湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

旅の雑記2022年3月お彼岸

2022-03-28 23:23:00 | 旅行
先に書いたように
義母の一周忌とお墓参り、
そして、実家の解体と。

その間、親戚への挨拶周り、
隣町への樹木葬のための霊園見学も
日程には入っていても
美味しいもの、
美しいものへの探究もしっかりと。

佐賀、武雄温泉には
東京駅を設計した辰野金吾氏が
温泉町の楼門を立てている。



鍋島藩のお殿様やら、
豊臣秀吉や宮本武蔵が立ち寄った温泉で、楼門の奥には、
古い温泉の湯治場ふうな建物と
当時の洒落た銭湯と呼ぶべき建物が立っている。
一瞬は学校か、駅舎か?
よくよく見学すると
東京丸の駅ドームふうの吹き抜けだったり。








それぞれ、左右対称の建物であり、男湯と女湯だったのだろうと思われる。


隣町である、嬉野温泉にも寄ってきた。
有名な大正屋に泊まり
リッチなひととき
温泉に浸かっている目の高さで
ガラスの向こうには、
岩から流れ落ちる白糸の滝の雫の
流れ込むところに、鯉が泳いでいるのが見える。
ロビーには、何時でもソファに腰掛けフリードリンクがいただけた。
料理も今回は、料理人吟味のコースを取ったため、途中に、佐賀牛のヒレ肉でトドメをさされた感じ(笑)





部屋からは、日本庭園に通じていて
夜にはライトアップされていた、落ち着いた風情のあるお部屋
かなり、贅沢三昧をさせて頂いた。





嬉野温泉には、温泉湯豆腐という名物がある。
最近では、芸能人が立ち寄り、さらに有名になった平川屋さん(豆腐屋さん)で、豆腐白玉と抹茶をいただく。








嬉野温泉の少し上流には
轟の滝

滝壺は、そんな大きなものではなかったが、流れ落ちてから
川になるときには、
岩肌が、まるで、宮崎の『鬼の洗濯岩』のように斜めになって、不思議な光景だった







伊万里市に寄ったときには
どうしても行きたかった窯元がある。
昔、鍋島藩が
その技術を秘密にしたくて
職人の関所まで作ったと言われる、伊万里焼、『色鍋島』の美しい坂、橋、山の景色。










モザイクの一つ一つが、色鍋島だなんて、感激すぎた。

お世話になった、青山窯
素敵な店主さん





帰り際に、唐津城から虹の松原へ。










そして、武雄で食べ損ねた『井出ちゃんぽん』を唐津店にて。





帰りの便は、スカイマーク。
足元に手荷物を置いてると
CAさんが大きな手提げの私達の荷物を見つけ、頭上の荷物入れに入れるように言ってきたが、入れようとしない私達に『どのような、お荷物ですかー』と聞いてきた。

『母の遺影なのです』と言ったら
私達が座った座席の横、3人座席の、誰も座らない場所に
それを立て掛けるようにして、シートベルトで固定してくださった。

『こちらでよろしいでしょうか』と一礼してくれた。

スカイマークでは、機内サービスに、キットカットのチョコが配られる。
私達の座席に来たときに
微笑みながら、当然のごとく、
チョコを3個、手渡してくださった。
遺影の母の分だろう。

昔、どこかの航空会社で、
そういう、遺影に関しての美談を聞いたことはあったけれど
それが我が身に起きたのは、
とても素敵な感動でした。

















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1年10ヶ月ぶりの家族③(最終日)

2021-11-22 21:40:00 | 旅行
萩の旅(3日目)

旅先の夕食と温泉は良し

朝の温泉と朝食は、さらに良し(笑)


萩の宿の翌朝
起きると、部屋には、
5ヶ月の小さな孫と
うちの息子が同じような格好で寝ていた。

ああ、出遅れた!
他のみんなは、もう温泉に行った?

前の夜より、朝は、息子は孫と部屋に居ることにすると宣言していたので、私はそのまま温泉へ向かった。


広い浴場は、庭園を中庭にして
取り囲むように幾つもの浴槽がある中、探せるかしらと思いながら
可愛らしい声を頼りとして
嫁と孫に出会うことができた。

寄り添い、手を回してくるスベスベの、まだ生まれて5年しかたっていない柔肌
羨ましい〜、嬉しい〜。 

孫が言う『やっと来たね、バァバ』

ほんと、出遅れたゎ。

多分、嫁から何か言われたのかもしれない、ヒソヒソ声で聞いてくる

『ばぁば〜、ねぇ〜、ほんとうに、
きょうは 帰っちゃうの?』

『そうだよ、今日帰るんだよ。でも、お昼ご飯を食べてから、少ししてからだから、大丈夫だよ。まだまだ遊べるよ』

そう私が言うと、ニッコリとしていた。

手を繋いで、部屋に帰り
朝食会場へと向かう
テーブルの彼女の座る場所は、
ジィジの横でもなく
パパやママの横でもなく
旅の間は、必ず、私の横だった。


朝食は、半ビッフェとなっていた。
ほとんどが、小さな小鉢を取っていく形式か、目の前で給仕を受けるような形だったので、列のビッフェの混雑はなく、とてもスムーズだった。

テーブルにつくと
家族の誰が何を持ってきたのか、目を一順させていく
これが美味しいか!
どれどれ、それ、どこにあった?
えー、それあったの?

いじましく(笑)
次のコーヒーをもらいに行く途中に
また、目新しいものを見つけ
テーブルに着くと誰かがそれを見て
『えー、それ、どこ?』といいながら探しにいくような。

誰がどんな珍しいものを持ってこれたか。
それを持ってきた人に賛辞でも送るようにして、次はそれを自分が探しに旅に出るような。

無事にゲットしてかえってきたならば、微笑んで、また、微笑み返ししたり。

隣のテーブルには、つい立てと
充分な間があり
気を使うわけでもなく
キャッキャッとしながら出たり入ったり。

朝食が済めば、宿を後にして
車へ乗り込み、いざ行かん!

以前に萩に来た時は
そのまま角島を目指して、仙崎をすっ飛ばしてしまったので
今回は、じっくりと、海を見ようと計画してくれていた。

長門市仙崎は、日本海に小さな半島が突き出て『海上アルプス』と呼ばれている、青海島(おおみじま)と言う景勝地がある。

クルージングの船もでているけれど
船は苦手なもので
青海島自然研究路という陸路を取ることにした、、、。
坂道を歩け歩け、、、。
それこそ、山に沿って登っていく。

どれだけ歩いた頃だろう
ある時から視界は開けていく

眼下は日本海
まさに、青海島と文字通り、透き通った青い海と、奇岩の風景が次から次と繰り出されていく












お天気は良く
清々しい風

ああ!来て良かった〜


ダイビングスポットらしく
海や渚近くには、
トドの群れのように見えなくもない人達が見えるけれど
歩いてきた道には、数人しか出会わなかった

その自然路を降りるころには、
お天気にも翳りがでて
青い海が見れてよかったと話していたら、どうやら、うちの孫娘は、ちょー晴れオンナらしいと判明。

へぇ〜とばかりに、
下界の観光基地へランチを取る場所に行けば、そこには、溢れんばかりの、人、人、、、。

しばらく待って
海鮮丼の店にやっと入れたが
帰りの新幹線の時間が段々と気になり始めてきていた。






人出の多さに、少しタイムロス

それでも、車に乗れば
孫との遊びが始まる。

呆れているのは、最前列にいるパパ(息子)

『よくもまぁ〜それだけ狭い車の中で次から次、遊べることに、もう尊敬しかない』と、、、。


いいや、君は、忘れてしまっているのさ。
母がどれだけ遊びの引き出しをもっているのかを(笑)
その母のもと、君も、こうして遊んだじゃないの。


車は、あの有名な『大谷山荘』の横を通り抜けて宇部市の厚狭(あさ)へと。

新幹線、こだましか止まらない大きな工場群のそばにある、小さな駅

少し早めの到着となった。


もう少し先の時間を見てみれば
駅の一階の構内
階段を登ったところに到着する新幹線に乗り込んでゆく2人が想像できたのか、わがまま一つ言わずに
『ねぇ、少しだけ遊ぼう』

人がほとんど居ないから
走り回り、かくれんぼしたり
追いかけっこしたり。

写真を順番に撮って
もうそろそろね〜って。

駅のホームまでお見送りしてくれることになった。

止まった新幹線は、キティちゃん仕様








キティちゃん、見れたね〜って、喜んでいた。


孫の泣く顔は見たくなかったから
うまく誤魔化せたかなって
新幹線に乗り込む前に
『ありがとう、元気でね』

その言葉を言うだけで胸がつまりそうになった。

今度はいつ、会えるんだろうと思いつつ、今は、そのことは、考えず、
ホームから見えやすい席を取り、
息子家族に、窓から大きく手を振った。


新幹線がゆっくり動き出すと
パパの手を振り切って
手を振りながら走り出す孫娘

あ、危ない、お願い、止まって!!


まさか、走り出すとは思いもしなかった息子の慌てよう
走ってやっと、その小さな体を捕まえてくれた。


気持ちだけ、ありがとう。
いただいていくゎ。
またね〜
そんな気持ちだった。


そうして、新幹線、飛行機と乗り継いで、帰途についた私達。


次の日、LINEで送られてきた写真には、新幹線を追って
駅のホームを走り切って抱き止められ、振り返った孫娘の写真があった。

遠ざかる新幹線がほんのすこし写って、ホームで泣きじゃくる孫娘の顔が写っていた。


昔から
見送られるのが嫌いだからと
そのシーンをなるべく避けてきた私。

それは、見送るほうの切なさを嫌と言うほど知っていたから。

見送る方の人に切なくなってほしく無いから、自分が去るときの口実にしていたのに、可愛いい孫娘に
多分、初めての経験だろう
見送る切なさを感じさせてしまった。


その日、寝る前まで、
夕飯を食べる時以外は、ずっーと泣いていたらしい。

気持ちは見えないもの
形がないもの

だけど、一緒にいた時の楽しさの分だけ、切なさが答えで残るもの


次会うときは
私のほうが先に泣いちゃうかも。



今回行った、山口市長門市仙崎は、詩人『金子みすゞ』さんの故郷

3.11のあと、一時CMが無くなった時に、広告機構からテレビに流れていた詩のひとつ



星とたんぽぽ

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。





家族や、大切な人への気持ちなんだろうね。


『星の王子さま』を書いた、サン・テグジュペリが、
「大切なものは目にみえないんだよ」と書く、26年も前のこと。

金子みすゞさんの、この詩が生まれたときく。
生家にはいけなかった。

また、訪れてみたい街となった。
旅の宿題が、またひとつ。



山口、萩の旅
長々とした文を読んで頂き、
ありがとうございました。

私の旅日記として
記しておきたかったもので。




コメント (6)
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1年10ヶ月ぶりの家族②

2021-11-20 18:57:00 | 旅行
山口 萩の旅(2日目)

山口は、瀬戸内海から日本海へ出るには、車で1時間ちょっと。
美味しい魚介物も集まってくるけれど、『見蘭牛』と、ちょっと変わった名前のブランド牛もある。

宇部(瀬戸内海)から萩(日本海)に行く途中、
それこそ昔、維新の頃
名前を連ねた長州藩士達が通った道だったのでしょう。
それにちなんで、萩往還(はぎおうかん)と言う名前の道の駅がある。

そこの道の駅で、ブランド牛の見蘭牛が気軽に食べられると言うので寄ってみたが、凄い人気で、
昼前にもかかわらず、二時間待ち⁉️

私は、あまり興味はなかったので、
その店の隣りにある麺処で充分、お目当てのものが食べられる。

あの、ドラマ『逃げ恥』で、登場した『瓦そば』
お昼は軽く、それがいい。

茶そばが焼かれた瓦に乗ってあり、パリパリとしたお焦げとともに、
牛肉と薄焼き卵、のりをもみじおろしを入れた、すこし甘辛な汁でいただく。

前に食べたときは、ポン酢だったけれど、少し甘辛なほうが、美味しかった。




予約したホテルに行くまでは、
行きたいところリストにそって車を走らせてくれるそうで、
車に乗っている間は、5歳の孫と
『しりとり』『動物泣きまねシリーズ』『歌合戦』

前の日に、会ってハグをした時から
トイレに行くのにも
布団で寝るのにも
ましてや、車の中でも
いつでも孫と一緒(笑)

1年と10ヶ月ぶりの孫との時間は
愛おしく、疲れも、、
いや、疲れても、その大切な時間はパスできない(笑)


道の駅から
私が数日前に見たBSの火野正平さんの『自転車旅』に出てきた萩の港に行きたいと言っていたので直行してくれた。






そこからは、萩の海に浮かぶ島々にいく船が出るらしい。
テレビと同じ風景

三角みたいな萩を代表する『指月山』
かつての萩城のあった場所


後からいくホテルは、
その山を見下ろす場所になる。


萩焼は有名で
昔からの茶道には欠かせない焼き物になるけれど、
ここでも、1年10ヶ月前
皆で会った長女の結婚式の前夜に、
私の誕生日が近いからと、息子夫婦がプレゼントに持ってきてくれたマグカップも萩焼で。

私が気に入ったものだから
今回は、それを焼いた窯元さんに立ち寄ってくれた。

『萩焼窯元 松光山』さん
そこの女将さんと、また立ち話。

コーヒーを淹れてもらい、
そこに行った経緯を話したら、小さなお皿を頂いた。
もちろん、自分の好みの焼き物も買いました。




欲しくなるものがたくさん!!

しかし、旅は、またその次に行きたいと言う宿題を残していくほうが魅力的なんだと思う。

時間も押し迫って
そして、ホテルへ。

着いて、少しゆっくりしたなら
バスにのり、広大な敷地内の山の上の足湯へと。


夕暮れも遅い時間
見下ろす街まちに灯が灯っていく時間

指月山も見える
ほんの足元の先あたりには、
有名な吉田松陰先生の松蔭神社と『松下村塾』があるところ

ここも、あそこも、長州だゎね〜と。

こと、その足湯から見える風景は
萩の有名な景色と言うことになる。






風は冷たくても、足湯は温い


大きな肩に混じって、
小さな肩も寄せ合いながら
雲の多い夕暮れの海岸線を眺めてた

幸せなひとときの中の
大切なひととき

温泉に浸かり
美味しい物を食べ、、、、


随分と、こうしたことをしてこれなかった。

時代の変わり目なのか
節目に立っている私たち

だから、余計に貴重な時間なんだと思う。

また、こうして、こんな日が
いつ訪れるのか分からない。

『今だけ』

息子達にとっては、親孝行のつもり。
私にとっては、小さな子供の面倒を見ることで、息子達がふ〜っと
気分転換になれば良いと
親孝行されているふり(笑)

少し大袈裟に喜んで甘えている姿を見せる『今』が、すこし、くすぐったくも嬉しいような、
ちょっぴり切ないような。

だけど
感謝だけは忘れまい。

楽しい〜
嬉しい〜
美味しい〜

言葉を発するたびに
笑顔が増えて行く。

















コメント (1)
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1年10ヶ月ぶりの家族

2021-11-19 21:57:00 | 旅行


山口 萩の旅(1日目)

木の葉の色も程よく色づき
空の色も、海の色も
透き通って見えた。

人の気持ちが有り難くて
小さな子供の温もりが愛おしくて

行く先々で、ちょっとした偶然が起きていく。
そんなことがおこるのかーって
微笑んだ先に
人はどこかで繋がって、繋がって
今に続いていたのだろうと思えた。

着いた1日目
山口のとある古民家の料理屋さんに案内された。

1年と10ヶ月ぶりに会った息子ファミリーは、その店の創作和風料理のファンで、自分達のお祝い事や記念日をその店で過ごすのが最近の鉄板になっていたようだ。

どの料理も素晴らしく美味しい。
給仕の女性の心遣いが素晴らしい。
息子達が特別な日をそこで過ごしてきたことが、とてもよくわかった。

今年5月に生まれた長男の長男も引き連れても、古民家の完全個室は
居心地も良かった。

ひょんな話から
女将さんが、私の住む町の隣町のご出身らしいと。
すぐに、女将さんがご挨拶に来てくださった。
すると、
女将さんのご主人でもある、料理人は、かつて、うちの両親が好んで行っていた和歌山の新宮市の有名な温泉旅館の料理長さんだった方と判明。
ひとしきり、私達の在住の町の話。
そして和歌山の話。
話す〜話す〜
ほとんど同年代、おばさん達(笑)
なかなか話は止まらない。
帰りには、特別にお土産まで頂いた。

ただ横で
その話を初めて聞いていた息子達が一番驚いたかもしれない。

遠い地でのちょっとした偶然は、
旅に彩りを添えてくれるものだ。

温かな気持ちになった日

町は真っ赤と、黄色に色付いて
1日目の興奮と
久しぶりに会う顔
初めての顔

思い出がまた増えた。













ただ『眼をとじて』
思い出の中

秋の日には、口ずさみたくなる


何故か、YouTubeが貼り付けられないわ(笑)

https://youtu.be/lJ84_FRtMiA







コメント (2)
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私の和歌山、友人たちの和歌山

2021-04-26 09:25:00 | 旅行
もう、20年以上の付き合いになるのかな。

大人になってから親友と呼べる心地よい、小気味良い友人がいる。

彼女とは、
ある一定の距離を保ちながら
互いに干渉せず、
かといって誰にも打ち明けられないことも理解しながら
2人で違う方向を見ながらでも
横に居て、思いあいながら
ただ一緒に風を見ているだけでも良いような、、、そんな楽な間柄


確かに、
幼稚園からとか
小学校から一緒だとか
幼馴染などと言う間柄の友人も
とても憧れたけれど、
私にとっては望むことはできない生活で。
幾度も生活が変わり続けていく上で
大人になってからの友人と言う人が数人いる。


彼女はその中の1人。


変わった趣味や
私には無いところが沢山あって
比べることもしないし
互いにリスペクトしているためか
相手を尊重しながら
言いたいことが言えて
言葉はおかしいけれど
彼女本人を個体として
受け入れられている。


違う人格を認めながら
基本の核心的な心根の部分が似ているせいかもしれない。

(大人になって親友となった人、全てに共通なのだと思う)


その彼女が
少し前に
私の生まれ故郷である和歌山市に行ってきたと数枚の写真をよこしてきた。






まさに
私が生まれ育った街の風景

私が生活していた窓から見ていた風景をそのまま切り取ったような

懐かしさにLINEを打つ手が止まらない(笑)

あそこは青春の場所だった。

あれは、よく通っていた道だった。

それは、まさしく私が見た風景だった。


良きも悪くも
大切な時間を過ごした街であり
若い頃の自分と両親がいた時間に
ビューンと戻って、濃ゆい時間を思い出させてくれる写真の数々。


彼女自身は
私の生まれ故郷だからと言う目的ではなく、自分の趣味のために訪れた街の一つの場所だった。


しかし、私の長々としたLINEに呟く文章を彼女が読むうちに
私を通して、その街を彼女が見る形となり、
大層、その街が気に入った様子を知らせてきてくれた。


虎が伏した形に似ているからと
和歌山城は、別名を『虎伏城』と呼ぶ

城下町の佇まいはもうないが
市内の一角に
そびえたつお城は街のシンボル






生活をしている人間には
いつもの何気ない風景だが、

一度、その地を離れた者にとっては懐かしい場所となる。


私が今の地に移り住んで
あそこが良い、ここが綺麗だと言って
わーわー彼女に言っても
彼女が普段見慣れた場所だからか、
平然と

『そう?生まれた時から見てるから』

感動もなんにもないと言っていたけれど
私があまりに言うものだから
あらためて、自分の街を見て
『そうなのか』と思い直したふうで
今は、その風景をしっかりカメラに収めるようになった。


そんなものなのよね


自分の育った原風景は
普段の生活に埋もれていて
離れたり
誰かから聞いて
なるほどと思わない限り
大切なものだと忘れてしまっている。

誰にでも
大事な風景があって
そこに思い出が宿っている


ふと思い出したとき
自分の歩んできた道を振り返ってみて
苦かったり
酸っぱかったりしても
懐かしさに包まれて
全てが嬉しくなっていく、、、、。


月日と言うものは
不思議なチカラがあるものだ。


語ることによって
誰かの風景とリンクして
自分だけの場所ではなくなっていく。


大切な人が居た場所が
自分にとって特別な場所に変わる瞬間


私が彼女から受け取って
思いを言葉で返して
それが彼女の心に沁みて


その場所は彼女にとって
単なる旅行先ではなくなる。


その場所は私にとって
単なる生まれ故郷だけではなくて
私を知る友人が
私の思い出も一緒に旅してくれた場所となる。


実は
もう一人
京都の友人が和歌山を訪れていて
私の家族の思い出とリンクする場所に立っていることを知らせてくれた。






彼女も
彼女自身のために訪れた和歌山の地だけれど、
私とリンクしたことで
彼女の思い出にも私が乗っかってしまった。


立て続けに
和歌山の地を旅した友人が2人


彼女達に
とても素敵な体験をさせてもらった私は幸せ者だ!


その友人たちに
私が様々なことを
思い巡らされていくことに
きっと意味があるのだろうと。


兄のことも
両親のことも
その時の私自身のことも
泣きながら
思い出しながら
色々なことがあっても
現に存在してる自分の身を
有り難く、愛おしく、、、。


そして、
そんな友人達がいることを
あらためて有難いと思う。
私からも大切にしていきたい。




最近で一番嬉しい出来事。

感謝です。






















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