湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

大阪市中央公会堂

2018-04-28 20:38:36 | 日記
私が中学一年の時
バレーボールと珠算教室との掛け持ちをしていた。


年の違う従姉妹は、
すでに結婚し子供をもうけ珠算教室を開いていた。


男子2人だったので、珠算教室をいずれ私に継がしたいと思っていたらしいが
私が相談もせずに、バレーボール部に入ったので、大変怒っていたらしい。


珠算とバレーボールとは相性が悪い。
ピアノとも、バレーボールは相性が悪い。
指にボールが当たるため、指の節々が太くなり、細かく早いパフォーマンスは無理になると言われていたからだ。


バレーボールを辞めたくない私は、
珠算も辞めず、なおかつ、
時々は、珠算教室を手伝うことを条件に
しばらく、二足のわらじ生活をしていた。


しかし、小さな子に、珠算を教えるのは楽しい時間だった。
珠算で生活していけるなら、このままでもいいかとも思っていたりした。


しばらくして、私の兄が入院することになった。
母は付き添い、私は家事一切を仕切り、バレーボール部も、珠算教室もお休みすることとなった。


兄は既に持病を持っていたがために、
特殊な病気から、当時住んでいた家から
車で2時間の場所に入院した。
まだ、関西空港も出来てない時代。
高速道路も、全てが繋がっていなかったとき。


父と2人の生活。
しかも、家族4人で暮らし始めてから3年目。
事情があって、離れ離れの生活を経てやっと家族一緒にと暮らし始めてから、あっという間のこと。
また、家族が離れてしまったことになったせいか、毎日のように、父は病院に行くと言う。
私も家事を終えて一緒にいく。


その最中、珠算教室の従姉妹から連絡がはいり、どうやら、私は、珠算教室からの推薦で、最優秀の生徒だと表彰されることになったと言う。


それまで、なんの取り柄もなく、まして、表彰されたこともなかったため、父は喜び、その表彰の日は、休んで連れて行ってくれることになった。


場所は、大阪市の中之島『中央公会堂』
その時さえも、かなりレトロな建物だった。
第一次世界大戦のすぐ後に建設されたもの。
古びた建物が、より表彰されること自体の重みが感じられた。
むろん、表彰されたのは私ひとりきりではなく、沢山の方々が来ていたが、
来賓の人がどれだけ偉い人達なのかは、私は全くわからなかった。


興奮した面持ちで、
半泣きしていたような父は帰りの道すがら
いつも立ち寄るドライブインで
『今日は、どれだけ高いものをたのんでもいいから』と言ったが、
結局頼んだのは、いつもの大好きな『ハンバーグ』だった。

それから、長い年月がたった。



辰野金吾と言う、建築家を知る。


知る人ぞ知る、東京駅や、日本銀行を設計した近代日本の建築家として有名な方だった。

うちの相方の出身である温泉の楼門を作った方でもあるし、私がかつて表彰された、あの大阪の『中央公会堂』も設計されたことを知った。


あちこちで関わっていた場所に
一本の思い出の線のように
浮き上がる名前。


そんな思い出を何の気なしに
親友と話をしていた。
『うんうん』と静かに彼女は聴いていた。


つい、1週間前に
その親友は大阪に旅行した。
沢山の場所に足を運んだらしい。


そして、『実は行ってきたの』って
100歳になった『中央公会堂』に寄って来たと、そのお土産を持参してやってきた。


少しでも私が父との思い出を
大切にできるようにと、公会堂の中のショップでお土産を買って来てくれたのだった。


嬉しかった。
唯一の父と2人だけの思い出の場所。


ちょうど、100年のアニバーサリーのポストカードと、ピンバッチを手に入れた。


有り難くて、うれしくて、涙が出そうになった。

その建物があったからこそ
話ができ、その姿を確認できる

思い出も溢れた。

建物とは
たんに箱物と呼ばれるわけでなく
色んな思い出も一緒に連れて年を重ねていくのだと、あらためて思ったこと。


できるなら
私が再び、その前に立てればと思う。








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開運福寿の秘伝

2018-04-28 19:16:54 | ポエム
母の荷物の中から
出てきたA4の用紙が2枚

印刷している文字からすると
どこかのお寺さんの言葉だろうか



あまりに当てはまるので可笑しくて
日本語ってすごいなぁって思ってしまう。


『開運福寿の秘伝〜心の鏡の巻〜

1、高いつもりで 低いのは 教養
低いつもりで 高いのは 気位

2、深いつもりで 浅いのは 知識
浅いつもりで 深いのは 欲

3、厚いつもりで 薄いのは 人情
薄いつもりで 厚いのは 面の皮

4、強いつもりで 弱いのは 根性
弱いつもりで 強いのは 我

5、多いつもりで 少ないのは 分別
少ないつもりでも多いのは 無駄


チクッと、心が痛い?(笑)


開運には心の鏡が必要なのか?

『人の振り見て我が振り直せ』って言われてますから。

明日は我が身、指を指されぬよう

自分に信念と思慮、
そして、謙虚を言い聞かせていれば
多少のことは歩いていけるかなぁ。




朝陽を浴びたコデマリ
白は汚れがないと改めて
色のパワーをもらいました。




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久しぶりの夕焼け

2018-04-28 02:16:44 | ポエム
このところのお天気は
夕方になると不安定で
春から初夏は
いつものように空は
霞がかかって
私の大好きな夕焼けに
あまり出会えなかった


今日は
両親の使っていたお布団や
服の一部を資源ごみセンターに持っていったんだよ

あの時
この時

そうそう
これを着ていたゎって
鮮やかにその時が蘇る


それでも
着る人をなくした其れは
もはやゴミでしかないの


悲しいかな
それは、私が買ってあげたもの
ああ、それは、孫娘が買ってきたもの
その時の嬉しそうな顔さえ思い出す



親を温めてくれてありがとう
素肌に触れて守ってくれてありがとう
綺麗に着飾る事ができてありがとう



そう言いながら袋に詰めていく


少し
少しだけ胸が苦しくなった


まだ
まだ
果てしなく続いていく‥


忘れたいから
早く片付けたいのか
忘れたくないから
このままで居たいのか
もうわからなくなってしまった


探していた写真が出てきたり
何をどれだけ大切にしていたかが
わかるだけに
思わず胸に押し当てて
涙が止まらなかったり



ここにはもう居ないんだって
何度も何度も納得させられていくように
こうして片付けをしていくものなんだね


2人を亡くしたことは
私の生涯で
これほど泣いたことはない出来事だった


もうそろそろ
やめなきゃ気持ちが保たないと
この辺で今日はやめた
手を止めて
車で用足しにでた時


地球の空気の層が裂けて
太陽の光が差し込んでくるような
夕焼けに遭遇したの


そうねー
物質なんて
所詮なくなっていくもの
だけど
私の胸のうちだけに
微笑んでる2人がいるんだと
思わなきゃって


私の明日は
本当の明日は
まだまだ先にあるんだろうなぁ
って思いながら
オレンジから移りゆく夕焼けを見ていた


あれだけ泣いたあとだけど
霞んではいなかった










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