湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

『存在理由〜 』さだまさし

2020-10-30 19:48:00 | コラム
誰でも
生まれた落ちた時
いや、生まれ落ちる前から
存在理由を手にして
生まれてくるんじゃないかと思う 

役立たずだとか
居ない方がいいとか
何の意味もないとか
まったくそんなことはなくて。

少なくとも
自分が誰かのためにいる事
居ることで、誰かを救っていたり
守っていたりするんじゃないかって。

自分に奢り
他人を見下したとき

存在理由が見えにくくなり
信じられなくなるんじゃないか。
自分からそれを投げ出してしまったら、迷子になってしまうような。


人を傷つけることは
少しは誰でもある。

知らず知らずにってやつ。

得てして
心底、故意に傷つけてしまう人は
少ないと思う私は
あまりにもお人好しかもしれないが。


けれど、それでも
互いが
互いを思いやる

思いやる人がいるって
どれほど幸せなことだろう

そこに
存在理由は明確になる。

それが
親に対してでも
連れ合いに対してでも

子供に対してでも
兄弟に対してでも
恋人に対してでも

可愛いペットに対してでも

自分が存在している

守りたいと思うこと
守られていること


誰かが存在している
生きていればこそ

死しても、だよ。

全てに感謝だよね。



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影絵の街のそのあと

2020-10-30 13:15:57 | コラム
夕暮れ  疲れた足で家路を急ぐ
みんな疲れて心をなくしてるから
瞬く間に街は影絵のように
夕陽に貼り付けられていく
さっき登ったお月様にね
あなたの苦しみや悲しみも
一緒に折り紙みたいに、半分に折りたたんで包んでおいたから
影絵の中の半月のお月様が、空で膨らんでいくときに 全て飲み込んでくれそうよ
だから、大丈夫だってば、心配はいらないよ
じきに、影絵のような人は温かな窓の向こうで、ふっくらとした心を取り戻す
街はまた いつものように夜の一色になれば 夜露に濡れながら キラキラと瞬き出すものよ
毎日は繰り返されていく
けれど、昨日と同じ日にはならない
今日には今日の悲しみがあって、明日には明日の喜びがあるものです
下を向いてちゃ影絵の街の一瞬も見れやしない。面白いよ。
そう思えばマジックなんて、どこにだって見つけられる
そう、3年前に書いたけど、もう同じ風景はない。ここのブログも。











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曇で雨で、晴れと雨

2020-10-24 21:30:00 | コラム
訳のわからないお天気

寒いのか暑いのか、、、。

季節の移ろいは感じてはいるものの
行きつ戻りつしながら
日々の生活に楽しみを見出したい。

夏から秋にかけて
家の庭にたわわに伸びたユーカリの葉

花屋さんに行って、覗いては
ドライフラワーになりそうなものを物色

都会に行けば
珍しい花もあるものの

春先に伸びた柔らかいユキヤナギの枝に絡まっていたツルを
適当に巻き取って干してあった

まあるい場所に
うまくおさめらるのかなんて
どこに何を置こうと
手持ちのドライフラワーは限られているけれど

あれこれ
考えているのがとても楽しい。

結局は無難な彩りで
無難な形のリースとなる

絵で言うフリーハンドのように
固定しながら
ある程度の場所は決めていても
固定していく場所が
まっ平じゃないから
次から次に
ユーカリの葉を差し込んで固定していく、、、。

まぁ、ここまでか、、、、

やりすぎるといけない
やらなさすぎるのも寂しい

ドライフラワーだけで
手持ちのものだけで
なんとかしょうとするところがいいのかもしれない。

もし、どれを使ってもいいと
言われるだけの花材があったとしたら、出来上がりの自己満足は
あとの反省と後悔なるだろう
まして、自分の腕の自己嫌悪を呼んでしまいかねない。

少ないから
肯定できる

限られたものだから
自己満足で安堵する

それって
普段の生活と同じかもしれない。

できる範囲
できうることを
懸命にやること

ホッコリと
小さな幸せの塊ができるのかもねー。











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雨引観音へ

2020-10-18 10:01:00 | コラム

先週、突然の吉報
息子の嫁さんの懐妊に我が家は沸いた。

息子は生まれた時からの持病を持っている。
嫁は何もかもわかって結婚して
4年前に娘が授かった。

しかし、その娘に心臓の機能不全の箇所があると、2年前に手術。

そのあと、嫁は私に
『娘の心臓の予後のこともあり、お義母さんにとっての孫は、もう1人でいいですか?』と話していた。


そりゃもう
息子1人の体調の悪い時もあり
孫1人でも産んでくれた嫁に
何を言えよう
親としての感謝しかなかったから
そう言うことを嫁にいい、労い、
納得の心境だった。


だから
第二子懐妊の知らせは
涙で吉報を聞いた


はらはらと
嬉し涙と言うのかな
とめどなく泣いた
心配はあれど、若い2人が決めたことが頼もしくて、有り難くて、、、。

『もう1人増えたら賑やかになると思って。他のことはなんとかなると思ったので、決心つきました』
嫁が和かに言った。


それならばと
昨日は、親としてできることは
神様、仏様にすがること。

昨日、久しぶりの遠出
『雨引観音さま』へ


遠い昔より
子授かり、安産、子供の健康、厄除け、長寿の寺院として
信仰が深い場所の雨引観音さま


護摩木を焚いて、手を合わす
御祈祷していただき、安産を願う


雨は糸のように降り続く、、、。


いつだったか
両親のお骨を高野山に納めるときに降っていた雨に似ていた

そう言えば
場所は違えども
この寺院は、高野山と同じ真言宗のお寺だった。
偶然か必然か。

いずれにしても
真言宗のお経が響き渡る場所だった


冷たい雨は
冷たい空気を連れてきて
コロナ対策のために
各所を開け放したお堂はとても寒かった。


震えるほど、寒いくせに
心は暖かくて
護摩木の炎が、また私の涙を誘った。


ついでにと言ってはなんだけれど
妊活している娘の『子授かり祈願』も
一緒に、、、。

できうることは
こんなことだけ

願わなければ叶わない
子供が全てだけではないことは知っている。


これからの子供は、生きにくい世の中を歩いていくだろう
果たして、子をもうけることが良いのかどうか、、、。

だけれど、子は、親を育ててくれる。


わたしは、
自分の足が痛みで動けなかった、ここ数ヶ月。
歩くことは、なんて素晴らしいのだろう。
歩ける人の筋肉というのは
色んな筋肉によって支えていることを知ると、当たり前が当たり前じゃなく、歩けることは感謝なのだと思った。


子供を、授かることも神秘的で
決して当たり前じゃない。
スペシャルなこと


いつのまにか
忘れてしまっている感覚


今いる自分でさえ、スペシャルなこと。

やるべきことを当たり前だとこなしていく自分も、誰に言われたわけでなく、褒められるわけでもなく、
当たり前に、人並みに『出来た』ことは、感謝なのだと思える。



帰宅して仏壇の前に座ってみる。
ただいまの手を合わす。

無事に
皆が無事に
過ごせていけますように。


ご先祖さまより繋いできた命
どれだけ有難いことか。


昔はご先祖さまの意味さえわからなかった私が手を合わす。


帰り際に寄った蕎麦屋さんで食べた『けんちん蕎麦』が
気持ちも心も暖かくしてくれた流れ。

ほっかほかで、手を合わせることができた。


















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兄の命日の日のこと

2020-10-07 22:35:00 | 日記
先日、3日は、兄の命日だった。
亡くなってから、
早いもので、39年の40年目。

兄は26歳の若さで病気で逝った。
自分が26歳を超えるとき
これでいいんだろうか
いいんだよね。
そうした確認のような気持ちがあった。

若く親を亡くした人は、
親の歳を超えるのが怖いのだと聞いたことがある。

兄妹でも、それに似たことは起こるのだと思う。

まだ、母が生きていた頃。
もう、兄の命日を迎えるのは
本当は母にとって最後だった。

その日、命日の私と母のやりとりを
書いたものが違うSNSで上がってきた。

——————————————— 


もう、長い間の月日がたってしまって
何回目の命日なのかさえ忘れてしまっている。

痴呆がかかった母は
今年初めて、兄の命日を忘れていた。

私が代わりに
兄のご仏前に花やお菓子をお供えをした。

母の介護疲れもあって、
父は数日、寝込んでいたが、
やっと起き出したので
もう何回もパスしていたデイサービスに
出かけるよう勧めて
やっと行く気になって出かけていった。

母と私
痴呆が入っていても
母たるものは母で
何故か私に
父がいないので、ゆっくりするように促す。

どっちが病人かわからないのには
笑ってしまうじゃないの。

ちょうど良い機会だからと
facebookのお友達が
セピア色の写真の旅をしているのを
真似してみようと
母と昔のアルバムを見ることにした。

わらわらと泣き出したり
喜んだり
期待したほどの昔話はでてこなかったけれど
ベッドで2人
顔を見合わせ
耳に口をつけて話かけたりと
あたたかな時間を過ごすことができた。

何故か私の頭の中で
山口百恵ちゃんの『秋桜』と
さだまさしさんの『主人公』がぐるぐるしてる

♪時には 思い出行きのガイドブックに任せ
あの頃という名の駅で降りて  昔通りを歩く〜♪

♪ こんな小春日の穏やかな日は
もう少しあなたの子供で居させてください♪ 


しかし、私の写真が皆無に近い
それに、あったとしても難しい顔をしてる。
幼少期の家庭内の暗さったらなかったもんだね。
それが、私の顔に現れてた。


兄の写真は、やはり、長男である事と
命が幾ばくもないと言われたせいなのか半端なく多い。

じゃ、私はやはり
放牧状態で
小さい時から
1人で生きなさいって言われ続けていたことが
この皆無に近い写真の数が表していたのかな。

それでも
今では何でも笑っちゃう

一枚だけ
私が高校一年のころだろう
兄と近くの夏お祭りに出かけたときのものを
見つけることが出来た。
土のグランドを
兄を車椅子に乗せて
車両が土にめり込む。
重くなりながら、それでも
兄に夜店を味合わせたいと思ったものだ。
のちに、この情景は
夏休みの作文になり
学校の何かの出版物になり
どこかの大会に出されたことはおぼえているが、なんの賞だかわすれてしまった。

その兄と写真を見つけ
感慨にふけっている横で

母は、
さすが、関西のおばちゃんを演じていた。

母は、自分の結婚式の写真を見つけて
『あー、この花嫁さん、うちやけど
なかなかイケてるやんなぁ、綺麗やん』

はい、
参りました(笑)

————————————————-

この頃はまだ
痴呆症といっても、
薬でなんとかマシな日があったり、
私を病院のスタッフと間違えたり。

明日は誰に私はなるのだろうと
女優のアドリブのごとく
対処しながら
気遣いながらいたんだっけ。

一つの部屋に一緒にいるだけで
『そこに居る』
それこそ、存在理由

悲しいことも
嬉しいことも

過ぎてみれば
兄のことも
母のことも
父のことも

もう、笑顔しか思い出せない。

やっと、そんなふうになれた。

涙はまだ、抑えることはできないけれど、
あの頃の涙と
今の涙は
全く違うもの。

『今日も元気にしてる?』
毎朝、毎晩に
3人の名前を呼ぶときに 
聞いてしまう。

どうか、幸せにいてね。

笑っていてね。








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