昨日の夕方だった。
私は庭の隅の水道で、採ったばかりのドクダミを干して、お茶にするために洗っていた。
隣の奥さんが、うちの庭に血相を変えて入ってきた。
足元は少しよろつきながら
『お願い、病院まで車で送ってもらいたいの〜』
2週間ほど前に、その隣の旦那さんが緊急搬送されていた。
奥さんが泣きながら雪崩れ込んできた様子で、私は察知してしまった。
近くに歩みよって、抱きしめる。
嗚咽になって出てくる言葉達。
『分かったよ、乗せていく。だから、しっかり、しっかりね』
今までの経緯は、ずっと聞いていたが、こんなに早いとは、、、。
ドキドキと不安を冷静さに変えなきゃいけないとハンドルを握る。
とても、お世話になってる人がまた1人、天国に召された。
この3週間すこしの間に、3人目となる。
少し、年上のお世話になった人達。
やりきれなくなってしまう。
この3週間と少しの間、何人と、
抱きしめあっただろうか。
抱きしめられずにいられなかった。
相手も、やりきれない思いと一緒に抱きしめて欲しかったのだと話す。
私は本当の意味で抱き止められただろうか。
1週間に1人
また、1週間に1人
そして、昨日、1人
旦那さんであったり、その人の親であったりはしても、当事者の気持ちの悲しみを思うと、今までのお世話になったことがフラッシュバッグしてきて、涙が流れてくる。
しかし、当事者よりも、私は先に激しく泣いちゃいけない思いを我慢すると、何故か、クラクラしてしまう。
人生の中で、
立て続けに、3週間に3人もの人を送る傍らに立ったことは初めてで。
メンタルを保つのがやっとのこと。
あっけない状況のまま、あっけない期間に逝ってしまうことに
なおさら呆然と立ち尽くしてしまう。
数ヶ月前から、小さな町の火葬場や、葬儀場は、フル稼働。
しかも、数日待たされる状況
葬儀屋さんも忙しく、時間の予約の順番に納棺されるため、すぐには、納棺されず、、、と言う事態。
ネットの中に
『超過死亡』と言う言葉。
その意味を去年知ったばかりの私は
その去年が、大変な数字になっていることも知った。
戦後最大に人が天国に召されてしまっていた。
あの、東日本大震災の年なども、
とおに超えてしまっている。
もしかしたら、今年は、その去年を上回る勢いだとも聞く。
小さな町で起こっている、普通ではない光景
それはまさに、『超過死亡』の現実を私は体感してしまっているんだと実感した。
日中の寒暖差があれど、
この新緑のとても良い季節なのに、だ。
冬や夏の厳しい季節なら、いざ知らず。
何が変わった?
何があった?
3人に共通しているのは
みな、コロナワクチンのフル接種者
あまりにも、病気や病巣の進み方が早すぎる。
私も、事務とは言え、病院勤務の経験を持っているので、普通の人よりも、少しばかりは色んな症例を見てきてる。
たまたま、お世話になった自分の周りの人達だけの話か?
いや違う。
まだまだ、知り合いに、そこの予備軍にはいろうかと言う人が数人いる。
かなりのスピードで進行している。
私はまた、誰かを抱きしめるのかー。
いくらでも、抱き止めてあげるけど、悲しい涙の中では
もう少し、時間の余裕を下さい。
ワクチンを打つなかれ!!
6回目なんて、未知の世界の入り口で、何が起きてもおかしくない。
実験のマウスは、6回目の試験で、全て死んでしまっていると言う。
他の国では、ワクチンは禁止されて
大きな訴訟も起きている。
日本だけが6回目の接種に突入なんて。
本来の『日本』と言う国は、どこをどう探せばあるのだろうか。
疑問が膨らんで、疑いしか残っていない。
政治のことは書きたくないと思いつつ
しかし、超過死亡の現実の数値を見よ!!
原因を突き止めようとしない、
その説明を明かさない国に
何の希望が持てようか⁈
本当は、この国も
愛を持って抱きしめられたいのじゃないの?
素直に自己開示しないまま
大切なものに気づかないでいたら
抱きしめても抱きしめても
幸福はやってこないと思う。
田舎の風習が今も残っていて、
亡くなって24時間経たないうちは、
病人と同じ。
赤熨斗での『病気見舞い』と称して、亡くなった方のお宅に伺う。
お通夜、葬儀とは別。
ある意味、濃ゆい付き合いと言えるし、ある意味、厄介な風習だとも言える。
私にとっては、最後のお顔を見て、真にご家族との会話ができる場ではあるけれど、それなりに、悲しみやら、訳のわからぬ、複雑で混沌としてしまう時間。
必死で、前を向き
しっかり生きなきゃ、亡くなった方々に申し訳ないとも、思う時間。