今まさに人生の終焉に向かいつつある彼らを、
観察し続ける立場にある、
その、わが身の光栄を思うとき
見合うだけの代償を差し出さなければならないのは、自明の理だ。
そう思う。
死神が、いつ彼らを刈り取るか
そんな
彼らの、一秒一秒の生を維持する援けを
みずから望んで、引き受けた自分を振り返るとき、
真剣に酔狂をやるのだから、
痛みくらいで済まないのは当たり前だ。
そう思う。
畏れおののくわが身を自覚しながら、夜明け前に祈る。
かみさま
何処にいるのか分からない、かみさま、
どうか、わたしに
無私の心を
ただ愛することのよろこびを
ありのままに君を映す瞳を
見えないラブレターをつづり続ける勇気を
どうか、わたしに
お与えください
どうか、わたしに
お恵みください
**************
午後11時、祖父母宅の外へ出たら
私の希望に反して
外は無風、雨もなく
自転車を漕いで自宅へと向かいました。
曇天の夜空を仰ぎ見て、思ったことを、書き残しておきます。
観察し続ける立場にある、
その、わが身の光栄を思うとき
見合うだけの代償を差し出さなければならないのは、自明の理だ。
そう思う。
死神が、いつ彼らを刈り取るか
そんな
彼らの、一秒一秒の生を維持する援けを
みずから望んで、引き受けた自分を振り返るとき、
真剣に酔狂をやるのだから、
痛みくらいで済まないのは当たり前だ。
そう思う。
畏れおののくわが身を自覚しながら、夜明け前に祈る。
かみさま
何処にいるのか分からない、かみさま、
どうか、わたしに
無私の心を
ただ愛することのよろこびを
ありのままに君を映す瞳を
見えないラブレターをつづり続ける勇気を
どうか、わたしに
お与えください
どうか、わたしに
お恵みください
**************
午後11時、祖父母宅の外へ出たら
私の希望に反して
外は無風、雨もなく
自転車を漕いで自宅へと向かいました。
曇天の夜空を仰ぎ見て、思ったことを、書き残しておきます。
基本的には年功序列…
のこして逝く方も
のこされる方も、
日々の中で感じたり思ったりするコトは
すべてが「試練」で「ご褒美」なのかもしれないね
「お葬式に子供の声がするのって、いいことよね。
命がめぐってる感じがして。」
と言っていました。
少しずつ赤ん坊のようになっていく大じじと、
にこにこ成長する子供たちを見ていると、
「ああ、こうやって命はめぐるんだな。」と思います。
上でひめさんがおっしゃっている
>終焉という名のはじまりの準備
最近とても実感しています。
私たちははじまりの準備をほんの少し
お手伝いしているのかもしれません。
ばあたんが、今ほど症状がひどくなる前(2ヶ月くらい前)まで、
時々、私に言うことがあった言葉を思い出しました。
「”Man is Mortal ”(人は死ぬ存在である)だからね」
上手く返事できんけど、
感じ取ってくれたこと、コメントしてくれたこと。
ありがとう。
その、親戚の方の感性、素敵ですね。
人を看取るということ。
人を養育するということ。
背反するかに見えるこの二つのことには
大切な、共通項がありますよね。
すなわち、無償の愛を注ぐということ。
ほんの少しのお手伝いの作業、
いとおしみながら、していきたいですね。
コメントありがとうございます。