湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

新巻鮭が届いた

2020-12-31 10:03:00 | 日記
何やら片付けばかりの日々。

3年前に介護から卒業を果たしたのに、今頃片付け?
あちこちリフォームで、仕方なくやらなきゃいけないことになったのと
やっと、腰が上がったと言うか💧

この三年は、なんだったんだろう

私は、やっぱりどこか
燃え尽き症候群みたいになっていたのかもしれないと思いつつ
3年間を親への気持ちに費やしていたような。

無論、未だに
悲しみや寂しさはある。
すこし、ほんの少し形が変わりかけてきた気配。


全くくじ運の全くない私が
この年末になって、ガス屋さんの何かの秋のフェアに応募した何か(笑)
それに当選したとのことで、
昔、憧れだった『新巻鮭』一本が送られてきた。
(懸賞品の中に新巻鮭が入っていたことすら知らずに応募)

届いた時の驚き!
『えっ⁉️』
丸々1匹冷凍、、💧

真空パックで、きっちりかっちり
カチカチのまま
45センチはあるだろうか。
そのまま、冷凍庫に入るわけがなく
しかたなく、新巻鮭と格闘することになった。

冷凍切り包丁があるが、細く頼りない💧
それでも、切らなきゃー
解凍しちゃったら、せっかくのものがダメになっちゃうー

私は応募のとき、新巻鮭の選択はしなかったはず、、
だって、懸賞品であることすら知らなかった。
こんなはずじゃなかった、、はず。

なんでこれを私が切らなきゃなんないのよー!

切るのには、全力集中
歯を食いしばって、切るほかない。

いかんせん
奥歯の歯茎が少し揺らいでいるせいで、奥歯を噛み締めるのは
歯がもちそうにないと思いながら、
奥歯を噛みしめずして、チカラって入らないものなんだと実感!

なんでー
面倒だなぁー
こんなもの当たるつもりじゃなかったのにー
文句満載
もったいないと思う一心だけで切る作業、、、、。

やっと冷凍庫に入れるほどに解体。自分の筋肉がバラバラになりそうに疲れた。
それでも、半分の胴体部分は解凍に回して、近所の人とシェアすることにした。
あとは、ジプロックに放り込んで
冷凍庫に。
これだけ大きな塊を投げ込むのも、そうそうないなぁーと思いながら。


切っている間、昔のことを思い出していた。
実母が、新巻鮭が好きで、
それでも一本丸々は買えず、市場に行くたびに、店に連なった新巻鮭を眺めては
『あれを一本誰か、くれないかしら』
そう言っていたことを思い出した。
今なら、食べさせてあげられるのに、、、。


また、片や
私が嫁いで初めての年末に
主人の実家でお正月を過ごすことは決まっていたが、実家に送る初めてのお歳暮。
何かの出先で、新巻鮭を見て
それを九州の実家に送ることにした。
そうして、お正月、
その実家でみた冷凍庫の中の
自分が送ったまま、そのまま、
冷凍庫の中で眠る新巻鮭1匹❗️

夕飯の支度を任されて
間違えて冷凍庫を開けたときに
それを見て、凍りついた私に
姑が一言呟いた

『こげなー ふとかー
鮭をもろうても、料理しきれんばい』

(こんな大きい鮭をもらっても料理できるもんじゃないよ)

今なら、
『兄妹さんもみんな集まってきてるから、解凍しちゃって、食べちゃいましょう、私がやります!』と言えただろうけど
なにせ、相手の実家に行くのも初めて。
夕飯の支度を任せられるのも初めて。
突っ張らかった気持ちで見た新巻鮭の下顎と顔
忘れはしない。


どうすることもできずに
冷凍庫のドアを静かに閉めたあの時。


お義母さ〜ん♪
あの時の新巻鮭、どこにいったのですか〜?

クスッと笑えてきたりしていた。

解体した半分の片身をお隣に持っていき、食べて頂く。
代わりに、私は、のし餅を頂く。


夕飯に焼いて食べた新巻鮭が
やけに美味しかった。
久しぶりにマジに美味しかった。






いつも、私の拙い文章を沢山の方にご覧頂き、恐縮しながら感謝しております。

本当にありがとうございます。

自由気ままに書いています。

また、来年もこんな調子で
実体験、妄想、思いを
拙い言葉に乗せまして
『とある人生』を語っていくと思います。
よろしくお願いし申し上げます。


来る年が、皆様方にとりまして
良き年となりますように。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兄の命日の日のこと

2020-10-07 22:35:00 | 日記
先日、3日は、兄の命日だった。
亡くなってから、
早いもので、39年の40年目。

兄は26歳の若さで病気で逝った。
自分が26歳を超えるとき
これでいいんだろうか
いいんだよね。
そうした確認のような気持ちがあった。

若く親を亡くした人は、
親の歳を超えるのが怖いのだと聞いたことがある。

兄妹でも、それに似たことは起こるのだと思う。

まだ、母が生きていた頃。
もう、兄の命日を迎えるのは
本当は母にとって最後だった。

その日、命日の私と母のやりとりを
書いたものが違うSNSで上がってきた。

——————————————— 


もう、長い間の月日がたってしまって
何回目の命日なのかさえ忘れてしまっている。

痴呆がかかった母は
今年初めて、兄の命日を忘れていた。

私が代わりに
兄のご仏前に花やお菓子をお供えをした。

母の介護疲れもあって、
父は数日、寝込んでいたが、
やっと起き出したので
もう何回もパスしていたデイサービスに
出かけるよう勧めて
やっと行く気になって出かけていった。

母と私
痴呆が入っていても
母たるものは母で
何故か私に
父がいないので、ゆっくりするように促す。

どっちが病人かわからないのには
笑ってしまうじゃないの。

ちょうど良い機会だからと
facebookのお友達が
セピア色の写真の旅をしているのを
真似してみようと
母と昔のアルバムを見ることにした。

わらわらと泣き出したり
喜んだり
期待したほどの昔話はでてこなかったけれど
ベッドで2人
顔を見合わせ
耳に口をつけて話かけたりと
あたたかな時間を過ごすことができた。

何故か私の頭の中で
山口百恵ちゃんの『秋桜』と
さだまさしさんの『主人公』がぐるぐるしてる

♪時には 思い出行きのガイドブックに任せ
あの頃という名の駅で降りて  昔通りを歩く〜♪

♪ こんな小春日の穏やかな日は
もう少しあなたの子供で居させてください♪ 


しかし、私の写真が皆無に近い
それに、あったとしても難しい顔をしてる。
幼少期の家庭内の暗さったらなかったもんだね。
それが、私の顔に現れてた。


兄の写真は、やはり、長男である事と
命が幾ばくもないと言われたせいなのか半端なく多い。

じゃ、私はやはり
放牧状態で
小さい時から
1人で生きなさいって言われ続けていたことが
この皆無に近い写真の数が表していたのかな。

それでも
今では何でも笑っちゃう

一枚だけ
私が高校一年のころだろう
兄と近くの夏お祭りに出かけたときのものを
見つけることが出来た。
土のグランドを
兄を車椅子に乗せて
車両が土にめり込む。
重くなりながら、それでも
兄に夜店を味合わせたいと思ったものだ。
のちに、この情景は
夏休みの作文になり
学校の何かの出版物になり
どこかの大会に出されたことはおぼえているが、なんの賞だかわすれてしまった。

その兄と写真を見つけ
感慨にふけっている横で

母は、
さすが、関西のおばちゃんを演じていた。

母は、自分の結婚式の写真を見つけて
『あー、この花嫁さん、うちやけど
なかなかイケてるやんなぁ、綺麗やん』

はい、
参りました(笑)

————————————————-

この頃はまだ
痴呆症といっても、
薬でなんとかマシな日があったり、
私を病院のスタッフと間違えたり。

明日は誰に私はなるのだろうと
女優のアドリブのごとく
対処しながら
気遣いながらいたんだっけ。

一つの部屋に一緒にいるだけで
『そこに居る』
それこそ、存在理由

悲しいことも
嬉しいことも

過ぎてみれば
兄のことも
母のことも
父のことも

もう、笑顔しか思い出せない。

やっと、そんなふうになれた。

涙はまだ、抑えることはできないけれど、
あの頃の涙と
今の涙は
全く違うもの。

『今日も元気にしてる?』
毎朝、毎晩に
3人の名前を呼ぶときに 
聞いてしまう。

どうか、幸せにいてね。

笑っていてね。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネモフィラの青い絨毯

2020-04-22 22:43:00 | 日記
三年前の今日
私は、そこに立っていた(らしい)
日記をめくってわかったこと。


『死ぬまでに一度はみたい風景』
とかなんとか、その頃、
よく色んなSNSででていた場所


ひたち海浜公園のネモフィラ
『みはらしの岡』









雨の日と曇りの日の
間の薄雲の日だった

あと一日で、ネモフィラ祭りに入る前の日だったけれど
人は沢山来ていた。

あと、数日で
満開を迎えると言う日だった。


ところどころ、まだ苗が小さいような、、、。
これが満開ともなれば
もっと青い絨毯になるんだと思いながら。


今年、誰にもみられず
咲いているのでしょうね。


もったいないけれど、
いつもは、見れない風景を
管理人の方が独り占め


悲しい気持ちかもしれないけれど
めったに見れない風景をみていることでしょう。


今年、行こうと思ってるいたけれど、仕方がないこと。

来年の楽しみにしょう。

花を愛でることは、
この上ない平和なしるしだと
いまいちど、噛み締めるような初夏となる。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友達の誕生日に

2020-04-09 21:22:00 | 日記
大人になってから
親友と呼べる人が
嬉しいことに数人できた。

品物のやりとり
誕生日のやりとり

相手のために使う時間は
自分のためともいえたりする

選んだり
手紙を書いたり
何か作ったりして
その時間は
とても楽しいものだ。

もちろん、心の交流が一番だけど
たまには、特別な日
スペシャル感がよい。

今度の日曜日に誕生日の友がいる。

2ヶ月前から
私は、花屋さんに行っては
何かドライフラワーになるものはと。
探しながら
ドライフラワーを作りながら

手作りのアクセサリーが大好きな、その友には、こちらも、手作りのものをとハンドメイドの物を
バースデープレゼントすることにした。

2ヶ月かけて
かき集めて作ったドライフラワーでつくった『シーリングスワッグ』と

まだ、初心者のワイヤークラフトにて、イヤリングスタンドを。


作っている間は、
全くの自分のオリジナルさに酔いながら、どんな顔をして喜んでくれるだろうと思いながら。

楽しかったー。

自分のための時間でもあるのよね。

周りで、ぼちぼち新型コロナウイルスの感染者が出始めたことで
恐怖も出てきた矢先のこと。

作っている間は、
そんなことも忘れて没頭できた。

不器用で、
雑な私が、こう言うことにハマるとは。

おかしいけれど、
何よりも『好き』なのが一番。


シーリングスワッグは、
明るめの色に仕上がるような花ばかりを集めたドライフラワーの花束にした。









イヤリングスタンドは、
昔々の私のウェディングで使用した帽子の白いチュールと花を使った。
波と三日月をイメージ

イヤリングをぶら下げると
お星様にみえるかしら。





今日、早々と、
友達に渡しに出かけた。

カフェに行きたいところをグッと我慢して、コンビニの駐車場にて、手渡す。

本当に嬉しい時には、
ハニカム癖のある友。
下を向いたまま、ニンマリしている。

これは、なかなか良い感じ。

楽しませてもらえて
喜んでもらえて
心がホッカホカ

ちょっと、寒々しい日々に
温かな小春日和のような日になった。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の月命日と3.11

2020-03-11 14:08:00 | 日記
あの、3.11から9年

そして、
うちの母親の月命日

大好きだったコーヒーを
そっとお供えした。


手をあわして
いろんな話をしていた。

叔母から
前に言われていた写真を
探さなきゃいけないよって。

それが
どれだけ
まだ、辛いか。

けれど、姉を亡くしたことになる叔母とて、叔母自身の行く先々を見つめる年となってしまった。


良い写真を探さなきゃね。


朝からなんとなく
沈むような
切なさが満載の日


あの、東日本大震災の日

後から洪水が
私のたまたま居たそこにくるなんて
考えられないような場所から
いち早く、年老いた両親のいる家に
帰らなくちゃと
地面が割れた場所も揺れる場所も
水が沸いて2mもの噴水のようになってる道さえ、車ですり抜けて
やっとの思いで家に帰ったとき
ほとんど目の見えない母が
父に連れられ
裸足のまま、家の前の道路に逃れ
私の帰りを待っていてくれていた。

私の顔を見るなり
安堵の顔

私は無事に2人がいてくれていたことを感謝した。

両親の安堵の顔は、
心細さからくるもので
私の顔を見て
両親達が不安から解消されて
自分達がやっと助かったんだと
そう確信のように私が思っていたこと。


今の今まで、、、

いや、今朝まで。


けど、2人の遺影を見ているとき

ちがうな、、これは、、。



親として
娘の私が無事に家に帰り着いたことを喜び、感謝し、良かったと
そう思っていたんだ!
何よりも私の安否だったんだ!
ふと、感じた。


そうだったんだよね。

ごめんね、気づかずに。

わがままな両親だっただけに
自分達のことばかりだったんだろうって、自分勝手だったのは私。


年老いても親は親。

帰ってきた私の安否を
たんに喜んでくれてたんだ。


今朝、それに気づいた。

バカだったなぁ、私。


私が東京にいる、娘を思って
コロナウイルスにかかりませんようと、手を合わすように
自分のことよりも
娘を気遣っている私。


そっくりそのまま、 
私の両親の姿に写し返せば、おのずとその親心が見えてくる。


思いが重なった時
また、嗚咽した。



あの日のことは、忘れない。

今日は
どれだけの人が涙を流すだろう
人を思いやって
親を思い
子を思い

忘れちゃいけない日

人それぞれにあの日のドラマが存在する。

辛さや悲しみの深さは違えども
静かに静かに
手を合わそう


あの日、雪がちらついて
とても暗い寒い日だった


今日は青空の日

陽の光というものは
人を元気にしてくれるものと信じています。













  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする