湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

しあわせのなみだ『長渕剛』

2019-04-30 00:15:47 | コラム
しあわせの涙を流す時
それまでの
経緯や苦労や悔しさがあって
それが何かの形であらわされた時
しあわせの涙を流すのでしょう
 
 
 
もう一つの涙
サプライズで
突然起きる出来事
とびっきりの喜び事で
泣いてしまうなんてこと
人生の中で何回あるだろうか
 
 
 
流す涙の裏側もなく
純粋に涙を流せるのは
ある程度の年月を経て
欲もなく
我が身のためでなく
家族や思う相手がいてこそ
何の裏側も
経てきた道も
後悔も悲しみもなく
ただ、喜びに湧き上がる涙は
そうそう経験できるものではない
 
 
しかし
人を見て
生き様をみて
安堵の喜びとして
つつーっと一筋の涙が
出てしまう時がある
 
 
喜びというほど大袈裟ではなく
おそらく感動に近いものかもしれない
 
 
大丈夫?
大丈夫だよ。
 
大丈夫?
大丈夫でないでしょ?
 
大丈夫?
大丈夫じゃないけど
大丈夫でいてね
 
 
 
今日は天皇陛下、皇后陛下
ご退位の日
 
 
これからは、
肩の荷を降ろして
ゆったりとした時間をお過ごになられますように
今までは、大丈夫でなくても
大丈夫だと装わなければいけなかったかもしれない。
 
 
安堵と安らぎの時間への涙
 
お疲れ様の涙
 
 
 
 
 
 
 
 
『しあわせのなみだ』
歌:長渕剛
作詞:長渕剛
作曲:長渕剛
 
 
何もかも回りが見えないくらい
あなたのことが好きなの
幾日も幾日もあなたを想い
待ちわび探し続けているの
 
ねぇどこにいるのわからなくて夕暮れの道を
くる日もくる日も駆けてった
逢いたくて逢えなくて泣きながらわたし
ひとりぼっちの帰り道
 
だいじょうぶじゃないけど
だいじょうぶでいてね
しあわせの涙
流したいな
流したいな
 
Ru Ru Ru…
 
さよならすることになるなら
もっと優しくしとけばよかった
悲しくて悲しくてやりきれなくて
「ごめんね」空につぶやいてみた
 
生きる喜びも悲しみもずっと二人で
やっていけると信じてたのに
逢いたくて逢えなくて泣きながらわたし
ひとりぼっちの帰り道
 
だいじょうぶじゃないけど
だいじょうぶでいてね
しあわせの涙
流したいな
流したいな
 
Ru Ru Ru…
 
 
 
薔薇 プリンセス ミチコ
 
 
 

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好きと嫌いの話

2019-04-29 09:02:29 | コラム
昔、高校生だったかな
 
いまでは
どの先生から聞いた話やら
さっぱり記憶にございません
 
 
けれど
気だるそうに
頬杖ついて聞いていた私に
ぱぁ〜と目を見開くような
素敵な話を聞いた
 
 
いまだに
忘れられない言葉たち
 
 
 
好き好きで言うならば
普通で始まったものは
いつまでたっても『普通』のまま
だがしかし
大嫌いから始まったものは
『大好き』になる要素を含んでいる
 
むろん、大好きから始まったものは
『大嫌い』になる要素も含む
 
 
名前も忘れた先生がそう言った
 
 
この言葉たちを
体感しながら
現在に至るわけで
まだまだ現在進行中の中のこと
 
 
思い返せば
色んなことに言えることで
意識があるから嫌いなので
何かしらの変化が加わって好きになる
 
 
ギャップ萌えだって
この一つなのかもしれない
 
 
そう言えば
「嫌い嫌いも好きのうち』って
聞いたこともある
 
 
インパクトが強いほど
覆す要素もあると言うこと
 
 
よくある第一印象
大嫌いなタイプだったといいながら
結婚していく人を沢山見てきた
 
 
どうやら
人は、好き、嫌いの気持ちより
その時の
強い引き合いの糸の
張り具合に絡んでくるのでしょう
 
 
頑なに
縛ったあとに
 
緩んだ時の心地よさにも
似ているのかもしれない
 
 
じゃ
花びらを一枚一枚はがして占う
花占いは
たとえ『嫌い』だとしても
どちらも『大好き』と言えることになる?
 
 
あまり深く
追求すると
ストーカー心理に近くなるかしら?
 
 
 
 
 

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ダーニングに必要なもの

2019-04-28 07:10:42 | コラム
『ダーニング』という
日本で言うところの、衣服の破れや
薄くなった生地をかがったり
繕ったりすることを
イギリスでは『ダーニング』と呼ぶ


しかし
日本とちがって目立たなくするのではなく
あえて、カラフルな糸を用いて
刺繍のようなことをほどこし
ワンポイントのデザインのように
してしまうと言う修繕技術


昔からイギリスでは
おしゃれな繕い方をしていたんだねーって


私がそのダーニングと出会ったのは
数ヶ月前の手芸の本だった


見た瞬間から
どうしても自分でやりたくなってしまった


しかし
すんなりそこに入りたくても
入れないわけ‥‥


ダーニングには
木でできた『ダーニングマッシュルーム』と言われる、まさにキノコ型の繕い台のようなものが必要だった


そのキノコの型の下あたりを手に持ち
生地をキノコの頭にかぶせ
繕う場所を特定し、固定してから
毛糸や糸をその場所で織り成していく


生地や繕う場所によって
長いの短いの
細いの太いの
頭が大きいもの、小さいもの
様々な木の種類にもよるところの
数の多さ


ダーニングには必要不可欠な『ダーニングマッシュルーム』の存在である



案外、お高いのです。
それに種類も多いとなると
どんな風なものを買えば良いのか⁈



初心者は扱いやすいものを
調べることが一番だと。


それから私の
ダーニングマッシュルームを探す検索の日々が始まるのだが、、、、。



今のAIの技術って
すごいもので
検索エンジンにワードを入れるだけで
ズラーと品物が並ぶ


サイトごとにそれを見たりする


すると、スマホを開けるたびに
サイトで見たものが
広告として貼り付けられたりする


いかがですかー?
これ、探してましたよね?
こんなのが入荷しましたよ?


そんな風に、、、。
画面の大半を占めるような写真
スマホを開けば否応なしにでてくる


ダーニングマッシュルームの
木型のキノコが
ズラーっと写真に並ぶわけで。


しかし
しかし、なのだ、、、。


私には、ダーニングの為に探している木型


時折、友達に会った時に
写真を見せ合ったり
スマホを提示したりして
会話そのものがスマホを介して行われたりする


ほら、それ、このサイトに出てたよー
なんて、スマホを見せる、、、。


友達に見せた場面の下半分ぐらいが
木型のキノコだらけ、、、。


ダーニングを知らない友達は
『あんた、、なにを、、、探してるの』


そうだった、そうだった。
訳のわからないキノコが山ほど。
知らない人は、不振に思う


私だって
いくサイト、サイトに
キノコ、キノコ、キノコだもの


笑ってしまって
コーヒーを一度吹いたことがあった


AIの技術は素晴らしい
わかったよー
まいったよー


ってことで
一番初心者が手を出すムック本を購入


一応、本とダーニングマッシュルームと
必要な毛糸が色とりどりに入ってる


さぁ、可愛らしく
ダーニングを初めてみようと思う


諦めていた、お気に入りの服の
シミがついて落ちない場所や
引っ掛けて穴が空きそうな場所を
可愛くリメイクできたなら
嬉しくなると思う


あとは、、、は。


スマホの画面から
キノコが消えることを祈ろう





















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欲について、ナポリタンの場合

2019-04-27 14:02:00 | コラム
人の欲というのは
どこまでも貪欲で
どこまでもコントロールしにくくて
 
 
表し方を違えば
汚くて哀れなもので
 
 
 
それでいて
憎めなくて
奥底が深いものだから
時として許せなくなるときもあったりして
単純に
たんなるパワーの源になったりもする
人間にある大三欲求である『欲』と付いたものは
煩悩と
どう違うのかなんて
考えたこともなかった
ただ
雑誌で見つけたナポリタンを
食べたくて食べたくて
仕方がなくなったから
今日は自分で作って
その欲を満たしただけ
 
 
欲を満たせば
後は、たんなるナポリタンの記事になったってこと
手間ひまをかけるという
パワーの源にはなったので
それはそれで良かった
欲もなければいけないし
欲がありすぎてもいけないし
色と形が常に変わるもの
 
 
バックボーンやシチュエーションによって
様々に移りゆくもの
 
 
 
満足感と充足感
 
 
 
とあるアメリカの詩人が言ったとか
 
 
『君が笑えば世界は君と共に笑う
 
君が泣けば君は一人きりで泣くのだ!』
 
 
 
 
そうだ!
 
 
私は笑う
 
 
 
ささやなか欲求を満たし
 
 
ナポリタンを食べ、笑うのだ!
 
 
 
 
#ナポリタン
 
 
 
 

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『主人公』さだまさし

2019-04-26 19:32:22 | 日記
私は昔から地図が好きだった

指でなぞり

道があって駅があって

あの有名な建物があってって



まだ、カーナビが無かったころ

行き先には

道路地図が必要だった



けれど、お家や店の名前は

住宅地図の写しや

人に聞いたりしなきゃいけなかった


地図の強い女ってどうなのよ

旅の道連れって

ナビゲーターにはもってこいよ!って

そこで主張するも

道の分からない女の方が

可愛らしく映るのは知っていたけれど



街は動く

いつまでも地図のままではなく

新しいものに書き換えられていくもの



だけど

いまだに地図は好きなものの一つ



きっと

行ったことのない場所や

行ったことのある場所を

思い起こしているのが好きなのだけかもしれないけれど



今は

スマホやパソコンの中

指ひとつで散歩ができてしまう



懐かしい場所が目の前にあったり

行ったことのない場所が

自分の思い描いたものと違ったりする



道ひとつ



違ってれば引き返すことは

簡単になってしまったけれど

街もまた

動いているから

昨日有った場所は今日は無いかもしれない



♪時には思い出行きの
ガイドブックにまかせ〜♪ と始まる歌


さだまさしさんの『主人公』は
昔をなぞりながら
今を見つめている

精一杯の今を生きようと鼓舞している


歌の出だしがこうして繰り返されて
鼻歌が出てくる日は
何故か
高校時代に想いを馳せていることが多い


まだ、青かった自分だけど


もし、あの時をもう一度生きろと言われたら、どうしていたんだろうって
時々思ったりする



『主人公』 さだまさし


時には 思い出行きの
旅行案内書にまかせ
「あの頃」という名の
駅でおりて「昔通り」を歩く
いつもの喫茶店には まだ
時の名借りが少し
地下鉄の 駅の前には
「62」番のバス
鈴懸並木(プラタナス)の 古い広場と
学生だらけの街
そういえば あなたの服の
模様さえ覚えてる
あなたの眩しい笑顔と
友達の笑い声に
抱かれて私はいつでも
必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんて
あなたは嫌ったけど
時を遡る切符があれば
欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上精一杯生きる
そうでなきゃ あなたにとても
とてもはずかしいから
あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公
時折思い出の中で
あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと







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