジーとマリーのワンシーンの台詞に、少しの光を見出せる。


リジー『あなたが紹介してくれた人は、一体誰なの?』

マリー『私の弟よ』


何故か、救われるー
みんな救われていくようだー。


どうか
フランキーとリジーが
幸せになりますように。



















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母の痕跡

2020-09-09 09:23:00 | コラム
『ねえ、帰ってきてよ
お願いだから。
一生のお願いだから、ねぇ。
また、ちゃんと世話をするから
私は誰と時間を過ごたらいいの
一緒にお茶を飲みたいの
話がしたいの
だから、帰ってきてよー』


そう言いながら
目の前にいる母に
必死でお願いしていた。
必死すぎて泣いていた。


目の前の母は
誰かと一緒にいて困り顔

『そうやねー、難しいゎー
そうか、帰ってきてほしいかー
しゃーないなぁ、帰ろうか』

『ほんと?ほんとなん?
さ、帰ろう、帰ろうよ』


悲しい涙が、嬉しい涙に変わった


けれど泣き止もうとしても
どうしても、すぐには止められない
子供のように泣きじゃくっていた


ふと、自分の涙で目が覚めた


枕を濡らすとは
よく言ったもの
本当に濡れている


ひきつるように泣く自分を
別の自分が見ていて
抱きしめてやりたくなる


現実であってほしいと思うのと同時に
決して決して現実には起こり得ないこと。


覚めた自分と胸を熱くする自分に
しばらく泣き止むことはできなかった。



9月に入ってから
何故か母が恋しくて恋しくて
私の中の子供が母を求めてた


ご仏壇にある母の写真に向かって
『会いたいよ〜』と
涙ながらに
毎日、お仏壇に手をあわせてた



台風が九州を横断してしまおうかどうかの日


その夜の夢の中に
母の姿があったのに、、、。


あれから
家の中に
母の新しい痕跡を探してる


けれど、何にも見つからない


何一つ普段と変わりはしない
あまり前のことだけど。



母の痕跡は、
私が見た夢の中の姿だけ



父と母が並んだ写真に向かって


そちらで
幸せに暮らせてますか?


いつもいつも
何故か聞いてしまう


誰にどれだけ優しくしてもらおうとも
拭えない気持ち


時々、陥ってしまう

納得済みの中の寂しさ


まだまだ
時間が必要なんだと思わされてしまう。

















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嫌いと言う言葉

2020-09-08 17:23:00 | コラム
簡単に
『嫌いなの』と言う人がいる

相手は人でも食べ物でも
なんでもいい

ハッキリしていていい?

それを聞く人が気にしてなければね


食べてる途中で
『これ、嫌いなの』

人と会う前に
『あの人、嫌いなの』

食べてる『物』が、好きな人もいる

『あの人』が、好きな人もいる 


言えばその『好き』な気持ちを
侵害して
その場を凍らせているのと同じだと思う


言いたければ
自分の心の中で処理すれば良い



これは、好き?嫌い?

聞かれた時にだけ
ハッキリ言えばいい

聞いた方も、心づもりをして聞いてるはずだから。

 


『これは、苦手なの』

『あの人、苦手なの』


そう言うのは、
個人だけの苦手意識だと思われることが多いので
『嫌い』より、軽いニュアンスになると思う。


嫌いと言うと、その人やその物に問題があるような話に聞こえやすい。
もちろん、自分の主観のインパクトは強くなる


苦手と言うと
自分の方に問題があって
自分の主観の中での思いの中でだけのこと。
相手、もしくは物を尊重した上でのことに聞こえやすいと思う。




日本人は、ハッキリものを言わないと言われている。


個人よりも集団だと考えているから
その場の意味合いを曖昧にする。



それがいけないことか?

無理やり我慢しろとは言わない


左右を見て
上下を見て
しかるべき、選ぶ言語が
日本にはあるのだから、それを使うまでのこと。


私は
最初から
嫌いだと言い切る人が苦手なのかもしれない。


ただ、それだけなのかもしれない。

それこそ、私の主観の話である。


人は、嫌いだと思ったものは
そのまま、『一生嫌い』と
言うわけでも無いんだから。




ゴーヤのサラダ
はじめは、食べられなかった苦さのゴーヤ。
今では生でも大丈夫なぐらい好きになりました。













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コオロギ食とコオロギ73

2020-09-06 15:30:00 | コラム
9月に入っても
まだまだ蒸し暑さが残る。

台風が及ぼす湿った風なのかもしれないし
以前勢力強い太平洋高気圧による
海水温度上昇のせいかもしれない。

しかし、今年はどうやら
後世まで語り継ぐ出来事が
2つ3つ、
もうあるのだから、
ほかの被害やほかのウイルス騒ぎはもういらない。
話題は、溢れかえってしまっている。

とはいっても季節は進んでいく。

虫の鳴き声だって
夜になれば一際高く響いてくる。

と、、、、

どうやら、家の中で虫がいる❗️

数日前、
友達と長電話しているときだった。
チラッと見かけたコオロギくん

片手にはスマホを持ち、
バッテリー少なめのせいで
充電の線に繋がせたままで
お喋りしてるときに
わざとか?
こちらが手出しできないと思って
姿を現したのか?

充電器からの線を引き延ばしながら
体を傾けて
足を思い切りコオロギのいるほうに
伸ばしても、あと少し、、あと少し、、、で、届かない距離

あっと言う間に
コオロギくんは、部屋の隅に消えてった。

後から探しても見当たらず。

しかし、
階段下から鳴き声が聞こえてくる。

鳴き声で
夏の終わりを流暢に感じてる場合ではないが
階段下を見ても見当たらない。


けれどまだまだ、鳴き声はする。
そんな日が続いた。

今朝、テレビで
コオロギは、良いタンパク源になるとのこと。

コオロギの粉末は
エビの味がして、
良い出汁がでるのだと、、、。

実際、コオロギの粉末を使った煎餅がヒット商品になるかもしれないとの情報!






バッタの襲来、長雨による洪水
そしてコロナ
世界的に食料危機に晒されるのは
時間の問題かもしれない。

コオロギ、、

うーん、コオロギ、、。

コオロギの食べる餌を変えることによって
その味覚が変わることもあるらしい。

昆虫食か、、、。

昔から、食べている土地はある。
国においては、油であげたり。
いずれも、良いタンパク源らしい。

まさに、コオロギの恩恵

飼育は簡単?

いやいや、家にいるコオロギをなんとかしょうと言う訳じゃなく。

そんな食も
進んできてるらしいと言う話。


そういや、昨日は、
コオロギくんの鳴き声がしなかったなぁ〜。

食べられちゃうかもしれないと
家を出たかもしれないか、


どこかの隅でミイラ化しているか、、、、。


ああ、コオロギ

おお、コオロギ


そういえば
昔、コオロギ73というコーラスグループがいたっけ、、、、

切なさが連鎖してくるのも
秋の始まりなのか、、、(笑)











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