湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

父が修繕したグローブ

2021-05-31 21:59:00 | コラム
亡くなった父は、
うちの息子(孫)が
野球に興味を持った、幼稚園のころ
子供用のグローブを買ってくれた。

本物を与えたいと
ミズノの子供用のものを購入
当時、それは三万円もしたらしく
子供のものを買うには
値段が高すぎると母と喧嘩になったらしい。


その時の母の小言は
しばらくは、私が聞くことになった。

けれど、父の気持ちも、母の気持ちもよく分かったので、うんうんと聞くほかなかった。


息子は、子供会のソフトボール大会で
そのグローブを持ち、素晴らしい活躍を見せてくれた。
そして、そのまま中学でも野球部へ。


しかし、父が買ってくれたのは
子供用であり、中学生に上がるころには、私の主人のお下がりを使っていた。

いつの間にか
ミズノの子供用グローブは
玄関の下駄箱の一角に眠ったままだった。


時は流れ
その息子は、一児のパパになるかと言うとき。
父は、ひ孫の誕生を楽しみにしながら
生きれるかどうか、、、、。
いや、もう1年ぐらいはなんとか。
体調は思わしくないと言うより
自動車を私に取り上げられ
楽しみが徐々になくなっていき、
生きる気力をなくしかけていたころ。


なんとか
その気力をなんとかしたいと
下駄箱の一角から
古びたグローブを私は持ちだして
父に言った

『ほら、このグローブ、革紐が切れたままになってるでしょ。なんとかならないかな? 直せる? 息子に返してやりたいし、生まれてくる子が男の子だったら使えるし』


父は、昔、実業団の左腕
南海ホークスからお呼びがかかったぐらいの野球馬鹿。
グローブを見せるなり、ニヤリと笑って言った

『なんや、懐かしいなぁ。
まだあったんや、それ。
老いぼれたと言っても誰に言っとるんや。このくらい直せるわいな。
必要な革紐と革のオイルを用意してくれ』

まんまと、乗ってきてくれた!

私の計算ではあるけれど
少しでも、出来ることから父に活気を与えたかったし、
息子にも、このグローブは、祖父が買ってくれたものとして、持っていてもらいたかった。

修理の革紐を買おうとスポーツ店に行ったとき、同じ色の革紐はもうなかった。

しかし、可愛い色の革紐で充分だと。
そして、グローブを見せるなり
スポーツ店の店主は

『おお〜、とても珍しいものだ。古い型だけれど、品質がいいから今も使えます!!
今は、これほどの子供用はない。だから、これからも大切にして下さい』と言われた。


あの時、両親は喧嘩しながら
このグローブを買ってくれた。
それがこのスポーツ店の店主の言葉で
私は、一気に嬉しくなってしまった。


持ち帰った赤い革紐とオイルで、
父は丁寧にグローブを繕ってくれた。
チカラのない指は痛々しくはあったが
父の目は柔かに楽しげだった。


出来上がったものを
息子にサプライズとして送ってあげた。

息子は涙ぐみ、嬉しそうに、
自分ちの玄関に飾ったそうだ。


その後、生まれてきた子供は、女の子であったが
いつかボール投げをするのだと
楽しみに大切にしていたらしい。

その女の子(長女)も5歳

何度かは、そのグローブをつけて
ボール投げが出来たらしい。
その様子を嬉しそうに私にLINEしてきていた。

しかし、
もう、そのグローブを繕った人はいない。
けれど、あの嬉しそうな父が
確かに居た。
そして、息子に思いが伝わっていったのだと思う。

2人目の子供は男児が良いと
息子も持病があるために
望んではいても、自分1人の思いではどうすることも出来ない。

息子の思いを汲んで
嫁が一大決心をしてくれたようで
見事、懐妊。

そして、この5月28日に
待望の男児が誕生した。


産まれた子が
このグローブを手にする時
また、私は父をあの時の父を思い出すのだろう。

そして息子は
自分の夢の一つを遂げることができるのでしょう。

思いと言うものが
小さな品物で受け継がれていく。








ヤングケアラー

2021-05-25 16:32:00 | コラム
『ヤングケアラー』

知らぬ間に、ある日みたテレビ

ふと湧いてでてきたような言葉に
気を取られていると
まるで自分のことのような若者が沢山いる?


そっか、、、

ググってみると

『ヤングケアラーとは、通学や仕事のかたわら、障害や病気のある親や祖父母、年下のきょうだいなどの介護や世話をしている18歳未満の子どもを指す。』

なるほど。
私のことね。

物心ついた頃、そうね、幼稚園の頃だったか、自分には6歳上の兄がいた。
次第に歩けなくなっていく兄を見て
手助けするのは当たり前のように育った。

両親は、
兄の病気のためか、
ことあるごとに、喧嘩ばかりで
夜になると
兄妹一緒にお布団を並べて寝ていると
夜中に、足がだるいから動かしてくれと、兄に起こされる。

毎晩、3度は起こされる。

両親の諍いのために
片方の親の元に行ったり来たりで、
小学校4年生で
家族みんなが揃って暮らし始めるまで
なんだか切ない家財事情の中
それでも子供だったから
詳しいことは知らずに
ただ、兄の面倒を見ていた。

学校や遊びにも行っていたけれど
夜には
兄の寝返りの手伝いに起きたり
両親が揃って、たまに2人が息抜きに外出する時は
全面的に兄の世話をしていた。

ただ兄が優しい人で
映画と音楽が大好きで
よく色んな話をしてくれた。


私は、中学のバレー部のキャプテンになって、高校へ県立高校から
当時、スポーツ推薦はないのに
答案用紙に名前だけ書けば
合格になるからと
中学の先生を通じて言われたけれど
一も二もなく断ったことがあった。

高校に行けば、高校の部活の激しさ、
お金の入り用はわかっていたので
兄の面倒を見ながらは無理なこと。

先生には私の断りは、納得がいかなかったらしいし、理解もできないようだった。

だから、詳しくは話さなかったように思う。
その頃、不良ではなかったけれど
すでに、大人を静かに心の中で
けなしていたようにおもう。


大人の浅はかさのようなもの。
所詮、わかりっこない世界にいる私を理解するには、先生さえも幼いと思っていた。

そんな環境になった人
その境遇の人にしか分からないと。

まして、兄には、命の期限が付き纏っていた。

そうこうしてるうちに、
兄は、遠くの専門医に見せるため
県外の療養所に入ることになるが
学校に行っていない兄は、
併設された養護学校へ同時に入った。

悲しいけれど
進んでいく病気と兄の人生には、
家族の側にいるよりも、
限られた時間の中でも、
何かできることを探すために
そこに入れなければいけないと
両親が判断した

しかし、
長期休みの
春休み、夏休み、冬休みには、
それなりの日数、兄は帰省してくる。


私は高校になっても
長期休みには、ヤングケアラーになっていた。

のちに、両親が亡くなる前、
私が兄の夜の寝返りをさせていたことの詳細を親は知っていたとばかりに、
話したら、
全く知らなかったと、、、。
ほんの少しは手伝ってはいても
毎日、3回、4回と起こされていたことは知らなかったと言って
申し訳なかった時私にわびたことがあった。


しかし、私は
物心ついてからずっとだったので
自然なことだった。


目を閉じて
朝まで寝る、、、


当たり前のことは
私には当然、当たり前ではなく
拒否も、否定も、放棄も
するとか、しないとかのものではなくて、至極当然のことだった。

今から考えたら
友達にも、先生にも打ち明けてなかったように思う。

可哀想な子だと思われたくなかったのかもしれないけれど
言っても分かってもらえるわけではないと言う思いが先だったかも。

兄は、私が20歳の時に亡くなった。



私は解放されたわけだけれど
兄が亡くなって、一周忌を迎える前あたり、母が倒れ、父が交通事故で
手術、入院。
私1人で、兄の一周忌の準備。

その一周忌の法要の日
久しぶりに揃った家族
親戚と語り合い
来てくださった人達を
車で送ったりしているときに
自分の体の違和感を感じた。

父の病院
母の病院、世話。
その頃、大好きだった音楽は
チューリップのテープばかり

病院から病院への移動。
自分の仕事場への移動。

そうしているうちに
私は肝臓をやられ、治療のため2ヶ月半の入院


私はチューリップの音と共にいた。
ノリの良い音に、憂いを含む財津さんの大人びた声

いまでも、チューリップの歌が聞こえると、必死だった自分を思い出す。

そう、ヤングケアラーとしての
最後に患った病気のことも。


長年の蓄積された疲れと
睡眠は、2ヶ月半
ほとんど、ベッドに寝たままで解消されたことになったのかな。


昨今の言葉
『ヤングケアラー』

なんでも横文字にしちゃったりして(笑)
昔から居たのよ。

隠れてしまっていたけど。

そして、今なお
この世知辛い、生きにくい世の中に
沢山居るんだ。

何もできないけれど
どうか、誰も恨むことなく
目の前のことに精一杯でも
いつか、解放されて
きっと、どこかで報われる日がくる。


報われないのは、
恨んで、放棄して、助けを呼べず
自分を無くしてしまうこと。

それだけは避けたいことだね。



穏やかな社会であれば良いけど
急には変わらない。
自分が柔軟に変わっていくこと。

いつか
いつか

のんびりと
お茶を楽しむことができる日がくるから。

私がそうだよ。
育児(子供の病気)、介護
相当な年数がかかってしまったけどね、今は、のんびりとお茶が飲める。

なんて
幸せになったもんだ。







コブクロ ファンフェスタ2021配信ライブ

2021-05-22 22:36:00 | コラム
【コブクロ ファンフェスタ2021】


コロナ禍のために
配信ライブとなりました。







いつも年に一度
和歌山のアリーナで行われていたファンフェスタ

なかなかチケットは取れず

ファンなら、本当に憧れの場だった。


今年は、折もおり
こんな形の方が良かったのかもしれないが、
色んな残念が重なり
本人達の生配信は中止になり
予め買っていた配信チケットは
払い戻され無料となった。


数ヶ月前にそのチケットを申し込んだ時の気持ちと
今日の気持ちは違う

有料でもいいから
本人達の声をいかなることの内容でも良いから聞きたかった。

それがファンに対しての
申し開きの唯一の場所じゃないかと思って憤っていた。


無料配信となったことで
誰もが見れる状況となったが
何故か私は
別れた彼氏の顔を
コッソリとドアつたいに見ているような気分


何故!何故なの⁉︎


そう思いながら見てるうちに
あの楽しかった昔の歌が
次から次に繰り出されていく


私の目には
一筋の波

胸が痛い!!

初めて自覚した。


何が不倫
何がアーティスト
何が、、、、、


プライペートは本人で
関係なく
冷めた目で
騒ぐこともなく

もし、覗き見してる間に
影の女性が私を制圧してきても
平気だと思っていたし
実際、現れることはなかったから
本人達の声も顔も
もう見たくないと言う思いにはならなかった。

しかしだー

別れたダメンズを見ているような気分

彼氏でもなんでもなくても(当たり前だが)

普通のちょっと道を踏み外した人を見ていただけ

世間的にバッシングに遭って
今は多分、ボロボロな残念な男性に成り下がっているだろう人


良かった時代の大好きな昔の歌に
段々と私は引きずられていく

体が覚えてしまっているように(笑)


『ずるいゎ』


かと言って
今までのようにはいかない

気にしないと思いながら
なんなら親戚のおばちゃんのように
行く末を心配してあげようかと
思っている次第に

蘇ってくる思い出たち


もうね
コブクロの2人がデビューする前から歌っている歌は
唯一無二になっている


嫌いになれるだろうか、、、。

嫌いにならなくていい、、、。


けれど、気持ちの中で拒否をしてしまう部分と、許したい、いや、許せない部分


せめぎ合う気持ちの中でのモヤモヤが最高潮になった時に
始まったあの歌

いつものコール&レスポンスの歌
『ストリートのテーマ』


配信といえど
上手に煽っていくコール&レスポンス


気づけば
私の唇が開いて受け入れていた


応えようとしてる私

切なさもあるくせに
楽しさも同居していく

不思議な不思議な感覚

さて、これから、、、。



時間も拘束されない
誰にも邪魔されない

自分の気持ちと対峙していく。


たかが、1人のアーティスト

されど、1人のアーティスト


夢を乗っけて
その夢をひっさげて
歩いていくには
いく人もの
いく人もの
夢がないと道は開いては行かないはず


アーティストとファンと言うのは
そんな関係よね。
大袈裟に言えば
互いの信頼関係で成り立っていく

どちらかが、
敬意をもたなくなった時
簡単に切れてしまうもの

馴れ合いの果て
敬意を忘れてしまった人

彼氏との
別れ際の気分に似てるwww


しばらく
冷却期間が必要かな(笑)



【本日のセットリスト】

ベテルギウス
待夢磨心 
コイン
note
露光
赤い糸
遠くで
卒業
同じ窓から見てた空
lovers surf
白雪
ストリートのテーマ
大阪Soul


【アンコール】

STAR song(新曲)