第275話 大きくなったら

2010年01月28日 00時44分38秒 | 子育て・「おママごと」

先日、息子と共にNHK「おかあさんといっしょ」を見ていた時のこと。
体操のおにいさんが「大きくなったら何になる?」会場のちびっこに質問。
男の子が「カエル」と回答。カエルって!(笑)
続いて、体操のおねえさんが質問。
次の男の子も「カエル」って。 伝染しちゃうんだよなぁ~なんて思いながら、
ここはひとつ、息子に質問。「Kは大きくなったら、何になる?」
「にんじん」
へぇ・・・なんだかよくわからないけれど、
大きくなったら、小さくなるこの感性。すごすぎる。

「おかあさんといっしょ ファミリーコンサート」がなければ、
私、晩ご飯を作れないんじゃないかってほど助かっている。
Kが繰り返し見すぎている。
息子に便乗し、主人が歌のおねえさんにハマっているのもうすうす。
親子揃って・・・と思いながらも、私もいつの間にか 歌詞覚えてる。
万一、さんまの夢叶えたろかにあたったら、
「歌のお姉さんになりたい」って言ってみようかなぁ
なんてかなり本気で思い始めてしまうではないか。

そんな矢先、息子から質問を受けた。
「ママは大きくなったら、何になりたい?」
「歌のお姉さんになりたい」と返したら、息子が笑っていた。失敬な。
「じゃあ、Kは何になりたい?」
「歌のおにいさんの青のズボン!」 ズボンの方かい! 私も笑ってやった。
にしても、やはりすごいと思う。その選択肢の広さ。

にんじんになろうとしたらどうしたらいいのか?ズボンになるには・・・と考えると、
司法試験に合格する方が可能性としては大きいのではないか。
努力すれば、なんとかなるのではないかと大人をその気にさせる子供の発想って、
やはりすごいと思う。

息子を育てながら、この子は何が得意なのかなぁ、将来、何になるのかなぁ
私の内面に主人の殻を被って、どういう命でこの世に生を受けたのかなぁ
まったく想像もつかない未来にワクワクしてしまう。

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第274話 いく歳くる歳

2010年01月27日 23時39分07秒 | Weblog

息子にハッピーバースデーの歌を歌ってもらいました・・・嬉しかった。

今日から、新しい歳の始まりだね。
これからもとーまchanらしく、素敵に歳を重ねて下さい。
K君の健やかな成長も楽しみにしています。

結婚してから、私宛の年賀状が減った。
職場結婚だったせいか、どうやら主人の名に吸収されてしまったようだ。
私は○○君ママと呼ばれるのが嫌いではないし、外で働いているので、
ドラマでよくある
「○○さんの奥様だとか○○ちゃんのママと言われることが・・・」とまでいかないが、
連名で送っても、自分の名がなく返ってくるのはなんとなくさびしいものだ。
そこにきて、去年、久しぶりに届いた旧友からの新しい歳の始まりメール。嬉しかった。
仕事帰りに、あの頃(高校時代)の「私」にかえる。

このメールをきっかけに、現在、お互いのブログを行き来しあう仲となっている。
意外だったのが、
携帯メールで見ることのできない彼女のもう一つの顔。
私は子育てしている私を前面に出す私生活赤裸々ブログ。
に、対して、彼女はお子様がいるのか結婚しているのかどうかも謎ブログ。
○○さんや○○ちゃんをあえて前面に出さない「私」ブログ。
あぁこういう自己表現もあったのね・・・思いもよらなかったわ、である。

今更この赤裸々ブログをミステリアスブログに方向転換できないしなぁ・・・
なんて思っていたら、
私の顔を知らず、ブログを読んだ後に私と対面した方が言ったことを思い出す。
その方から「文体からもっとクールな方だと想像していました」と。クール・・・? 
へぇ~赤裸々ブログだと思っていたけれど、実物と開きがあるのかも?
私ももう一つの顔を持っている??

恥ずかしすぎて、長すぎて、自分ではあまり読み返したことがないこのブログ。
年単位で見ると、私はどんどん変わっていっているのだろうか・・・
どんな歳になり、どんなことを綴っているのだろうか・・・
あぁ また一つ歳をとってしまった(笑) 私だけのいく歳くる歳。

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第273話 Kのくちばし

2010年01月26日 05時37分49秒 | 子育て・「おママごと」

私に絵心があれば・・・と思う。
文字を連ねながら、これを絵にすれば一目了然、クスッと笑えるシーンなのになぁとか、
4コマ漫画にしたら忙しい方でもサッと読めるから、
もっとたくさんの方に見ていただけるのかなぁとか。
Kのくちばしを見ながら、子供の愛らしさを絵で表現できたらなぁ・・・とつくづく。

私は子供が集中している時にみせてくれる、
上唇がくの字にとがっているくちばしを見るのが大好き。
なかなか集中しないうえ、たとえ集中していても、唇がとがるパターンでなく、
口がひらいていき、よだれがダラダラになるパターンもありで、
なかなかお目にかかれないKのくちばし。
たまにおっ唇がとがってきたと思う時は、
そっと上から眺めたり、ななめ後ろから眺め、楽しんでいる。

後ろ姿で語る愛らしさもまた。
ズボンをきちんとはくと、通常おしりのぬいしろが数字の1のラインを描くのだが、
慣れぬ手つきではいたズボンのセンターがノの字によれている。
斜めノの字のまま遊ぶ後ろ姿を見ては、笑っている。
うんちの重みでノの字が1に正されることがある。
M.C.ハマーばりにズボンがのびる・・・(あぁ懐かし)

「どっちだ?」
小さな手をグーにするから、さらにちっちゃくなった両手を前に差し出す。
あのぉ手からはみ出して、隠しているつもりの新幹線が見えているんですけどぉ
ってシーンを4コマ目に描きたくなる。

当然、新幹線が見えている方を指し「こっち」とこたえてやる。
すると、また「どっちだ?」
さっきと持つ手、変わっていないし、はみだしているし、バレバレなんですけどぉ。
「こっち」と当てること数回。
とうとう「どっちだ?」と言って、持っている方の手を背中に隠す。
どっちってひとつしかないじゃん・・・後ろにある手を差したいが触らせてくれず、
仕方がないので何も入っていない手を指さす。
すると、嬉しそうに「ブブー」って。 この甘さを描きたい。

をかしさをうまく文字で表現できているのか・・・私に絵心があればなぁ。

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第272話 後ろ髪

2010年01月11日 07時15分06秒 | Weblog

仕事が休みになったら、ブログが更新できる。
どうにかこうにか仕事納めを迎え、更新するぞと思ったら、
休暇と同時に謎の腹痛に見舞われ、思うほどに更新できなかった。
年始年末は病院があいていないし、救急車で運ばれるほどではないので、
何が原因かわからないまま。
深夜、鈍痛による浅い眠りの中、「K残して、死なれへん。私、死にたくない」と怯えた。

母からよく「私が死んだら・・・」と言われ、子供心に怖かった記憶が根深く残っている。
脅しではなく、母は病弱なところがあったからなのだが、
娘としては「もう、そんなこと口にすら出さんといて」欲しい恐怖だった。
神様に「どうかお母さんを長生きさせて下さい」と願う。
親を悲しませたくないから、親より長生きせねばと
子供にしてはずいぶん早く死というものを意識していた方だと思う。

大人になるにつれ、母がいないと何もできない父を見て、
あぁ父は母より先に自分が逝きたいと思っているな。
無茶をするのもその思いがあるからなのかなぁと。
できることなら父が母より先に(ごめん お父さん。願っているわけではないよ)
が父の理想かもと本人に確認できないことを思う。

まんが日本昔話で正直者のお爺さんとお婆さんが、仏様にひとつ願いを叶えてやろうと
問われ、
「私たちは何も欲しいものがありません。ただ死ぬ時は私たち二人一緒に死にたい。
そうすればどちらも寂しい思いをしなくてすむから・・・」
そして、最後、二人共に逝く、というストーリーがあるらしい。(やまちゃむのブログより)

美しきこの夫婦愛。
少し前の私なら、親より長生き、かつ、夫婦揃っては望むところであっただろうが、
今は違う。
親より長生き、夫を看取り(ごめん あなた。決して願っているわけではないのよ)、
残された子を支え、共に故人を偲ぶ強さを持ちたいと思っている。

子をもって、子供の死もまた恐怖である。
自身の子を亡くすというニュースを見ては、しばらく尾をひく。
子供の闘病ドキュメントを見て、どうして? なぜ神様は・・・
抜け出せない思いの私に先輩が
「大好きなお母さんに看取られてって、その子にとって幸せなことなんじゃないかなぁ」
この一言が光となって、看取れる強さを持ちたいと。長生きしたいと貪欲に。
仕事始めと同時に、謎の腹痛は治まったが、ママとして定期的に健診せねばと思う。

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第271話 天然

2010年01月10日 06時24分48秒 | 子育て・「おママごと」

毎日、色々な事を吸収し、なんで?! これなに?! とすべてのことに不思議がいっぱい。
時には思うように気持ちを伝えられず、自分での思いが強く、ひっくり返って怒ったり・・・

以上、今月の保育園クラス便りよりの抜粋文だが、この短気激情型の2歳児は
こんなことで? というところで、怒るわ、泣くわ、地団駄踏むわ、もう大変。
外から帰ってきて上着を脱がそうと私がちょっとチャックを下ろした瞬間、
「Kが自分でぇ~」と泣く。
昨日まで下ろしてくれと言ってたよね?なんて反論はヤボな話で、
急いでチャックを元通り復旧させ、「はい、自分でしてね」
下ろし方が甘いので脱げない。次は「脱げないぃ~」といって泣く。
やれやれなのだが、可笑しい。

私のお迎えが遅いので、担任の先生となかなか会って話せない。
必ずクラスの前にあるホワイトボード(今日の出来事、連絡事項を保護者宛に書いて下さっている)に目を通す。
今日、みんなで凧あげをしました。
走ると自分の凧があがっているのがわからず、怒っているお友達もいました。
笑える。
そうやね、前向いて走ると自分の凧があがっているの、わからんもんね~と思いながら、
我が息子はどうだったのかと育児日記をひらくと、
K君は凧を持たず、走りまわっていました と。
へぇ・・・それ、凧あげちゃうやん・・・

外食をする。
「パパ、おごってくれて、ありがとう」と言う私に、
Kが横から「パパ、怒ってないで。ニコニコやでぇ」と反論。
決して自分が間違っていると思わず、自分の限りあるボキャブラリーを正当化するところ、多々あり・・・
お気に入りのくつ下を手にはめて遊んでいる。
「くつ下、足にはいて」と言うと、「K、手が寒いの」という。
それじゃあ仕方がない (笑)
以前までは、まねっ子オウム返しだったのに、今では自分の言葉に変換して話すように。
成長したなと。

視界が狭いのかなくなったおもちゃを探すのが苦手だ。
「そこにあるやん。Kの後ろ」「どこ?」近づいて「そこ!」「どこ?」「ほら、ここ」
「あった!」ようやくかい
と侮っていると、時に驚くほど深い。
よく見てる。よく聞いている。よく覚えている。
3歳までの1年、1年の吸収は大人にとっての10年分なのだそうな(担任の先生より)

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第270話 お気に入り

2010年01月09日 07時02分11秒 | 子育て・「おママごと」

こだわりの強い2歳児。ひとつのものをこよなく愛す。
「これ、イヤ。あれ、イヤ」と今日着ていく服を選ぶのも大変な作業だ。
自分の趣味にあうものでないと着ない。
お気に入りの靴下なんて一週間フル活動である。
色あせ薄くなる靴下、このままではこの靴下は過労死だ。
休息のためとこっそり隠し、「靴下、選んできて」と促す。
器用に見つけ出し、「久しぶりに、これ、しよか」 久しぶりって、毎日それやろ・・・

車を見に行く。
並ぶ新車を前に、いつの間にやら主人が自分の車(買い替え)の相談をし始めた。
私の車を見るのが本来の目的だったのに・・・
仕方がないので、息子と共にお子様のプレイコーナーに行く。
そこに、大きな白い犬のぬいぐるみがあった。
「ママ、持ってぇ」
手渡され、
こいつは知らないフリをして、私が人形を動かしていることを知っているのではないか、
と思いながら聞けず、人形遊びの幕開けとなる。

人形の後ろに不自然に私がいることにまったく気づかぬ様子で息子が犬と交流している。
私も犬になりすまし、新鮮に息子に問う「あなたのお名前は?」「Kです」
「何歳ですか?」「2歳です」
親睦を深めようと彼が自発的に自分のことを語り始める。
足の裏を指さし、「Kの足、ツルツルやで」得意げに・・・
よりによってそこかぁーっ 彼のお気に入りパーツ。
犬にどうにかこうにか自慢のツルツルをわかってもらおうと、「K、靴、脱ぐ」
突如、犬の背後にいる私に視線をうつし、靴を脱がしてくれと訴える。
えーっ、脱ぐの・・・その間、犬ぐったり。

「持ってぇ」
絶対、私が操っているのがわかってるやろ、と思いながら聞く勇気もなく、
犬を間に、親子で「ツルツル」「ツルツル」言い合う恥ずかしさよ。
「いやぁ~お待たせしたねぇ」
店内の暖房かそれとも興奮か少し発汗しながらパパが「車、買うことにした」えーっ。
私の車の前に自分の車?!
今乗っている車とまったく同じものを購入する、らしい。
ここにもう一人、こだわりの強い男が・・・

追記

結局、足の裏のツルツルを見せ、息子の友となった犬。
車に乗り込んで出発しようとすると「もう一回、白い犬にバイバイするぅ」大粒の涙。
「じゃあ、もう一回だけやで」
担当ディーラーが笑顔で「何か?」「いえ、あの白い犬に・・・すみません」
今度こそと車を走らせたとたん「白い犬に会いたい」と号泣。
再び戻る私たちの車の元へ担当ディーラーが近寄ってくる。
「いえ、お恥ずかしい。あの犬にもう一度」を3回繰り返し、強行突破する。
車中で白い犬を思っては泣き続ける息子。
咳き込み、呼吸困難になるほどあの薄汚れた犬を・・・
もう今売ってないよあの犬、の一品。あぁ ほんと疲れる・・・

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第269話 小さなおっさん

2010年01月08日 04時48分37秒 | 子育て・「おママごと」

お腹がぽっこりでている息子を見て、
主人が自分のことを棚にあげ、この出方は尋常じゃない。おかしいと言いだした。
え? みんなこんな感じだよと始めは気にもとめなかったが、
主人があまりにもひつこく言うので、何やら不安になっていく。
調べると、小児肝芽腫という病気があった。主な症状。お腹が張る。お腹が前に出てくる・・・募る不安。
ちょうど10ヶ月健診を受ける頃だったので、
先生に「あのぉ、主人がこの子のお腹の出方が普通じゃないっていうんですけど・・・」
「あのね、お母さん。これを幼児体型っていうんですよ。 これが可愛いんですよ。
子供が大きくなるほんの少しの間、この体型を味わって下さい」と一笑された。(主人め・・・)

大きな頭を支える小さな体。ぽっこりお腹のこの幼児体型が、何かと笑いを誘う。
そのフォルムのアンバランスさが普通のことをしていても、
何やら懸命に見えたりして、可笑しい。
本人はいたって真面目に生きているので、失礼な話だが、
その華奢な後ろ姿を見て、幾度爆笑したことか。

最近、お父さん座りとお母さん座り、お姉さん座りを覚えた。
まだ足を自由にあやつることができないので、
お父さん座りの時は、懸命に手でもって足をくんでいる。
できあがったお父さんが非常にこじんまりしていて、ちっちゃい。笑える。
次は、お母さん座りに変化する。
きちんと正座をし、両手を膝のうえに丁寧にのせてお母さんの完成。ちっちゃくかしこまっている。
お姉さんはお母さんから崩せばいいのだが、やたら遠回りをしてお姉さんになる。
ちょっと体が右ななめに傾いている。
私が「お父さん」といってやると、また、手を使って懸命にお父さんに変身。
すかさず「お母さん」「お姉さん」と言ってやる。
精一杯の速さで対応しながら、自分でケラケラ笑っている。
何がそんなに面白いのかとこちらもゲラゲラ笑ってしまう。

最近、お父さん指、お母さん指、5人家族指も覚えた。
「ほら、見て。お兄さん」
あぁ、中指たてて笑ってるよ・・・。
なぜか何度もお兄さん。外国だったら、あんた、危険だよぉ。
「じゃあ、お姉さんは?」
・・・どうやらお姉さんだけ独立することができないらしい。
彼の親指、人差し指、中指、小指を押さえて、お姉さんをおこしてあげようとするのだが、
他の指に続いて折れてしまう。残念、お姉さん立ち上がれない。瀕死のお姉さん(笑)
そんな不器用な男がまた愛おしい。

パパに顔が似ているせいかお肌にハリとツヤがあって若々しいが、
どこかおじさんチック。小太りで、肌ピチピチのおっさん?
若いんだか年老いているんだがよくわからないこの幼児体型。
思う存分、味わってます!

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第268話 自分史年表

2010年01月07日 07時07分12秒 | Weblog

毎年のことであるが、
新年あけてから何度いただいた年賀状を読み返したことだろう。

なかなか会うことが叶わない友人からの一筆に思いを巡らす。
いつも同時に送りあって、それぞれの元気? どうしてる? に応えられず、
お互い疑問形で終わっていたが、
今年は、友人に対しては無礼をお詫びする形で勝手ながら返信形式とさせていただいた。
年賀はがきでの「今年、結婚します」などは年明け一番のびっくり仰天ニュースで、
興奮の赴くままに返信文を綴る。

写真付の年賀状。もうこれは、端的に嬉しい。
ご家族のその後を拝見しながら、お子様の成長に時の早さを感じたり、
いつの間にか顔が変わってパパ似そっくり、ママ似瓜二つの楽しさに微笑んだり。
私の場合、年賀状に使うのはその年の息子のベストショットを使用するので、
年賀状データがそのままベストアルバムになるのではないかと思う。

ハガキを見ながらの一人同窓会。
公の顔しか拝見できない職場の方の私的な家族写真に、
心の距離が縮まったような一人勝手な親睦会。
年賀状完成までに辿る夫婦の紆余曲折はもはや年末の恒例行事となりつつあるが、
年賀状ってやっぱりいいなぁ・・・と 新年あけてから 思う。

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宣誓

2010年01月03日 22時56分20秒 | Weblog

すっかりあけてしまいまして、誠に申し訳ございませんが、
「あけまして おめでとうございます。
旧年中はひとかたならぬご愛顧をいただきまして、ありがとうございました。
本年も変わらぬご高覧のほど、よろしくお願い申し上げます」

昨年は主人に、モ~、モ~言っておりましたが、モはや限界、
本年は モ~噛みついてしまうやもしれません・・・虎視眈眈。

新年の抱負ですか?
毎年、この夢を持ち越しておりますが、
いつか人気ブログラマーになって、ほころび茶話ん、ついに奇跡の書籍化!
そんな夢叶うわけないじゃないか
ということで、堅実なところでいいますと、
車を乗りこなせるようになるぞ、です。

車を運転できれば、行動範囲が広くなります。
主人の休日を、帰宅を、待たずともよくなります。
私にとって、車は自由と自立の象徴。
購入、維持費、月々の駐車場代、車道を走る怖さに躊躇してしまいますが、
強くならねばならぬ年だと一年発起です。

ここにこう公言してしまうと、もう自分で後にはひけない気がしますので、
あえて、ここに。

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