第390話 家族葬

2011年10月24日 21時39分38秒 | Weblog

「おばあちゃんが、亡くなったって」
「何が、なくなったの?」 息子にどう説明したらよいものか・・・

十月十七日、祖母(私の父方の母)が亡くなり、十八日が通夜、十九日が告別式となった。
危篤状態となってからの日々の中、いつかおとずれる日のことを覚悟はしていても、
いざ現実となると、たった2日間で?の思いがぬぐいされない。

斎場について、驚いた。
ホテルロビーのような受付・ご記帳場。
待合室にはご会葬者用の軽食とドリンク(コーヒーやジュース)が用意され、
不謹慎にも結婚式場(サービス)を思い出してしまう上質空間に仕上がっている。
喪主のお礼状とお清めの塩が添えられている会葬御礼(の品)に加え、
「御会葬御礼(状)」として故人の人柄や思い出、感謝の想いや不行届きに対するお詫びを
かけつけてくださった方々に伝えることができるのが嬉しい。
葬儀は和のイメージであったが、和洋折衷のおもてなし空間となっていた。

夕刻、納棺の儀が行われる。
親族が少しずつ手を添えながら、祖母の死装束を整えていく厳かな時間。
祖父の時は納棺後の対面であったが、
空の棺に芳しい納棺茶を、次に緑美しい納棺樒(葉)をしきつめていく。
湿気をとるため、
ドライアイスで遺体の顔が黒くなるのを防ぐためなどの由来をききながら棺の中を整え、
六文銭(三途の川の渡し賃)を祖母の胸元に入れた時、
ストンと私の中に何かが落ちていくのを感じた。
死に輝く白(衣)と生命の象徴であるかのような樒(葉の緑)のコントラストの美しさ。
ひとつひとつの過程に立ちあい、ゆっくり向かっていくこの儀式のあたたかさを初めて感じた家族葬。

いよいよ骨上げ。
おそるおそる入る。
おばあちゃんが、骨だけになった。
おばあちゃんの喉仏は本当に美しかった。
骨壷に入らない大きさの骨は少しつつくともろく壊れるとの説明を受けたが、
骨を砕く勇気はなく、小さな骨を砕かぬよう、そおっと入れた。


※家族葬とは家族だけで、少人数で送る式ではない(ことを知る)
 家族、親族だけではなく、故人のことを想ってかけつけてきてくださる方々のための、式。
 おばあちゃんの葬儀告別式はとてもいい式であったと思う。


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