「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

名前を与える

2005-07-04 | つれづれ
先の見えない不安や恐怖にかられることがある。「どうしたらいい」と考えても、その不安の実態がみえないと対処のしようもない。いってみれば真っ暗闇(蛇足ですが、真の暗闇って、まさに鼻をつままれてもわからないんですよね。以前「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントに参加して思い知りました)で自分がどこにいるのか、上下左右も不明な状態だと次の一歩を踏み出すことさえ恐怖で難しい、立ちすくむしかない。

不安に名前が与えられると、つまり「その不安はほかの人たちも経験している。××という状況だよ」と言われるだけで、気持ちはかなり変わる。もちろん、状況に変化が生じるわけでもないし、不安がなくなるわけでもない。解決していないのだから。だけど、はるか遠くであれ、ほんの微小な光ででもあれば、暗闇の中にわずかな濃淡ができるのと同じように、不安に名前が与えられるとほかのものとは区別することができる。対処の仕方を考えることができる、解決へのヒントが与えられる。きっと天然痘など、最初は得体の知れない形で人が死んでいく恐怖に怯えた人間が、それに「コロリ」などの名前を与えて病気であると認識したことから、対処・治療の方法を考えられるようになったように。

「名前」が正確かどうかは問わない。歩みだし、じたばたしているうちに本当の名前がわかる可能性だってある。とにかく動かなければ何も変わらない。そう思う。

PS 文中で書いた「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」ですが、今年も開催されるようです。詳細は、プロジェクトのページをご覧ください。ユニークな催しです。