湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

坂道のクリスマス

2019-11-27 22:31:00 | コラム

ここのところ、ずっと
鉛色の蓋をされた空
あかね雲さえ見当たらない


今日は新月だから
月さえも探せないや


そんな、いつもの帰り道


丘と丘の隙間にある坂道が
アーチ型の橋を渡る途中で目に止まった


信号が緑
行きの車のテールライトが赤
向かってる車のヘッドライトが金色


そこの坂道の上からは
私の大好きな街の風景が見える場所


反対に
こちら側から見上げると
こんな風に見えるんだね


みょうに納得したりして
写真を撮りたくても
撮れないジレンマと戦いながら
アーチ型の橋を渡り切った


鉛色の夕暮れ時は
坂道がクリスマス


どこかに書いておこう


赤色が一度に増えたり
緑色が一瞬で無くなったり
金色は行ったり来たりを繰り返す


今まで気づきもしなかったこと


小さな町の
小さな坂道のマジックだ


ああ、
今年は
クリスマスが来て
やっと静かになるかな


って
この一年は
本当に早かったこと


ビュンビュンと音がなりそうな具合で
歩いていたかも


いやいや
ゴンゴン、ぐゎんぐゎん
いまだに、家の外壁を修理する音がする


まだまだ
これからこれから

次から次に繰り出されていくこと

みんなは、どうしてこなしているのだろう(笑)

まぁ、私は私のペースでいいよね











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お菓子の大量買い

2019-11-25 21:46:00 | コラム
今日から
台風16号の被害があった家の箇所の
修理と今回、東日本大震災時の
壁の亀裂修理をかねて
家を塗装しなおし
雨樋つけてもらう。

職人さんも忙しいようです。

雨漏りはしてなかったので
いつになっても構わなかったのは事実だけれど
雨樋が無いと言うのは
不思議な感覚で
雨が屋根に当たり
束になって
つたって落ちてくるので
屋根の上に、洗面器を持った誰かが
つつつーっと流しているんじゃないかと思うぐらいの量の水のかたまり

地面には
徐々に蟹でも出てきそうな穴が
出来上がりつつあった

なんと
水のチカラはすごいものだ。


さて、
作業は足場の組み立てから始まった。

家のものとしては
10時と3時のお茶を出すことが
せめて、職人さんに良い仕事をしてもらう気持ち  


今日は、職人さんが帰っていったあと、明日からのお茶のために
お菓子を大量買いへ


久しぶりだ、
こんなたくさん買ったのは!

あまりお菓子を買わくなったから
スーパーのお菓子売り場へは、
チョコを買いに入るぐらい

何か、近頃は
なんでも『俺の◯◯』って言葉が流行ってるの?

『俺の豆腐』
『俺のミルクキャンデー』
『俺の箸』

あたりを見渡せば
『俺の◯◯』

大事にしてほしい願望か?
自己顕示欲?
ただの甘えん坊?

強調したいのかしら(笑)

男らしさを誇張したいだけ?

今度、どれだけ『俺の◯◯』があるのか、調べてみようかしら。








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冷たい雨の日の誕生日

2019-11-22 23:53:00 | コラム
今日は一日中雨だった

亡き母の誕生日だった

生きていれば89歳

朝、コーヒーをお供えして
夜、茶碗蒸しをお供えした

誕生日にはいつも
茶碗蒸しをつくってあげていたから

誕生日も今年で最後ね
そう、今年で最後ねと
繰り返していた日々は
まだ、元気だった証拠の日々


最後の最後は
痴呆症の症状から
三日三晩起き続け
挙句に寝込んでしまったために
最後の誕生日の茶碗蒸しも食べられないほどだった

もし、いつものように
ニッコリ笑って
これで最後だねと言いながら
茶碗蒸しを食べていたら
本当に最後の茶碗蒸しとなって
私も心残りがなかったものを

体はそこにあっても
食べることができない誕生日だったなんて。

2年前の誕生日の日から
天国へのカウントダウンは始まっていたことを知る由もなかった


最後の茶碗蒸しが食べられなくて
心残りで
あれから、毎年、お供えしてる。
これは、母のためではなく
私自身が納得したいだけなのものかもしれない。



亡くなった人の歳は数えるもんじゃないと言うけれど
お化けくらいの年がめぐっても
多分、私は数え続けると思う

茶碗蒸しを添えながら、、、。


あなたが居たから
私が生まれた

あなたも、その親がいたから
生まれてきた

その繋がりは誰もが特別で
当たり前なんかじゃない

奇跡と奇跡の繋がりだよね。


この世の全てだと言ってもいいよね。












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地図の読める女

2019-11-21 10:25:00 | コラム
昔から地図が好きだった
だから、助手席でナビゲーター

今は、スマホ持ちながら
あーだ、こーだと言っとります。

時代は進んだけど
進めば進むほど
まだまだと欲が出てきたりしますね。

車のナビも、一年違えば
新しい道に出くわして
ナビどおりだと遠回り
スマホどおりだと
ナビでは、道無き道を行く

私はまるで、空を飛んでいくような気分になる時がある

新しい海底トンネルの場合は
それこそ海の上を車は進んでいくようで。

とっても不思議な感覚

どうせなら、スマホだけにしたいものをどういうわけか
カーナビとスマホの両刀使いとなってしまうわけで。

昔から憧れていたんです。
横で、ナビゲーターしなくても
眠っていても現地に到着できればと。

1人寝ちゃってたら
運転する人に申し訳ないだとか
ハンドル握る人に行き先がわからなくなった時は、私がいなきゃーとか

そんなこと考えずに
何にも気を使わずに
助手席に乗っていたいと
いまだに思うことしきり、、、。

ああ、相手が問題なのかと
ハタっと気がついてしまうけど
考えても仕方ないので、
そこは、スルーしておこう。

いやはや、脱線

はい、私は地図の読める女と言うことで、
日本地図を眺めるのが好き。

どこかに行った気分になる。

この半島は動物の顔ににているゎとか、

この雲は、あの半島ににているゎとか、

半島や岬、突端の隅にある場所は
海に面しているから
どこも素敵なんだろうと思ってしまう。

それで興味が湧いたら
今の時代はバーチャルでお散歩できるのですよね。

グーグルアースで真上から見たり、
グーグルストリートびゅーなんかで、時間のあるときは
ちょっとお散歩したりしてね。


地図だけではわからないこともあるし、街の産業や農作物、名物をしりたいこともあって、検索したり
ガイドブックを見て
行った気になったりして。


ボーっとした時間も
いいものですよー。


どこかの町のどこかの海あたり
空に流れる雲を眺めたくなったりしますー。















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手を合わすということ

2019-11-18 23:19:00 | 日記
両親の三回忌と
兄の39回忌(弔い上げ)を一緒として
全て、終わりました。

これまた、
兄の最期も看取った私にすれば
4人家族の私以外
3人をこの手を離さずにして
あちらの世界へ送り出せた。
そう、最後まで、見届けたということになる。


なんの因果か、、、。


おそらく、私の今世の
お仕事だったのでしょうね。

そして
自分の息子を呼んで
ご仏壇の前で
この繋がりの果てに
いま、私が居て
そして、君がいることを話した。


見守っていてくれる人の存在があると。

色んな犠牲と愛の上に
私達が生きていることを話した。

だから
自分の命も、次にバトンを渡していく、息子の子供にも繋がっていくこと。

浄化しながら魂の昇華に手を合わせ
守るもののために
懸命にならなきゃいけないことを話をした。

息子は真剣に聞いていた。

帰り際に
珍しく、私への気遣いと感謝を言って帰っていった。


これで、良かったのかな。

法事の仕方、伝わったかな。
気持ちの上での弔い方、わかったかな。

だから、私達は
精一杯生きなきゃいけないし
堅苦しく考えなくていいけど
自分達は、次にバトンを渡すために
元気でいてなくちゃいけないのよって。

いつかは、私を見送ってもらう番になるわけで、色んな厄介な用意はしなくていいけど、
繋がりの思いだけは
言っておきたかった。


気薄になっていく家族関係
伝承もなにも関係がないとまで言う若者や体験しないまま通り過ぎていく人が多い今。
風習やしきたりは変わっても
気持ちの上での思いは
きっと、昔も今も変わらないんじゃないかと思う。

手を合わす。合掌する。

それは、すごく尊い行為なんだと思う。

忘れないでいて欲しいと。










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