惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

8-10/Apdx. (ver. 0.1)

2010年04月24日 | MSW私訳・Ⅲ
第8章 人権(human rights)

8-10 結論

この、まったく簡潔すぎる議論についてのわたしの結論は、普遍的人権は完璧に良識にかなうものであり、地位機能をくっつけられうる地位としての人間であるという事実を扱う上で論理的な障害はまったくない、ということである。これらの地位機能のうちで権利義務力が人権と呼ばれる。人間の生と社会のある完全に自然的な概念は、普遍的人権が存在するという信念と矛盾しない。それはお金や私有財産や政府についての信念と存在が矛盾しないことと同じである。わたしはさらに、人権を正当化し、ひとつの特定の人権一覧表を創出するようないかなる試みも、人間本性の概念と、特定の価値の集合の両方を必要とするだろうと主張する。わたしの説明において人権についての議論は倫理的に中立ではありえない。このことはそれが任意的であるとか、どうでもいいということを意味しない。わたしは、言論の自由の権利はひとつの有効な普遍的人権として認識されるべきであると考えることの理由を、わたしはもたらしうると思う。たとえそれが事実としては、ある特定の、非常に特別な種類の共同体と文化においてのみ育つものであったとしてもである。その正当化は、普遍的に共有されているわけではない基準の集合に対して相対的であるだろうという事実は、それらの基準を任意的あるいは無効なものとするわけではないのである。

8-A 付録

論理的な関係を量化形式で綴ることを好む人のために、以下にそれを簡潔にまとめておく。各々の式とともに対応する普通の日本語[原文は英語]文を付す。

・普遍的人権(UHR; universal human rights)

(∀x)(生物学的人間x → xは地位S(SゆえにxはUHR(xはAを行う)をもつ))

生物学的人間であるものは何であれ人間の地位をもち、かつその地位ゆえに、ある特定の種類の行為を行う普遍的な権利をもつ。

・消極的普遍的人権(NegUHR)

(∀x)(xはNegUHR(xはAを行う)をもつ → (∀y)(yは責務(yは妨げない(xはAを行う))のもとに置かれる))

もし誰かがある種の行為を行う消極的人権を持つならば、他のすべての人はその行為を行うことを妨げないという責務のもとに置かれる。

・積極的普遍的人権(PosUHR)

(∀x)(xはPosUHR(xはAを行う)をもつ → (∀y)(yは責務(yは保証(xはAを行う)の行為を行う)のもとに置かれる))

もし誰かがある種の行為を行う積極的人権を持つならば、他の人類全員はその人がその種の行為を行うことを保証するために行為する責務のもとに置かれる。

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